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言いたい事と読み取られる事

今更、ですけどね。
サイエンスカフェ:「科学者ではない」− 毎日jp(毎日新聞)
文章には、その人の認識が込められますね。それが、書き手の言いたい事
そして、その文章は、読み手が持つ言葉の体系によっって解釈される。同じ語でも違うように解釈されたりすれば、全体的な意味合いが異なる。言いたい事と、読み取られた事がずれる、という訳です。
で、これは新聞記事ですから、書き手の認識をなるだけ多くの人に正確に伝えるのが、記者のスキルとして求められる、というのがまずあるでしょう。この語はどのように解釈されるか、今の文脈であればこう取られはしないか、等を考えながら組み立てて、一つの記事が出来上がるのでしょう。紙面は限られているから、規定の文字数以内で巧くまとめるのも技術。
その意味で言えば、この記事は、全体として何を言っているか判然としない、と思います。一つ一つの語がどこに繋がっているのか解りにくいですし、段落ごとの関連が見えません。
背景をどのように捉えるか、も大切だと考えます。この記事は、科学あるいは科学者にまつわるトピックです。従って、世間一般はそれらの言葉をどう使うだろうか、それらの人々にどのような印象を持っているか、という所を考え、また、科学に携わる人は新聞記者の書く記事にどのように接するか、等も意識するのが肝要なのでしょう。
結果的に言えば、科学に関心を持つ人の一部からは、反発を招いたようです。一部、というのはもちろん、twitter等で積極的に感想を書いている人達、という意味で、実際、記事を読んだ全体からすると、ごくごく一部だろうと思います。
反発を受けた理由としては、言葉の選び方もあるでしょう。これは、どういう意見を持っているか、とは別の問題。このような場面でこのような語を用いたら印象が悪くなるのでは、みたいな観点。
私が思うに、次のような語がポイントではないでしょうか。

宇宙語
相手の言う事を未知の言語のように言うのは、揶揄しているような印象を与えるでしょう。更に、宇宙ですから、そもそも地球上に存在しない語なので、ますます揶揄的な印象を与えるのやも知れません。※地球は宇宙の一部だから地球語は宇宙語だ、みたいな話はしません。
こんな
他に、「このような」「こういった」等が、同じような意味合いとして用いられるでしょうか。微妙な違いですが、読み手の印象は、実は結構大きく異なるのかも知れません。
こんなもの
「こんな」と同じような感じですか。こんなものというのは、何か諦めを感じさせます。しょうが無いなあといった所。あるいは、期待した度合いに見合わなかった場合にもこの語は用いられるから、対象が見くびられている感があります。対象に改善の様子が見られないから自分が認識を変える事にした、というように読まれそうです。
通用しませんよ
教え諭すような表現です。しませんよだから、相手はそれを通用すると思っている / あるいは、通用させるという事に無頓着という事が前提されているでしょう。指摘と相まって、どこからものを言っているのだ、と思わされるのでしょう。

ここまでは、こう読まれそうという部分。ここでこの言葉を持ってくるかどうか、みたいな視点ですね。その観点からは、何と言うか、実に安易であるな、というのが私が最初に読んだ時の感想でした。
次は、記者が書きたかった事についてです。言葉は色々な読まれ方をするから、こうも読める、こう読んだ方が良いのではないか、というのを何パターンも探るのが重要ですね。

  • 言いたい事
  • 言った事

の評価は切り分けて考える事が出来ます。
言いたい事(言いたかった事)に関する解釈が、実際のそれとずれてしまうと、これはもう、事実として誤りです。間違い。
で、いや、その書き方じゃ伝わらんよ、という事はもちろん出来ます。これが、結果として出力されたものについての評価。
言いたい事と言った事の評価は別というのは、そういう話です。そこは押さえておきたい。それをせずに、記者はこう考えていると決めつけるのはまずいのです。もしかしたら書き手はこう認識しているのではないか、というのを書かれたものから推察して、こうも解釈出来る可能性はある、と色々考えておく。そうすると、書かれたものはおかしいが記者の認識には同意出来る、となる場合もあります。言いたい事はこういうものなのかも知れないが、文章がまずかった、というように。
それを踏まえて、私の読み、を書きます。最初に読んだ時は言いたい事がさっぱりだったけれど、こういうのが言いたかったのかな、と何度か読み直して考察したものです。

