WEBで読める統計関係の良質な資料

私がよく参考にする所を三箇所紹介します。いずれも、説明が極めて明瞭で、論理的な整合性や用語の丁寧な使い方を志向している所に好感が持てるサイトです。

Econom01 Web Site, Sophia University, Tokyo, Japan
上智大学の大西博氏のサイト。私が統計関連で最もよく参照する所です。説明の仕方の明瞭さや、具体例を用いた解説がとても良いと思います。確率統計の一つ一つの概念について、大変丁寧に説明されています。たとえば、「相関(および因果関係)」については、

2つの変数の同時分布と、その条件付き分布は、変数の間の数量的結び付きを示しています。この数量的結び付きは、統計的頻度分布として観察されるものであり、現象の背後にある実態的な「関係」や「構造」から導かれる法則性を必要としません。

例えば、人間の身長と体重とは密接な統計的分布関係を持っていますが、両変数を決定する背後機構は複雑であり、単純な数量法則として理解することは困難です。にもかかわらず、ある人の体重を推測する時に、その人の身長が判れば、条件付き分布に関する経験的知識から、体重の推測が容易になります。

つまり、同時分布が示す変数間の結び付きは、情報と情報との間の頻度的な連関を表わしています。一方、もしも2つの変数間に、構造的な意味での因果関係[注1]が存在すれば、その数量関係は同時分布においても検出可能です。したがって、同時分布が示す変数間の数量的結び付きは、因果関係を含んだより広い関係と考えられます。この関係を相関 (correlation)と呼びます。

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[注1] 因果関係(causality)とは、ある要因が「原因(cause)」で、他のある要因がその「結果(effect)」であるような"関係"をいう。そのため、A と B の間に、数量に関する統計的関係が見られる時は、A が原因であるのか、それとも B が原因であるのかを、さらに決定する必要がある(ただし、C が原因で A と B が共にその結果である場合や、市場経済構造のように A→B、 B→A の両関係が同時に存在する場合などは決定不能)。1960年代には様々な因果律の判定方法が研究されたが、現在では、時間を考慮して、過去のA→現在のB、過去のB→現在のA の両関連度を統計的に判定し比較する方法が使われている。
3 相関と相関係数 ※文字修飾は外した

こういった説明がなされています。(言葉遣いはかたいですが)私がこれまで見た相関概念の説明の中で、最も丁寧で明瞭であり、納得のいくものでした。

ただし、講義用の資料なので、外部の人が参照しやすくはなっていないと思います。
密かに、大西氏の統計学の著作が出ないものか、と思っているのは私だけでしょうか。

おしゃべりな部屋 (プラネタリウム,星,植物,熱帯魚,統計学)
言わずと知れた、ですか。群馬大学青木繁伸氏のサイトです。統計学と R(フリーの統計ソフト)に関心を持っていてWEBを使う人で、青木氏を知らない人はどのくらいいるでしょうか。
とにかく、統計学や、R の操作・プログラミングに関する情報が膨大です。掲示板でも興味深い議論がなされていますし、取り敢えず統計で解らない事があったらここを見る、的な。

浅野 晃の講義
関西大学の浅野晃氏の講義ページです(統計関連は、「これまでの講義」から)。
浅野氏の説明は、とにかく丁寧で、色々な具体的事例を用いて解りやすく解説しようという姿勢がよく見えます。それと同時に、厳密さや正確さをなるべく損なわず、専門用語も丁寧に定義を踏まえて使おうとされている、という所が素晴らしいです。これほど明快に説明する文章が書けるのは、率直に言ってすごいな、と思います*1

