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分母、濃さ、文脈

HPVワクチン(子宮頸癌ワクチン)は危険。接種してはいけない。 - Togetter
そもそも、「多い」だの「沢山」だのといったものは、文脈に依存して評価されるものなのです。
たとえば、
「この塩水には塩が30g含まれている」
と見聞きした場合、
「塩が沢山入っているなあ」
と思いますか? 結構思った人がいるのでは。
では、次のような情報が追加されたらどうでしょう。
「この塩水は全部で10kgある」
どうですか。あ、薄いのか、てなりませんか。
多分ですね。「塩が30g含まれている」という文を見た時に、身近の現象を手がかりにして想像する場合があると思うのです。つまり、塩を計量スプーンで量る事を思い浮かべたり、一日の食塩の推奨摂取量を考えたり、自分の調理経験や味噌汁の味を思い出したり。それと比較して、「多い」「沢山」と感ずる。要するに、

  • 身近で使用する範囲での塩の量
  • 塩水に含まれている塩の量

とを比較して、多い少ないの評価を行なっている。けれども、ここでは「塩水」の話をしているのだから、本当は、塩が溶かし込まれている「水」の量を考えなくてはならない訳です。塩水全体に対する塩の割合。日常的な言葉遣いをすると、物自体の重さだけで無くて、「濃いか薄いか」を検討した方が良いという事。
たとえば、給食やホテルで供される食事に用いられる素材・調味料の総量は、家庭で使う量の何十倍・何百倍にもなるでしょう。その時に、家庭で使う材料より給食で使う量の方が遥かに多い、と言っても、それはそうですね、としかならない。
で、ワクチンの話です。
まずdmburgさんは、特定のワクチンの接種後の有害事象件数を調べて、「数多くの」と表現している。それに対してNATROMさんは、ワクチンを接種する人が多くなれば、有害事象報告の実数も増えるであろう、と言っている訳です。件数だけ出してもあまり意味が無い、と。これは要するに、先ほどの塩水の喩えを使えば、「塩の量では無くて塩水の濃さを考えなくてはならない」というようなものです。薄い塩水でも、塩水全体の量を増やせば、塩自体の量も増える。そうしたら、その塩の量が「多い」ように思えてくる、という。
だから本当は、「あの塩水よりこの塩水の方が濃い」と言わなくてはならない、という訳ですね。
ところでdmburgさんは、

有害事象報告システムに「何かよろしくないこと」が沢山報告されている時、「因果関係は解明されてないから副作用ではないし、騒ぐ必要もない。無駄な心配しないで、どんどん接種しなさい」というのは、医師としても人間としても間違っているのではないか?
http://twitter.com/dmburg/status/312070916358156288

こう書いています(強調は引用者)。対してNATROMさんは、

有害事象がたくさん報告されているのに「因果関係は解明されてないから副作用ではないし、騒ぐ必要もない。無駄な心配しないで、どんどん接種しなさい」という主張は間違いですね。有害事象がたくさん報告されているだけでワクチンが危険だという動かぬ証拠だ、と主張するのと同じくらいレベルの低い間違いです。
http://togetter.com/li/468289#c1004226

このように返している。ここで重要なのは、私が強調を施した所です。
dmburgさんは、因果関係が「解明されていない」事をもって「副作用ではない」と考える医師を批難しています。実際、因果関係が「解明されていない」事から言えるのは、「その事象が副作用かは判断出来ない」という所までです(と言うか、判断が出来ていないから解明が出来ていないと看做されている)。だからNATROMさんは、「確かにそんな医師は間違っている」と言っている*1。これはつまり、dmburgさんの「想定する医師」は確かに間違っている。で、「そんな医師がどこにいたのか」と暗に言っているのです。それは藁人形じゃ無いの?と。アイロニカルな表現だから、当人には伝わらないのでしょう(そもそも解ってもらうつもりも無いだろうから)。

「ワクチン接種で一万人に1人くらい死んでも当然、驚くべきことではない」を基本的な考えとして、医師として人々にワクチン接種を進める人は、思考停止か病的に想像力が欠如しているか、他人の命なんかどうでもいいと思っているか、のどれかです。
http://twitter.com/dmburg/status/312074058017689601

ここのポイントは、やはり「比較」の観点が無い所。本当は、
「ワクチン接種一万人に1人くらい死」ぬ
事は(強調部分の「で」は因果関係を表している)、
「ワクチンを接種しない事で一万人に x 人くらい死ぬ」
事と比較しなければならないのですね。ワクチンを接種するのと接種しない事のリスクと便益を勘案しなければいけない。もちろんそのような話は、ワクチンによって一人たりとも死んではならないという信念を持つ人からすれば、全くナンセンスなのかも知れません。しかし、さすがにそこまで考える人は、そうはいないでしょう。であれば、まず量を比較する所から始めねばなりません。

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togetterでも論点になっている「有害事象」については、この辺りが参考になるでしょうか⇒有害事象 - 薬学用語解説 - 日本薬学会
つまり有害事象とは、薬物との因果関係がはっきりしないものを含めた概念。という事は、因果関係があるものも無いものも有害事象に含まれるのを意味します。有害事象は、1つの原因からしか起こらないという現象では無いので、「色々な原因で起こり得る」事を押さえる必要があります。
「ワクチンを接種した→好ましく無い事が起こった」という「前後関係」があったとして、それが即因果関係を反映しているとは言えません。因果関係の証拠が無いのに誤ってそのように判断してしまう事を、「前後即因果の誤謬」と表現したりします。
で、そういう事情があるから、あるものが何らかの悪影響を及ぼすのではないか、というのを明らかにしたい時には、そのものを与える/与えない 以外の条件をなるだけ揃えて比較していく、のが大切となる訳です。

*1:有害事象がたくさん報告されているだけでワクチンが危険だという動かぬ証拠だ、と主張するのと同じくらい