化学物質過敏症ならば

NATROMさんは、
化学物質過敏症と診断された者、自称する者の症状は悉く心因によるものである。
と言っている訳ではありませんからね(悉くを全てと同義で使っています)。表現を変えると、
化学物質過敏症」ならば心因である
と言ってはいません。
ふつうに文を読めば解るけれど、NATROMさんを批判する人の発言を読むと、解っていないように見える事がしばしば。
NATROMさんの掲示板でも書いた事ですが。
化学物質過敏症を訴える者の症状が実際のものだとして、原因の可能性を大きく3つに分ける事が出来ますね。すなわち、

  • ごく微量の、とある物質←化学物質過敏症なる概念を支持する論者が主張する原因
  • 心因
  • それ以外

こうです。NATROMさんは、恐らく化学物質過敏症を訴える人の多くは心因によるものであろう、と言っているのであって、化学物質過敏症を訴える人は全て心因であろう、と主張してはいません。だから、化学物質過敏症を訴える者の症状のいくつかをクローズアップして、それは心因で起こり得るのか? と単に言い続けても、あまり意味がありません。他の何らかの疾患を持っているのでは? と返せるからです。
上で、大きく原因を3つに分けましたが、それ以外の原因には、

  • 既知のもの
  • 未知のもの

があります。これまで医学の知見として得られた疾患の概念が既知のものなのですが、当然、医学的知識というのは完全では無い訳で、既知のものに照らして該当しそうなものが無い場合は、何かこれまでに知られていない仕組みによって症状が発現しているのではないか、と考える。
もちろんそう考えるのは、既知の知識による検討を充分に受けた、という前提が必要です。きちんと調べていないのに(既知の概念で説明出来るのに)、何か知られていないものなのではないか、と早合点しては何もならないので。
多分、既知のものに関しては悉く調べ尽くしたのだ、と主張する人がいるでしょう。その場合に考えるべきは次の2つ。

  1. 本当に既知のものを調べ尽くしたのか
  2. 概ね既知のものを調べられ、それらの可能性を否定出来たとして、即座に、微量の物質が原因である、と言える訳では無い。

1は、知られている原因、あるいは疾患の概念に関して本当に調べ尽くされたのか、という事です。医学も専門分化されていますし、1人の医師があらゆる分野について知識を持っている訳ではありません。同じ分野内においても、勉強しているかどうかで知識に差が出るでしょう。高度に専門的で、知識が広く一般に行き渡っていない段階、という場合もあるのでしょう。
また、誤診の問題は、医学医療につきまといます。既知のものであっても、検査が誤っている可能性は当然、理論的にあり得ます。
2は、もし、ある症状に関して、現在それの原因と想定されるものが概ね調べられ、そしてそれらが原因の可能性が低いという事が高い蓋然性をもって言えると考えられた場合(本来科学的には、このような持って回った表現が限界なのです)、すぐに原因が、微量の物質と確定出来る訳では無い、という事です。何故なら、他に未知の原因の可能性は論理的にも科学的にも否定出来ないから。
どうして、二重盲検を用いたランダム化対照試験が化学物質過敏症の議論において重要かと言うと、ごく微量の物質に曝露させる、という情況を作り、害の無い物質に曝露させる情況と対照して、試験協力者に、自分がどちらに割り付けられているかを知らせない、という条件を与える事によって、心因で無ければその微量の物質が原因である/で無いと主張出来るからです。最初に分類した心因その他を盲検によって切り分け、その他の内微量の物質が原因かどうかを、その想定される原因を人工的に与える/与えない という条件をつけて比較する事によって見出す、という寸法です。

              • -

2013年8月31日追記
最新のNATROMさんのエントリーです⇒なぜ「化学物質過敏症」患者に対して包括的な検査が必要なのか - NATROMの日記