がん検診の専門家による述懐

がん検診判断学

がん検診判断学

上記書籍より引用します(P159・160より。強調は原文通り)。

 過剰診断とは、一般に「もし検診を行わなければ臨床的に診断されなかっただろうがんを診断すること」と定義されている。医学・医療技術の急速な進歩のために、極めて早期のがんが診断できるようになり、がんは早期であればあるほどよいという臨床医の常識が、様々な研究(臨床病理学的研究や疫学研究など)から、早期に発見したことが当該がんの死亡率減少には必ずしも結びつかないがんがあるということも分かってきた。著者らが、がん検診に携わり始めた頃は、一人でも早期がんを見つけることが至上命題であったため、早めに見つけ過ぎる不利益などは全く考えもしなかった。国際学会や会議での成績発表でも、講演原稿のまとめでは、著者は、決まって「The sooner, the detection; the better, the prognosis(診断が早ければ早いほど、予後はよくなる)」のフレーズを入れていたものである。それが早期発見は予後(prognosis)が良くなるとは限らない、ただ診断を早めに付けただけという「先行期間の偏り(lead-time bias)」という概念が出てきて、結局は早期発見の有効性は、その目的である当該がんの死亡率減少効果を科学的に証明しなければならない、ということが世界の共通認識となっていったのである。その結果、がんによっては、がんを早期に発見する前に別の病気で死亡するものが少なからずあること、そのパーセントはがんの種類によってかなり異なることが分かってきたのである。したがって、検診をしなければ何事もなかったのに、検診で見つけられたために苦しい精密検査を受け、あえてしなくてもすんだかもしれない手術とか放射線療法で苦しむ不利益があることも考慮すべきであると言われるようになった。

これは、著者である久道茂氏の文ですが、久道氏は、長年にわたって がん検診の有効性評価に関わってきた、まさに専門家(

詳細検索結果KAKEN — 研究者をさがす | 久道 茂 (10142928) )です。

引用文は、その専門家である久道氏による述懐という事で、大変示唆的なものです。専門家であっても、検診に携わり始めた頃には、一人でも早期がんを見つけることが至上命題であったため、早めに見つけ過ぎる不利益などは全く考えもしなかった。というのです。早期発見であれば良いという事が成り立たないのは、当ブログにおいても何度も解説してきました。その理由として、引用文中にもあるリードタイムバイアスなどがあります。

想像ですが、それまで、早期発見であるほど予後が良くなる、といった信念があり、標語として掲げていた所から、その認識を改めるという事は、そう簡単では無かった、のではないでしょうか。言わばこれは、善意に基づいて、信念を持っておこなってきた事の否定です。それを、得られた臨床的な証拠に従って修正していくというのは、とても難しいと思います。

踏まえて考えると、実際に治療にあたっている臨床医であったり、医学的な知識に乏しい人が、がん検診が予後を良くするとは限らないという認識に至る事も、容易ならざるものである、と言えると思います。やはり、良かれと思っての信念を見直し、考えを修正するというのは、ある種の善意の否定なのですから。

MizuhoH(_keroko)氏に対する疑問

すいません、不躾な言い方をしますと「ほんとそういう所だぞ」です。つまり、言いたいことがおありのようですが、説明や言葉を尽くすカロリーをなぜか節約する。そして、ニセ科学/医療を標榜する方(原文ママ)は、その傾向が強い印象があります。でも困るし、だいたい失礼ですよね。

との事ですので(強調は引用者による)、言葉を尽くして、疑問を呈します。

対象は、下記つぶやきです。

ニセ科学・ニセ医療バスターの方々は結局、情報を選択する個人の責任にするから、だんだん発言が右傾化するんですよね。社会システムとか情報環境、そして医療従事者同士の根本的な相互批判・論争をまずツイッターでお見かけすることがない。

疑問点を列挙します。

  • ニセ科学・ニセ医療バスターとは何か
  • ニセ科学・ニセ医療バスターの方々とは具体的には、どのような人、あるいは集まりを指すか
  • 情報を選択する個人の責任にするとは、具体的にどのようなものか。誰のどのような言動に基づいた評価なのか。それはどのような集まりにどのくらい一般化出来るのか
  • 発言が右傾化右傾化とはどのような意味合いか。それを傾向として一般化する根拠は何か

これらについて、具体的な資料等、根拠に基づき、整合的に説明出来るでしょうか。