ニセ科学が根絶されない理由と、「根絶」について

理由はシンプルです。それは、

誤る人と嘘をつく人が絶える事は無いから

ニセ科学というのは、科学のようで科学で無いものです。つまり紛い物。で、紛い物を使う人は、

  1. 紛い物が本物だと思い込む人
  2. 紛い物を紛い物と知りつつ、社会的に好ましく無い事に使う人
  3. 紛い物を紛い物と知りつつ、社会的に許容される事に使う人

こう分けられます。
1 は、紛い物に騙される人、それを本物と信じてしまう人。つまり、誤る人
2 は、紛い物と知りつつ、それを悪く利用する人。つまり、嘘をつく人。詐欺師ですね。偽ブランド品を売りつける人、などを想像しましょう。
そして 3 は、それが紛い物であるという共通認識を作るもの。つまり、フィクションにおける設定など。これは通常、ニセ科学とは表現されないけれども、文脈(つまり、創作物の世界設定)を共有していない場合、文脈から、説や命題が切り離されて流布する可能性があります。
たとえば、アナログゲームなどの玩具で、専用に作られた紙幣がありますよね。それは、ゲームに参加している人や、おもちゃと知って購入した人にとっては、紛い物と判っている物ですが、知らずに見せられると、これはどこかで流通している紙幣なのか、と思われるかも知れません。

それで、3 は少し複雑なので、1 と 2 を見ると、これは、現実的に、無くなる事が考えられないものです。理想的にそういう世界が実現可能かを想像する事もむつかしい。

誤る人、嘘をつく人が いなくならず、かつ、社会に科学の知識が広く普及しているのならば、科学の知識について誤る人と、科学の知識を悪用する人、というのが消え去らないのは、解りやすい事かと思います。
そもそも、科学自体が、人間は誤り得るという事を、その社会制度に組み込んでいる訳ですし(査読の制度や追試による再現性の確認)、色々の言説を悪用する詐欺行為が壊滅出来るか、という問題を考えると、それも無理であるのは解るでしょう。

これらは、ニセ科学根絶出来ない理由として、シンプルです。しかし、シンプルというのは、対応が簡単である事を意味しません。むしろ、あまりにシンプルであり、あまりに人間の普遍的な心性に根ざしているが故に、実際的には無くす事が不可能である、と言えるでしょう。感染症の根絶とも性質の違う問題です。

と言って、標語的に、ニセ科学を根絶すべきである、と表現するのが(実現不能であるから)無駄なのか、と言われると、それは悩ましい所です。たとえば、詐欺を根絶や、性犯罪を根絶と言う場合、それはやはり実行不能であるけれども(悪意を持った人間を消し去る事は出来ない)、かと言って、それを目標として掲げるのは無駄か、となると、必ずしもそうは評価されないでしょう。実現出来なくとも、目標は目標として掲げておく、という事自体は、ままあるでしょうから。

jbpress.ismedia.jp

この記事、ニセ科学どうすれば根絶できるのか?というタイトルです。タイトルに記事執筆者がどのくらい関わっているかは不明ですが、内容は、ニセ科学に関する具体的な議論と言うよりも、いわゆる理科教育の話です。そして最後、

ニセ科学を根絶させる特効薬は、モグラ叩きをまめにこなすことではなく、一人でも多くの市民がそこそこの科学リテラシーを身につけることである。そのための教育に力を入れることこそが、真の科学技術先進国を名乗れる資格となるはずだ。

こう結ばれています。まあ、素朴ですね。

まず、根絶させる事は不可能という事。これを最初に書きました。

また、市民にそこそこの科学リテラシーを身に着けさせるというのが、どのくらいの程度であるのか不明である所。記事の流れから、現在の高校理科程度の内容を想定しているように読めますが、それがほんとうに、ニセ科学に対する特効薬と表現出来るようなものであるか、という根拠が全く示されていません。
たとえば、血液型性格判断ゲーム脳説というのは、科学の社会制度(査読や追試)や、因果関係の実証の方法をカバーしないと、きちんとした批判はおこなえないものです。
何かが効くかどうか、という所が関わってくると(ホメオパシーなど)、臨床試験の構造や、因果関係の推論に関わる疫学・実験計画法などの領域も押さえる必要があります。高校理科では、それらはカバー出来ないでしょう。血液型性格判断なんかは、心理学(性格・人格心理学や社会心理学)の知識が関わってくるので尚更です。
ニセ科学が、実証科学の紛い物である、と考えるのならば、自然科学のみならず、人文・社会科学的な部分も考えておいてしかるべきです。

そういう部分をきちんと押さえずに、特効薬などと言ってのけるのは、あまりニセ科学の議論を真面目に考えていないとしか思えません。
これがたとえば、高校理科程度を押さえていれば、それが利用されたようなニセ科学的言説に気付きやすくなるであろう、というくらいの主張であれば、確かに、それで社会的な、科学に関する知識の底上げをするのは重要かも知れないな、と賛同する事が出来たでしょうけれども、根絶という、とても強い言葉を使っている割には、今ひとつ説得力に欠ける論考であるな、と思ったのでした。

【メモ】名古屋市の調査に関して

デザインと調べ方
  • 研究デザインは、人口ベースの症例対照研究
  • 標的集団は、名古屋市に住民票の存在した、中学3年生から大学3年生相当の年齢の女性
  • 調査対象者(目標のサンプルサイズ)は7万
  • 回答割合(達成されたサンプルサイズ)は40%強
  • 曝露は、HPVV接種(サーバリックス・ガーダシル)。期間は小学6年以降
  • アウトカムは、小学校6年生から現在までの期間有病
  • アウトカムの評価は、アンケートへの回答。有症状の自覚。つまり、臨床診断なされたものでは無く、症例登録に基づいていない
  • 現在も有症状であるかの質問。5件法
  • その症状で受診したか、という項目がある
  • アンケートの記入者は、本人・保護者・保護者と本人(保護者に相談して本人が記入)
関係しそうなバイアス
  • 症状がHPVVの副反応だと認識している人の方が返送しやすい
  • 上のような傾向の人が症状を思い出しやすい(リコールバイアス)
  • ただ、杖や⾞いすが必要になった⾝体が⾃分の意思に反して動くのような、症状自体が稀そうだったり重いものに、リコールバイアスがどのくらいかかるか、というのはある(恐らくかかりにくいだろう)
  • 保護者による症状の過大評価
  • 副反応と信じない・知らない 回答者の、症状に対する過小評価
  • アウトカムの評価が臨床診断に基づくものでは無いから、検討には、臨床疫学の専門科だけでは無く、心理学や社会調査のプロにも参加してもらうのが望ましい。リコールバイアスによる誤分類などは、本質的な部分に関わるので
  • 接種中止者への質問に、受けた後に副反応(副作⽤)が出たから副反応(副作⽤)の報道を⾒て⼼配になったからがあるのは気になる
  • 曝露評価にリコールバイアスはかかるか。注射した経験というのは、そう忘れないようにも思える

参考文献
名古屋市:子宮頸がん予防接種調査の結果を報告します(暮らしの情報)