【メモ】二重コーホートと検診

福島県において甲状腺がんが流行しているか、という議論において、

他地域でも検診をおこなって比較すれば明らかになる

のではないか、という意見があります。

しかし、これは早計な意見です。

一つは、早期発見のデメリットがある事。
早期発見のデメリットとは、まず、余剰の発見(過剰診断)、つまり、その病気では死なないのに見つけてしまう場合の害です。何も問題を起こすはずの無かった病気に対し、手術などをおこなえば、それによる影響自体が害です。
それから、見かけ上の罹病期間が延びる事の害。もし、早く見つけたとしても延命が出来ないのならば、発見時から、症状が出るはずだったまでの間は、病気であると判断される必要の無かった期間です。この期間をリードタイムと言います。この2つは当然関係しており、症状が出る前に死ぬはずだったかそうで無かったか、の違いです。

いま一つ考えなくてはならないのは、

異なる地域を比較する事そのもので生ずる偏り

です。いま想定しているのは、福島それ以外の、2つのコーホートコーホートとは、研究対象集団の単位の事)を比較する、というものです。福島県とその周辺に放射線曝露(被ばく)が起こったので、もっと遠くの地域に対しても検診を施して、甲状腺がんの発見や、それによる死亡、といった指標を較べてみる、といった寸法。
ここで、検診自体も発見数を増やす因子であるから、他地域においても検診をおこなおうとする訳です。

そこでは、被ばくという要因の程度が異なったコーホートに対し、検診の要因を揃えて比較する、という想定がある訳ですが、注意すべきは、そのままでは、

他の要因が揃っている保証が無い

という事です。たとえば、福島県と比較した他地域において、甲状腺がんの発見が、幾らか小さかったとします。その場合、被ばくが甲状腺がんを増やしたと、即言えるでしょうか……言えません。何故なら、先ほども言ったように、被ばくという要因以外の要因が揃っている保証が、どこにも無いからです。もしかすれば、今までに知られていない何らかの要因が、甲状腺がんを僅かに増やす因子として働いている、のかも知れません。
逆にもし、福島県のほうが少ないとすればどうでしょう。その場合、被ばくが甲状腺がんを減らしたというのを認める人は、そういないでしょう。

いまの想定のように、2つの異なるコーホートを比較して研究する事を、2重コーホート研究と言います。このような研究デザインは、何らかの環境要因(いまの想定では、被ばく)が影響を与えているのではないか、という場合に適するデザインですが、異なる地域に含まれる集団をコーホートとして比較する事によるバイアス(偏り)が生ずる可能性、というデメリットもあります。既知の要因なら揃えるのも場合によっては出来ますが(例では検診)、未知のものの場合、前もって取り除けないかも知れません。

このような事情があるので、通常は、一つのコーホート内で、要因に曝露された群とされなかった群を比較するのですし、最も強力な方法は、曝露群と非曝露群に確率的に割り付けるRCTであると看做される訳です。

ここまでを踏まえると、

他地域の人々に対して検診をおこなえば明らかになると即言える訳では無い

と考えられます。

菊池誠氏の言説について

anond.hatelabo.jp

菊池誠という人がいて、一時はてな論壇においてそれなりの存在感を放っていた。

はてな論壇とは?

論壇で今も跋扈する科学対非科学という対立軸

科学対非科学という対立軸なる見方は、よく解りません。ニセ科学を批判する論者に対しての、科学主義であるとか、そういう指摘などを非科学の立場に置いて見ている、のかも知れませんが。

2000年代後半。ニセ科学批判という社会運動が産声を上げた。

社会運動をいかなる意味合いで用いるか、にもよります。注目を集めたのは、ニセ科学シンポジウムや、菊池さんのNHK出演の辺り、でしょうか。

これは、自然科学に関する嘘をエビデンス棍棒で殴打するというシンプルかつ大変に社会的意義のある運動

私はこういう文脈で棍棒なる比喩を用いる意義も意味もよく解りませんが、それはともかくとして、自然科学に関する嘘という表現。これが、主に批判されていたものの特徴のような意味合いであれば、そういう言い方は出来るでしょうが、もしこれが、ニセ科学概念の説明を企図したものであれば、それは不足しています。ニセ科学は、自然科学のみならず、広く実証科学一般に関する概念なので*1。たとえば、血液型性格判断は心理学に(心理学を自然科学に含めるかは、学的立場にまつわる難しい議論です)、いわゆる 水からの伝言 は、水の結晶という物理学的観点と、言語の構造という言語学的観点の両方から見る事が出来ます。

はてな市井

はてな市井

よくわからんという人は(引用者註:コールが飛ぶので一部修正)NATROM先生がたくさんいたと考えてください。

NATROMさんは沢山いません。

ニセ科学とは自然科学に関する嘘である。

さきほどと同じ。ニセ科学は自然科学領域に留まりません。血液型性格判断は、単に自然科学に関する嘘ですか? パーソナリティ心理学や社会心理学を自然科学と呼びますか?

