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文と理

観点

理系と文系の本当の違い
理系の議論と文系の議論 - 脱社畜ブログ
法学の方が『理系』で、工学の方が『文系』という話 〜本当の理系と本当の文系について〜 - 雪見、月見、花見。
「文系/理系」という語は、ある対象について便宜的に分類するために用いられる言葉だから、真面目に考察するならば、その語が用いられてきた歴史(意味の変遷等)や現在の用法、等をきちんと資料を引きつつ検討する必要があるでしょう。歴史的な経緯にクローズアップするならば、色々の文献を参照しつつ、このような用法があった、として分析していく(縦断的)。現在の用法を見るなら、沢山の人の「使い方」を調べ、どのような意味がその語に付与されているかを考える(横断的)。そのくらいはしないと、理系とはこうだ、文系とはこうだ、と自信を持って主張する事は出来ないでしょう。
上で貼ったリンク先はいずれも、そういう事をしていません。個人の経験の一般化に留まっていたり、歴史的な用法を踏まえずにいつの間にか独自の定義を行なってそれを前提に話を進めていたり。
ここら辺をちゃんと整理して、どの観点からものを言っているのか、について諒解を取っておかないと、それぞれが異なる観点からの主張をして、全く話が噛み合わない、という事になりかねません。

分類の対象

色々な議論を眺めていると、文系/理系の語は、

  • 学問分野の分類
  • 思考様式の分類

こういう分類に用いられているようですね。前者は、文学や法学等を文系に含めたり、物理学や化学を理系に含める、というような分け方。加えて、現行の「制度」の話にも繋がってきます。高校での科の区分や、大学の学部の区分。
後者は、「ものの考え方」の分類。理系/文系 的思考と言ったり、それぞれの行動様式を云々したりするもの。
当然、それらは相互に関連しているものと思われます。つまり、色々な学問分野には、

  1. 大きく「理系/文系」に分類する根拠となる興味深い特徴があると考え、
  2. その特徴を持つ分野を学ぶ人間の思考様式にも何らかの共通する特徴があるとする。
  3. そうすると、この学問分野を志向する人はこういう思考様式を持っている人だろうから、この分野の人はこういう考えの人が多い。

というように関連させて考察している。

学問分野の分類

学問分野を分類する時にも、どのような特徴に着目するかで色々なものが考えられるでしょう。たとえば、

  1. 研究対象
  2. 方法

1は、「何について考えるか」という見方。ポピュラーである、人文/社会/自然 科学、等の分け方がそうでしょうか。自然現象に目を向けるか、人間の社会的、文化的な活動に目を向けるか、といった違い。
2は、どのようなアプローチでもって対象を解明するか、という観点。論理学と社会心理学と力学では、明らかにその方向は異なっています。観察や実験、観測等によって得たデータを拠り所にして理論を構築するような分野を実証科学や経験科学と言ったりする場合もありますね。
科学の分類であったり、分類の根拠になる特徴の考察は、当然の事ながら、昔から色々の学者により、色々な試みがなされていて、たとえばヴィンデルバントは、自然科学を「法則定立的」、歴史科学を「個性記述的」な学問として特徴づけたりもしたそうです(渡邊二郎『現代の哲学('01)』)。
いずれにしても、学問分野の分類自体が一筋縄ではいかないむつかしい問題で、その事をきちんと歴史的に紐解いていき、「どのような分類が試みられてきたか」を考察するのが肝要に思います。
また、先に挙げた「制度」の話もあります。高校や大学の科の分け方。それに基づいて理系/文系 という語が用いられる場合がある。その成立と変遷の過程を考察するには、歴史的なアプローチ、文献の探索等を丹念にする事が必要となりましょう。それ自体が骨の折れる仕事だと思われます。

思考様式の分類

これは、「学問分野の分類」に依存するのでしょうか。つまり、学問分野の分類があって、その「分類に対応した」思考様式が特徴として着目され、「思考様式の事を理系/文系 と表現する用法が出来た」のでしょうか。それとも、思考様式に対する分類として理系/文系 が先にあったのでしょうか。場合によっては、そのような根本的な問いから立てるのも重要です*1
最初にリンクした三番目のエントリーでは、人間の「思考方法」を帰納と演繹に分け、それに基づいて理系/文系 を分類して考えていますね。wikipediaにも載っている由緒正しい単語というのがどういう事なのか解りませんが*2、それはともかく、私が疑問に思うのは、

  • そもそも、人間の思考様式を、論理的な推論の形式である「演繹/帰納」の分類に基づいて分ける事が妥当なのか。
  • 仮に、人間の思考方法を何らかの基準で二分出来る事が妥当であるとして、そもそも人間の「思考方法」に従って「理系/文系」を分けるのは適切なのか。

