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「病気をねじ伏せる西洋医学」?

特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 宗教学者・島薗進さん− 毎日jp(毎日新聞)

科学と人間の関係を直視するようになったのは、28歳の時の闘病も影響している。「胃腸を悪くし、病院で薬を飲み続けたがまったく治らず、最後はおきゅうで治したんです。病気をねじ伏せる西洋医学と違う方法、価値があるという考えがその時はっきり出てきました」
※強調は引用者による

「おきゅうで治した」という現象を、より正確に記述するならば、「おきゅうを使った→良くなった」という事だろうと思われます。と言うのは、「おきゅうによって治った」事を言うのはむつかしいからです。
確かに、色々試してみて、その後に改善された時に、その試した何かが効いた、と考えがちで、そういう経験を周りに話す時も、○○が効いた、とか、△△で治した、みたいな言い方をしてしまう事はあります。雨乞い三た論法みたいな感じで、実は因果関係に無いかも知れないのに、それが効いた、と考える。
体験談として、何かをやったら良くなった、と報告する事自体は構わないでしょう。表現の仕方については色々考える所はあるけれど。しかし、その後にある、「病気をねじ伏せる西洋医学」と言っている部分。これはどうなのでしょうか。ここは、ある知識や方法の体系についての評価であるから、それが妥当であるかどうかは重要であると思われます。
「ねじ伏せる」という表現は、この文脈からすれば、ネガティブな意味合いが付与されているように見えます。力任せとか、抑えこむとか、そういう乱暴な感じ。言い方を換えると、柔軟で無い、細心で無い、といった風。
けれど、実際にそうなのでしょうか。ここで言われている「西洋医学」というのは、我々が思い浮かべる所の「病院でされるようなもの」を支える知識の体系を指す、のでしょうが、その根底に、「病気をねじ伏せる」という思想なりがあるのか。
私の身近にも糖尿病患者がいますが、生活習慣予防であるとか、歯科領域での歯周病予防などを思い出すと、およそ「ねじ伏せる」という表現には合わないように感じます。体重量ったり血液検査したりして、患者個別の状態を把握して、もっと運動をした方がいい、とアドバイスしたりとか、薬の量を増やしたり減らしたりする、といった事が行われますよね。それを考えると、ねじ伏せるというより、(しばしば見聞きする表現ですが)病気と「付き合う」という表現が合っているようです。上で、身近に糖尿病患者がいると書きましたけれど、この病気は、今の所は、完全には治らないものとされていますよね。だけど、運動や食事や薬によって、上手く状態をコントロールするよう持っていく事は出来る。別に、糖尿病だからといって薬をバンバン渡される訳ではありませんし。
島薗氏の言は実は、昔はそういう傾向にあったのだ、という事の主張なのかも知れません。でも、敢えてその若い頃のエピソードを書くのは、その時懐いた印象が変わらないままであるから、と推察する事も出来ます。
私も手術で入院した時がありますが。解らないのですよね、実感として。「ねじ伏せる」なんて評価をする事が。あれだけ献身的に治療や看護をされ、患者個別に細やかに対応している医療従事者の姿を見ていると。歯科の定期健診に行くと、生活習慣について質問され、どれが良いか、悪いか、というのが探られますよね。パンフレットやWEBサイトでの案内でも、歯科には歯が痛くなってから行くのでは無く、悪くなる前に予防的に通うものだ、という風に言われていますが、これも、「ねじ伏せる」という印象とは異なります。
(敢えて言葉を借りて)私のイメージする「西洋医学」とは、システマティックに現象を把握し、患者個別に予防段階から対応するアプローチをとる方法、というようなものです。

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少し話は替わります
ある対象があり、それに関連する何らかのインパクトある経験をした場合、その対象に関わる全体について、強い評価を行う事があります。ポジティブにしろネガティブにしろ。この療法が効いた!(から、それを支える思想や主唱者の人格等を丸ごと肯定する)、これは駄目だった!(から、それを取り巻く諸々を丸ごと否定する)、といったように。
けれど、自分の経験は、ある方向から見えた一面を捉えたものに過ぎない可能性がある、という事をよく考え(弁え)、経験そのものを相対化して、客観的(という言葉が嫌いなら、間主観的でも何でもいいけれど)な証拠に判断を委ねる、という事こそが、健全な懐疑的態度であろうと私は思います。

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2012年10月20日追記
記事を見て、東大医学部長を務めた祖父とは島薗順次郎の事かと思っていましたが、Basilio_IIさんのブクマをきっかけに調べた所、それは島薗順次郎では無く、田宮猛雄である事が判りました。歴代医学部長:東京大学大学院医学系研究科・医学部に歴代医学部長の氏名と任期があります。祖父、というだけならば論理的には、田宮猛雄と島薗順次郎の両方が水俣病の病因隠蔽に関わった可能性もまだ棄てられませんが、島薗順次郎のプロフィールと東大医学部のサイトを参照すると、医学部長を務めたという事は無いようなので、島薗進氏は田宮の事を指して「東大医学部長を務めた祖父」と言ったと推察出来ます。順次郎の没年等も考えれば、間違い無いでしょう。
参考資料として、島薗進氏がtwitterで言及した記録に張っておきます⇒Twitter / Shimazono: 放影研は予防衛生研究所と関連が深く、戦後、伝研の軍事 ...