例えば近藤誠や武田邦彦の動機は金と売名だし、安倍晋三下村博文共和党の言動は党派性の発露であり、有象無象のブログが代替医療で他人の癌を根治しようと試みるのは無知に基づく善意による。

動機、あるいは内心に関する部分を安易に決めつける事は出来ません。近藤氏や武田氏も善意に基づいているかも知れませんし、そうで無いかも知れません。

引用文以外の部分での見方は、ある程度、的を射たものと思います。

ニセ科学は大きくデマという概念に内包される。デマの分野を自然科学に絞り

絞りません。

特に人文科学系や社会科学系等の他分野の学問においてはその応用が容易いだろう。

そもそも、ニセ科学概念は、人文・社会科学的領域をも射程に入れる事が出来るものです。評価時点でスタンダードな体系と比較してどうズレているか、というものなので、定義上で自然科学に限定する意味は、特にありません。

ニセ科学と人文科学や社会科学系のデマとは地続きの問題であり、ニセ科学批判がニセ科学だけを取り扱うのは、単にそれが自らの領分だからというだけである。

概念の設定によっては(私はそう設定するのが妥当だと考えますが)、地続きと言うより内包と言ったほうが良いでしょう。実証科学的スタンダードとズレ、かつそれをスタンダードと称する言説があって、それぞれが自然・人文・社会 のいずれかに関連しているか、というように見れば整理されるでしょう。

さて、ここから菊池誠とその周囲の言説を掘り返し、断片的な事実を拾い上げ、時系列を整理し、推論を検証し、STS辺りも総括し、ニセ科学批判史とも絡め、最初のテーマに関して結論を出さなければならない。

でもこのテーマ自体は割と意義があると思うので誰か調べてまとめて書いといて欲しい、個人的には(引用者註:コールが飛ぶので一部修正)ublftboさんが適任かなと思う。でも多分やらないだろう。面倒くさいし。

菊池誠という人の思想的・あるいは言動的個人史をまとめる事にどういう意義があるのか、よく解りませんが、少なくとも私自身には、それをするだけの能力も労力も、また興味もありません。

私が時に、菊池さんの発言に批判的に言及するのは、ニセ科学に関する知識を勉強させてもらったし、また、直接やり取りをして世話になった経緯もある、そういう、基本的に姿勢を支持している論者が、分野によっては、根拠不足のままに何らかの主張をおこなっているのを見て、残念に思っているからです。出来ればtwitterでの発言などを改めて頂きたい、単純に、そういう気持ちです。リベラルだの保守だの、左だの右だのの議論については、毫も興味はありませんし、一切関わりたくありません。

追記:2017年4月2日

このような意見。安全圏というのは意味が解りませんが、それはともかくとして。具体例を挙げます。

※時系列順ではありません。自分のブクマなどから拾っています

interdisciplinary.hateblo.jp

左翼はトンデモに弱いというのは一般的言明であって、それには量的な根拠が必要である。たとえば、そこに属する著名な論者がトンデモに弱かったとして(トンデモの定義は措く)、それは、主張を支持しない。

左翼のほうが「デマ耐性」は低い放射能デマの多くは左翼から出て左翼に支持されている。 これら主張について、支持する証拠が示されていない。

もし、ニセ科学批判が主として右翼を喜ばせるのだとすれば、それは「主として左翼がニセ科学に毒されている」ということであって、 この主張の if then の論理的あるいは理論的根拠が不明。

「左翼がニセ科学を取り入れ過ぎ」とする根拠が不明。

右翼はニセ科学に弱くても当然とする根拠が不明。

↑政治については好き勝手に発言して良いという根拠が不明。政治と言っても、誰かの主張を検討するなどのプロセスが含まれる場合があるので、一般に政治に関しては好き勝手な事を言って良い、という道理は無い。たとえば、科学的な事が絡む政治の議論があった場合、好き勝手で構いませんか?

*1:更に広げると、哲学や数学など、必ずしも経験的証拠に基づいた体系で無い分野でも議論する事は出来る