これはちょっと余談ですが、血液型性格判断に関心を持ってWEBを検索した人で、浅野氏の 「座観雑感」血液型問題 をご覧になった事がある方もおられるやも知れません。

また、浅野氏が出しておられる著作があります。

要するにそういうことか 統計学の考え方

要するにそういうことか 統計学の考え方

これは、統計関係の入門書の中でもとりわけ良書だと思います。お勧めです。

*1:それと、サイトや、講義資料中の図、のデザインが大変好ましいですね。良いセンスだなあ。

エビデンスと納得と拘りと

丸山ワクチンについてお話した - Togetter
おくあき氏は、氏なりに合理的であろうと信ずる推論を行なって主張しているものと想います。即ち、

  • 論理的思考の能力に優れた者が支持している。
  • 多数の患者が使用している。
  • 多数の人が延命している。

こういう所を、持説を補強するものと考えているのでしょう。

でも、これだけで充分な証拠にはならない、というのは、それほど複雑な話では無く、少し時間をとって熟考してみれば、認識するのはそこまで難しく無いはずです。
一番目については、論理的思考に優れていようが、「確かめなければ解らない」事について適切な意見が言えるとは限らない、という話ですし、二番目三番目は、時間経過や他の要因が同時に変化した事による結果の可能性、という所を考えれば良い。色々な商品でも、「売れているものが良いとは限らない」というのは、それこそ常識的な知識だろうと思います。

にも拘わらず、頑なで聞き入れないというのは、それが効いているのだと信じたい、という信念があるのやも知れません。もちろん、上に挙げた条件が、効くと主張するための充分なものである、と思い込んでいる、という可能性もあるでしょうし、こういうのは相互作用して認識が作られているのでしょうが、「こうあって欲しい」といった信念は結構強固なものなのだと思われます。

そして、それを正当化するように情報を解釈していくと。今は、何かが効くかどうか、という議論なのですから、最も直接的な証拠は、きちんと設計された研究によって得られた良質なデータですが、それを持たない人は、間接的な証拠を示そうとします。たとえば、製薬会社や医療従事者が不利益を被るから普及を阻んでいるのだ、という陰謀論的な社会要因であったり。そんな事をすると、「陰謀論を支持する主張」を新たに提出する必要がある訳ですけれど(全然異なる文脈の主張が増える)、それもしません。

事実を無視して論理的・理論的な可能性のみを云々すれば、大概の事について、「説明をつける」事は出来ます。言い方を換えると、「否定し切れない説明は出来る」。陰謀論はそれの典型例とも言えるでしょう。極端に言えば、
「これまでに”効かない”とされてきたデータは全て誤り、ないし捏造である。」
とでも主張すれば、否定はし切れない(現象としてあり得ない事では無い)訳です。

で、そういう信念を持つ人が、効く効かない、という文脈を的確に把握し、証拠に基づいて判断する事を意識するようになる、というのはなかなか難しいのだと思います。
私などは、科学を真面目に勉強するようになって、その辺の論(エビデンスベイストな見方の重要さなど)に触れた時、割とすんなり受け容れる事が出来たのですが、それは何故でしょうね。多分、そんなに物事に拘っていなかったから、というのがあるのかも知れません。良くも悪くも、ものを見る眼が醒めていた、のだと思います。あんまり、「こうであって欲しい」というのを考えていなかったのでしょう。これは、価値観や世界観も関わってくるし、心理学的な問題でもあるのだと思います。もちろん、新たに知識を得て、それまでに形成された強固な世界観が変容する、というのはあるのでしょうが、どのようなきっかけでどのように変化するか、は人それぞれでしょう。

ものを信じる事、説得する事、論理的に考える事、理論的に考える事、自身が持っている信念と向きあう事、世界観を意識する事、物事をメタに捉える事、等々が複雑に絡み合って、一人の人間の認識とそれに纏わる議論が形成されているのだと思います。ただ単に、主張は論理的か、理論的か、という事のみならず、色々の、心理的・社会的・哲学的な糸が撚り合わされた紐のようなものでしょうか。それを上手く解きほぐしていくのは、容易に出来る事ではありますまい。

一旦解ってしまうと、「なんでこれが解らないのだろう」と他人に対して感じてしまう事があります。勉強を教えたり、PCの操作を教えたりする時に、そうなりませんか。その時には、ちょっと落ち着いて、「自分が出来なかった頃」を思い返すのが、ひとつ重要なのではないかな、と思います。