科学

私が「科学」と言った場合、それは19世紀頃に制度化された所の科学を指す。従ってそれは、専門家集団の相互批判による知識の集積・検討という仕組みそのものをも含む概念として捉える。
最も広義には、人文・社会・自然諸科学総体、つまり「学問」と同様の意味とする。それぞれの分野におけるスタンダードの方法を踏まえた知的な営み全体を科学とする。であるからその場合には、哲学や数学などの分野も含む。哲学にしろ数学にしろ、学術論文を執筆しそれが査読され専門家集団に認められて標準的な知識となっていく、という営みを行う。その意味では制度そのものを科学と言う、とも看做せる。

それを踏まえるならば、古代における占星術は科学であったのか、などの問いに関しては、「その問題に興味はない」と答えることが出来るだろう。そのトピック自体は科学哲学的に興味深いものであるが、現在社会的(狭く捉えれば専門家集団)に得られているであろうコンセンサスとして、洗練された社会制度によって知識をふるい落とし、あるいは体系として確立していく知的な営為のことを「科学」と称している、と考えて良いだろう。そう捉えるならば、「古代にそもそも”科学”は”ない”」と主張することが可能だと認識しているのである。

また、「科学」を狭義には、経験科学を指すものとして用いる。すなわち、自然・人文・社会科学の内、経験的に得られたデータに基づいて理論を確立していく分野を言う。そのことを「実証」と表現するならば(かつ、哲学や数学の論証を「実証と呼ばないことにする」ならば)、実証科学と言っても良い。
一般に哲学や数学は、経験的なデータ、つまり観測・観察・実験・調査、等によって得られたデータによって理論を作り上げ検討していくのを前提としないので、この意味での「科学」には含めない。

科学史の教える所によれば、「科学」という日本語は、その出自からして「個別諸科学」を指していた、つまりそもそも「学問」と同様の意味合いを持つと看做せる内容であったとのことであるから、それは押さえておくべきであろう。

野家啓一『科学の哲学』を参考にした