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観察の範囲と主張の範囲

学歴の有無と常識の有無 - 脱社畜ブログ
※強調は引用者

もっとも、統計的にその傾向が否定できるかというと、これは残念ながら否定できないのだと思う。学歴が低い人の中の非常識な人の割合と、学歴が高い人の中の非常識な人の割合を比較すると、おそらく前者のほうが多くなる。このあたりの事実が、「低学歴」というレッテル貼りに繋がっているのだと思う。

思うおそらくというのが、いつの間にか事実になっていますが。その事実とは、そう思い込む人が多いという事実ではありませんよね? いや、そうだとしても、そう思い込む人が多いと思う、というより上のものではありませんが。

ただ、この相関は擬似相関である。

思うから事実になり、そこから擬似相関である。というのを断定的に言っていますね。どこまで導き出してるんですか。

この「育ちの良さ」は、現代日本の学歴形成に裏で無視できない影響を与えている。

無視できないというのがどれほどかよく解りませんね。どのように影響を与えているのかも解りませんし説得力がありません。
最初の引用文に戻りますが。

もっとも、統計的にその傾向が否定できるかというと、これは残念ながら否定できないのだと思う。学歴が低い人の中の非常識な人の割合と、学歴が高い人の中の非常識な人の割合を比較すると、おそらく前者のほうが多くなる。このあたりの事実が、「低学歴」というレッテル貼りに繋がっているのだと思う。

一つ強調部分を増やしました。
あのですね。何かすごく簡単に書いていますが、この意見は、広く社会一般に通底する傾向に関するものなのですから、どうしてそう言えるのかが示されないと説得力を持ちません。思うというのに留まらない、きちんとした証拠を探してきて検討するのがとても重要な事です。私達の観察範囲等、たかが知れていますからね。そういうのを調べるための学問が社会学の中の社会調査論などでしょう。と言うか、統計的って言葉をすごく適当に使っていませんか?
常識/非常識というものをどう定義し、どこで線引するかとか(学歴にも同じ事が言える)、それをどのように測るかとか、割合をどうやって比較するかとか、そもそも全体の内からどのくらいの人を集めるのかとか、コストとの兼ね合いとか、真剣に考えるべき所は沢山ある訳です。結果的に直感・直観が実態に合っている可能性はあるけれども、結局最初の意見は、当てずっぽうでしかありません。
学生は全国に何万人いますか? それを全体と考えた時に、割合というものを一体どうやって比較しますか? 全員調べますか? それじゃ費用が掛かり過ぎるから一部だけ採りますか? じゃあどれだけ採ります? そういう所から真剣に、じっくりと検討しなければならない問題です。
別に、個人の観察をヒントにして一般的な所について想像してはならない、というのではありません。挙げられた根拠に比して(と言うか、根拠など当該エントリーには無いですが)主張が先に行き過ぎでしょう、という事です。
これは細かい話ですが、タイトルの「学歴の有無と常識の有無」を見て、学歴や常識を有無と表現する所が興味深いな、などと思いました。実態は、学歴にしろ常識にしろ、二値的なものではありませんよね。もっと細かい段階があるものでしょう。もちろん、日常的に、どこかでカットオフポイント的なものを定めて二値的に評価する、のはあるでしょうけれど、そのどこかが重要とも言える訳です。常識の方が、より二値的な表現がされやすい気もしますが(社会的に望ましいとされる行動と言うか記号のパッケージを備えているかどうか、という観点での評価)、それ自体が社会科学的な考察の対象なのでしょう。
それを踏まえて、
学歴の高低と常識の有無
と表現を変えましょう。そして、
学歴の高低と常識の有無に関連はあるか
といったものが、ここで検討されるべき仮説、と言えましょう。
それで、その説を確かめるためには、

  • 学歴の定義
  • 学歴の高低の測定尺度の検討(尺度水準の検討、質問項目の構成含む)
  • 常識の定義
  • 常識のある無しの測定尺度の検討(尺度水準の検討、質問項目の構成含む)
  • 関連の指標の検討
  • どの程度の関連を意味あるものと看做すかの検討
  • 母集団の設定
  • 最初に設定した仮説に対応する作業仮説、即ち、それが成り立っているとすればどのような結果が見出されるか、という部分の設定
  • 標本抽出法の検討
  • 統計解析法の検討
  • 費用や倫理的問題等の検討
  • 実際の調査
  • 調査の評価、解釈
  • 調査の他者による検討

少なくともこれらがなされないと充分とは言えない訳です。更に、リンク先では、擬似相関という用語も出しています。これはつまり、因果関係の検討をも含むアプローチを採らねばならぬという事です。即ち、単なる相関仮説では無く、因果仮説にも一歩踏み込んでいるのを意味します*1。何故ならば、学歴と常識には関連があるだろうが、それは因果関係では無かろう、と主張しているのですから*2
社会的な事に関しての一般論が解ったような感じがするというのはあるのでしょう。と言うか、私にもよくあります。けれど、それを説得力あるものとするには、見合った証拠が示されねばならないのです。

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余談。
学歴が無い者は常識が無い、というのが常識である、みたいな評価や認識を考えるのも一つ興味深いアプローチだと思いました。
道徳観が滋養される滋養が何だかしっくりきませんね。滋養にされるがつく事ってあるでしょうか? 涵養だろうな、と思いますけれど。

*1:相関仮説及び因果仮説の用語は、南風原・市川・下山【編著】『心理学研究法』を参考にした

*2:これとこれは因果関係にあるのだろう、というのでは無く、これとこれの関連はその2つの因果関係の結果では無かろう、という意見