偽薬を用いた心理療法もどき

このタイトルは、ホメオパシーの構造を表現したものです。

ホメオパシーにおいてレメディと称される砂糖玉は効きません。従って、何らかの不調や病気があり、ホメオパシーを受け標準医療を受けず、そして改善があった場合、その理由は、砂糖玉の直接の作用以外によるもの、つまり、時間経過による改善、あるいは心理的・社会的な条件による認知的変化の作用です。

その心理社会的条件は、色々あります。まず、いわゆる「プラセボ効果」、つまり、与えられた砂糖玉が効くと思い込むことによる心理的変化。それから、与えてくれる人への信頼、与えられた場所の環境(部屋の温度などは身体に直接働く条件でもある)、等々。

その内、ホメオパシーという体系にとって最も重要なのは、当然ながら、「砂糖玉への”意味付け”あるいは”価値付け”」であると言えます。つまり、いかに「すごく効く」と思わせるか、という部分。そのために、希釈・振盪の原理の普遍性や、ハーネマンによる提唱から経った時間の長さ、あるいは「水の記憶」や「量子力学」などの「メカニズム」の説明などを持ち出してくる訳です。受ける側に、なんだか分からんがそれはすごそうだ、と思わせる。

加えて、カウンセリングのようなものを行い、信頼感を高め、よりポジティブな状態に心理を持って行こうとする。

そして、時間経過による身体的変化にそれらの心理社会的条件が組み合わさった結果として、改善という結果に至る、と言えます。その意味で、ホメオパシー療法は、「単に心理療法のようなもの」と表現出来る*1。ただ、そのコアに、「偽薬」の使用がある。

もちろん、ホメオパスの大部分は*2、砂糖玉が効くと確信しているでしょうから、臨床試験などで言う所の偽薬のように、効かないと知っていながら効くと称して与えるのとは少し違っています*3。与える側も効くと信じているのですから。とは言え、効かないと判明している物を効くと信じて与えるので、与えられる人からすればそれは実際には偽薬です。

当然のことながら、標準医療においても、「すごく効くと思わせる」心理社会的作用は働きます。医師の言葉遣いや容姿、病院の雰囲気、薬や療法にかかる値段、等々によって変わってくるものでしょう(もちろん、ネガティブにも働き得る)。与えられたそのもの以外の作用(これを、非特異的効果と呼ぶ)と、与えられたそのものの作用(これを特異的効果と呼ぶ)が合わさったものが、与えられた人に作用して改善を促す訳です。そして、ホメオパシーの砂糖玉には特異的効果はありません。ですから、非特異的効果のみで改善を試みていると言っていいでしょう。*4

このような論理を押さえておかないと、「効く」「効かない」「プラセボ効果」などの語を用いたコミュニケーションがきちんと成り立たない可能性があります。たとえば、ホメオパシーは効かない、と批判的に言及した場合に、「プラセボ効果があるのでは?」と返すなどの場合。ホメオパシーは砂糖玉が効く、と主張しているのだから、効かないと言った場合には、「砂糖玉が効かない」のを意味します。非特異的効果は「効果に入らない」訳です。だから、「プラセボ効果(不正確だがこのまま使う*5)しかない」は実質的に、「効かない」のと同じ意味です。ここは非常に重要です。

ホメオパシー支持者が、プラセボでも、、、と言うのは措いておいて、批判者でも、プラセボとしての使用なら許容出来るのではないか、と言う方もいます。私は、この部分に関する議論が全く足りていないと思います。率直に言えば、「プラセボ使用の是非」というトピックを軽く見過ぎです。
ホメオパシーは、実質的にプラセボである砂糖玉に、「実態と超絶に乖離した」意味付けを行い、効果があると称して与える方法です。砂糖玉はプラセボですから、非特異的効果に期待する(それにしか期待出来ない)と言えます。当然、非特異的効果を最大限発揮させるには、巧みに嘘をつく(2010年9月1日追記:文がおかしかったので表現を変えた)大げさなことを言う必要があります。いかにそれが効くか、驚異のメカニズムが働いているか、などです。しかしそれは、いかに上手く嘘をつくか、を意味するので、倫理にもとる行為でしょう。

かと言って、砂糖玉への意味付けを解体したら、ホメオパシーアイデンティティは崩壊するでしょう。そもそも希釈・振盪だのバイタルフォースだの、量子力学だの水の記憶だの、を持ち出して虚飾を重ねに重ねているのが現状のホメオパシーです。水の記憶や量子力学はともかく、希釈・振盪のやり方の、言わば核の部分だけは棄て去ることは出来ないでしょう。

使用を軽症に限定させる、といった妥協的な案もあるでしょうが、その場合に、砂糖玉への意味付けはどう扱うのでしょうか。あれは、まじないや、痛いの痛いの飛んでいけ、といった、社会的に周知された嘘、とは違いますよ。そもそもの由来が療法として発想されたものだし、百年以上を重ねて肥大してきた虚飾の体系です。そんな体系を、社会的に標準医療と共生させることは可能ですか? より具体的な案はあるでしょうか。

標準医療におけるプラセボ使用は、「標準医療的に効く」と期待させる条件が含まれているはずです。具体的な成分や作用は知らせずとも(知らせることは出来ない)、医師が医学に則った物を使っている、と認識させる訳です。その標準医療での使用でさえ是非が問われるのに、現代科学及びそれに拠って立つ医学医療、と真っ向から反する原理の説明と密接不可分なホメオパシーの砂糖玉の使用を、軽症に限定するといえど社会的に許容する、というのは私には理解出来ません。やるべきことは、それは効かないと周知させることと、標準医療はそれを絶対に使わない、と宣言することです。その意味で、私は学術会議の唐木副会長の言に賛同するものです。

*1:「ようなもの」とわざわざ書くのは、心理療法もエビデンスベイストを志向して行われるべき療法であるから。

*2:中には効かないと分かってやっている人もいるかも知れないですが。

*3:二重盲検試験下では、どちらかの群に割り付けられることは知っているので、自分がどちらを与えられたかは知らずとも、「効かないものが与えられているかも知れない」という認識は持つ。

*4:ホメオパスの自覚はもちろん、レメディ自体が効くというものでしょうが。

*5:多くの場合、プラセボ効果は非特異的効果と同義に用いられます。