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http://blog.goo.ne.jp/micropterusandsalmo/e/0d69b6dbac18a983ef28730e774a2327

私は、事故が起きてから結構早くに、『改訂 原子力安全の論理』を読んで、この問題の全体像を把握して適切に検討するのは「無理」だと悟りました。あまりにも要求される知識の量と押さえておくべき分野の範囲が、自分の既有の知識に比して広くて多すぎるので、何か言うと付け焼刃にしかならぬだろう、と。そして、それなりのクオリティの論考が書けるようになるには、どう短く見積もっても数年はかかるだろうな、と。ぱっと思いつく限りでも、物理学(特に核物理)、原子力工学(これ自体が、核物理のみならず、構造力学や材料工学、確率論等が複雑に絡んだ応用科学的、学際的な分野)、疫学、気象学、食品科学(食品汚染)、海洋学(海洋の汚染)、生物学、等々にわたる広汎な知識が必要とされる。

要するに、能力的に無理な訳ですね。だから、「黙る」しかない。あるいは、曖昧なことしか言えない。それが、見る人によっては煮え切らない態度に感じられたり、あるいは原発を利する行動に思えるんでしょう。でも、そんな見方をされても困るんですよね。

私自身、ゲーム脳を批判的に考察してみよう、と考えてから、集大成であるゲーム脳Q&Aを作り上げるまで、4年くらいかかっています。その間に、森氏の発言等、ゲーム脳論に関わる資料を集めたり、心理学・神経科学・統計学・社会調査・科学哲学、等々の色々の分野を齧って持説を組み立ててきました。やっぱり、軽く数百時間はかかっています。
論が脆弱であっては話になりませんから、下準備がそれなりに必要です。一つの説を検討するだけでも、ある程度の労力を割く訳ですので、せめてそこの所は心の片隅に置いておいてもらいたいものです(こっちも苦労してるんだから、、、みたいなことを言いたいんじゃなくて、ちゃんとやるにはコストが絶対にかかるので物理的に無理なこともある、て話ですからね)。