という所です。
リンク先では、人間の思考方法を演繹と帰納に大きく分け、それを、理論体系の構築の分類にも適用しているようです。下の方では、「暫定理論」というものについて何やら考察がなされています。随分と割り切っていると言うか、色々なものを削ぎ落としているようにも見えました。その辺の所は、ポパーやクーンやラカトシュクワインが考えた、ものすごくむつかしい議論ではなかったのかなあ、等と思いました。
先に、「人間の思考方法を何らかの基準で二分出来る事が妥当であるとして」と書きましたけれども、根本的な問題として、そもそもそれが確認される必要があります。じゃ無いと、それを前提とした立論は不安定なものと言えるでしょう。それには、思考に関わる心理学的なアプローチでも使うべきでしょうか。いずれにしても、それらは実証的に確かめるべき事柄です。

確かめる

「理系の人々はこう考える」
というような主張があった場合、
対象が理系か文系に属しているという事を決められる(判断出来る)。
のがまず必要です。もちろんその前提として、
理系とは○○である。文系とは□□である。
という定義も必要です。
その上で、
理系の人にはこう考える人が多く、文系の人はこう考える人が少ない。
事が示されねばなりません。さすがに、理系/文系 の人が「全員」そうである、というほど強い主張をする人はそうはいないでしょうから、このような定量的アプローチを採る事になります。もちろん、「こう考える」という部分も測定出来るのが前提です。
一つ目のリンク先では、

興味が向かう方面に関しては努力も苦にならず、能力が伸びる。その結果、理系は物事に入れ込むオタク気質に、文系は人間関係に強いリア充になる

こういう事が書かれています。読解がむつかしいですね。「理系」「文系」がどういう意味を持っているか判然としない。何しろ、

理系は事象や物それ自体に興味を抱き、人間同士の営みについてはあまり興味がないが、文系は基本的に人間中心主義で、人間関係に強く関心を寄せる。

と初めに書かれていて、そもそも「理系とは何か」「文系とは何か」が示されておらずに特徴が言われているのですから。あるいはこれは「定義」なのかも知れませんが、それだと、そもそも定義について諒解を得ないと話にならないではないか、となります。で、そのまま、「理系は物事に入れ込むオタク気質に、文系は人間関係に強いリア充になる」と、「なる」という、変化あるいは因果関係を主張していて、結局、要するにその理系と文系という語は何を指しているのか、と思わされる。
二番目のリンク先では、ご自分の工学及び法学の勉強に基づいて、理系と文系の特徴が考察されています。
でも、です。工学も法学も、ある大きな分野(理系と文系)に属するものの一分野な訳ですね。学問分野は、大学の科目案内やシラバスを見れば解るように、相当膨大です。その内のいくつかの分野を勉強した経験をもって、その上位カテゴリーの特徴を一般論的に云々する事がどのくらい妥当なのだろう、と考えられる訳ですね。それが適切と言えるのは、下位分野が悉く同じ特徴を備えていて、上手くその特徴を掘り起こして来る事が出来た場合、なのでしょう。リンク先では、その特徴として「議論の仕方」を挙げていますが、果たしてその検討が妥当か否か。
ここで一つ引用します(強調は原文)。

理系の学問では、ある事象について見解がわかれた場合には、実験結果や数式の操作によって白黒をつけようと試みる。ここで強調されるべきなのは、理系の学問が「客観性」と「再現性」に重きをおいているということだ。

エントリーの流れからして、「理系の学問」は、大学の学部等の分類であると看做せます。そして、「理系の学問では」と書いている所から、以後の文が、「理系か文系か」を分類する特徴と捉えているのが解ります。
ここで一つ疑問を投げるとするならば、

  • 心理学は理系か文系か
  • 心理学は「客観性」と「再現性」に重きを置くか

となるでしょう。
二番目のリンク先の主張については、

  • 理系の学問の代表として工学を挙げ、文系の学問の代表として法学を挙げる事の妥当さ。
  • その経験による特徴の捉え方が適切である事。

の両方が示されなければ、論は頑健なものとは看做されないでしょう。

問い

理系はこうである、文系はこうである、みたいな考察をしている人に問うてみたい事があります。それは、

  • 理系とは、文系とは、という問題自体は、理系の問いか、それとも文系の問いか
  • あなたの考察、つまり解答そのものは、理系的な答えか、それとも文系的な答えなのか

というものです。

*1:前者だと思っているけれども、これこれこうである、と自信を持って提示出来なければ強固な主張とは言えない

*2:Wikipediaに載る事と由緒正しいという事がどう結びつくのかよく解らないという意味です