ランダム

このつぶやきを見て。

内容としては、2枚の、小さな円がたくさん描かれた画像があって、どちらの画像の円がランダムに描かれたものか、を問うというもの。 ここでポイントになるのは、ランダムとはという事ですね。それをどのように解釈するか。

という事で、作ってみました。

サンプルサイズ

こちらは、ある範囲の画素全てに番号をつけて、全ての画素の出る確率が等しいようなクジを複数回引いて、当たったら、出た画素を中心とした小さな円を描く、というものです*1

これは、標本調査で言う所の無作為抽出と同じです。ただし、重複を許す(つまり、円が重なる可能性がある)という点が異なります。

統計で、単純にランダムと言う場合には、このような、母集団に属する全ての要素がドローされる確率が等しいという意味で用いられるのが典型的です。今の例の場合、ある範囲内の全画素が母集団で、各画素が要素、ドローされた要素の集まりが、標本と呼ばれます。

成功確率

こちらはちょっと違って、ある範囲の全ての画素について成功確率が一定のクジを引き、当たりが出たら円を描く、というやりかたです。

こちらも、一定の確率に従って円を描く、という意味では、ある種のランダムである、と言えますね。

Newton誌のつぶやきにある左側の図は、左は点どうしがなるべく重ならないように配置したものという事で、各画素において円が描かれる確率が一定で無いの意味で、ランダムで無いと言っているのだと思われます。それは、円の描かれかたが確率的で無いという意味合いとは、少し違います。

qiita.com

↑ こちらでは、色々な確率的アルゴリズムを使って、円を描画してくれています。なるべく円が重ならないようにするアルゴリズムも紹介されていますね。

話を最初に戻すと、こういった確率的な仕組みの事を総じてランダムと表現出来るか、という事がポイントなのかな、と思います。これは、知識や語感の問題でもありますね。

*1:ちゃんと考えると、各座標値の出現確率が当確率であるような2組(x座標、y座標)の一様分布、の結合分布

役に立つか否か、という事

三角関数が役に立つのか、とかその辺の話。

そもそも、役に立つというのは、誰にとってとか何にとってといった所とセットにして考えないと意味の無いものです。したがって、それを設定せずに単に、○○は役に立つのか?と問う事にも、意味はありません。

三角関数なんて役に立たない、という発言は、その人自身にとっては使う機会も無く、業務等での必要も無かった、などから導いた、正しい答え、なのでしょう。

考えてみれば、三角関数に限らず関数は、数学という壮大な理論体系の一部であり、応用的には現象の構造を記述し、あるいは予測や制御に用いる強力なツールでもあります。

たとえば、我々が利用する、科学技術の産である所の工業製品は、それらの知識を応用して製造されたものであって、その意味では大いに役立てられていると言えます。今みなさんがこの文を読む際に用いている、PCなりスマホなりの情報機器も、それら知識の賜物、と言えるでしょう。

けれども、そのような実例をいくら並び立てて説明されたとしても、自分にとっては役に立たないものなのですから、へえ、そうか、となるのが落ち、というものです。そして、その人にとっては、それは正しい。

だからまあ、発言する人の、自分にとっては役に立たなかった・役に立てていないとの主張に対しては、そうですね、とか、そうなのですか、としか言いようが無い訳です。そこに対していくら例示したってしょうが無いし、説得しようとしても詮無き事でしょう。

ただこれが、それらの知識は役に立たないものだから勉強しなくても良いというような主張にならないようにはお願いしたい所です。それは、自身の領域のみならず、他者の知識や可能性を決めつけ、制限を加えようとする行為であるから、です。いわば、余計なお世話といった所。
あなたにとっては、その知識は役に立たなかったかも知れないが、それを他の人の行動や思考の領域にまで押し付けるような主張はしないで欲しい、という事です。

もし、若い人が、(三角比や)三角関数などを何のために勉強するのか、と問うたら、私は、それを勉強する事によって、将来の可能性がより豊かになる的な答えかたは、したく無いものです。という言葉を使っている人もいました。私は嫌ですね。今勉強していれば将来何かしらの役に立つかも知れないからなんてのは、自分が一番されたく無いものでもあります。

今、面白く無いものを、将来に役立つかも知れないからと言われ、学び続けるというのは、かなり苦痛な事だと思うのです。それは誤魔化しです。
説明する側としては、今、面白いと思わす事が出来なければ、もう失敗です。それが出来なければ、そうだね、勉強しても仕方が無いかも知れないね、としか返す事は出来ません。私には。

私が言えるのは精々、身近の現象や、興味のある分野の仕組み・構造について関心を持つ事があれば、それを突き詰める際に、数学が役に立つ事があるかも知れない、というくらいのものですね。

たとえば、ゲームが好きで、スプラトゥーンをよくプレイする人が、インクの飛びかたはどうやって作っているのだろう、ブキによってそれは挙動が異なるけれど、どういった仕組みがあるのだろう……と疑問を持ったとします。そうすれば、それは数学的に計算されていてね、と話を持っていく事が出来るでしょう。当然、プログラミングの知識とも繋がってきます。数学などの知識が役立っている事を実感出来るというのは、まさにそういう時です。

実際に、そのような所から数学の知識一般に関心を持っていった人も、結構いるだろうと思います(ゲームだと、キャラクタの移動や衝突判定、グラフィックスの描画などの基本的なアルゴリズムからして、力学や線形代数などの知識が密接に関わっている)。そういうものです。

そこに興味を持ったら、こういう本があるよ、というような案内に意味が出てくると思います。私の場合は、大村平さんの、日科技連出版社から出ている本などを勧めるでしょう。

そこまでに行っていない人に対して、こんなに役に立っているんだよといくら熱弁されたとしても、ふーん、としかならないかも知れません。だから私は、誰かが、数学は役に立たないと言ったとすれば、まあそうなんだろうなあ、となって、ぼんやりと、色々な事の仕組みを徹底的に考えていけば、どこかで繋がる可能性はあるかもね、と思う事でしょう。