第一段落

研究者から、自分達の事を理解している、と評されたと書かれています。という事は、記者は、一定水準の、科学に関する知識を有していると推測出来ます。
もちろんこれは、

  • 記者の記憶が正しい
  • 研究者の評価が妥当
  • 研究者のレベルが水準以上

という幾つかの前提を満たすとすれば成り立つ、というものです。
この前提を認めれば、記者が科学の勉強を蔑ろにしているとか、解らない事を開き直っている、といったような評価はしにくい。

第二段落

取材対象者の言葉が「宇宙語」にしか聞こえなかった。とあります。「当初」というのは恐らく、記者になった当初、の意味でしょうから、記者に成り立ての頃に、取材対象者、即ち科学者の言葉は宇宙語としか思えなかった、と。ここで宇宙語と言っているのは、聞き手のレベルに合わせて表現を変えるような事をしないで、専門用語を駆使して説明する、というようなケースを表現しているのでしょう。
それに続けて、「理系の研究者とはなぜ、こんな考え方、表現をするのか」です。こんながどこにかかっているか、ですね。聞き手のレベルを考慮しない事? それとも、自然科学的な知識に関わる話? 科学的な内容よりとあるから、多分、コミュニケーションの姿勢の話なのでしょう。
科学者とはこんなもの
これを見ると、科学者は変化しない、あるいは、変化が期待出来ない、という諦めが感じられます。そして、慢心
文章の構成から、慢心は記者自身にかかっていると考えるのが適当に思われます。そして、何が慢心かと言えば、折り合いをつけ、取材するようになった所。これは結局、科学者の姿勢が変化しない事を、まあいいか的に諦めた自分自身の事を言っているのでしょう。
では、その慢心に気付かされた記者は何を考えたか。

第三段落

その他の分野でも同じことだが、とあります。ここから、記者はこのような話を、科学に限らない一般的なものとして考えている事が解ります。

「あなたの言っていることは、あなた以外の世界では通用しませんよ」と指摘することも、

記事を読んだ人の大きな反響を呼んだ部分です。二段落目までを踏まえるとこれは、
説明の姿勢を変えない研究者
を対象としている事が解る。要するに、
そのままの説明の姿勢では、外部の人には話が通じない
と言っている。その前の科学記者は、科学者ではない。というのを併せて読むと、科学記者は科学者では無く、科学の知識を正確に解りやすく伝えるには限界があるから、科学者自身も説明に工夫して欲しい、という事を主張しているのだと読み取れます。
ここで最初の段落に戻ります。
内心、「これはまずい」と感じている。とあります。これはというのは、研究者に、理解してくれている、と評された事です。
そして、どうしてまずいと考えたのかと言えば、
あなた以外の世界では通用しない事
が、自分には通用している
のを知ったから、なのでしょう。研究者は姿勢を変えないというのが記者の前提としてあるから、姿勢を変えていない研究者に理解されていると評された事に関して、このままではいけないと考えた。
ここまでをまとめると、

  • 研究者は自分(江口記者)が科学の事を理解していると評してくれた
  • 研究者の言っている宇宙語が理解出来ていると評された事はまずいと思った
  • 宇宙語をそのまま話させ、それを理解しようとした自分の姿勢に慢心があったのではないか
  • 科学記者には科学の説明に限界がある
  • 科学者自身にも科学の説明を解りやすく行って欲しい
  • それには、科学者に対し、あなた達の言葉は外の人達には通用しない、と指摘するのが重要である

という風になるでしょうか。
ごく一般論を言えば、記者が認識している事(と私が解釈したもの)は、妥当です。だって、外部の人の理解を考えずにむつかしい用語等を使っている人に対し、そのままでは通じませんよと伝えるのは肝要だ、という主張ですからね。それはそうだ、です。
でも、この記事は不用意です。それは何故かと言えば、記者自身の経験したケースを一般化しているように書いてあるから。
たとえば理系の語。取材の場において宇宙語を何故使うのか……理系は、と書いている訳です。こういうのを見れば、そうで無い理系を知っている人は納得がいくはずありませんね*1。いやそういう人(宇宙語ばかり使う人)はいるかも知れないが……(そういう人ばかりでは無いだろう)となる。そして、記者はそんな自身の経験から、科学者とはまで一般化しています。もしかすると、理系科学者をほぼ同義で用いているかも知れません。つまり、対象を拡大して一般化したのでは無いのかも知れません。しかし、それはそれで言葉の使い方が甘いですね。科学者には社会科学者も人文科学者もいるのですから。
いずれにしても、理系は、科学者は、と一括りのように言われても、と感ずる人は いるでしょう。
そして、最後の段落にある、あなたの語です。この語は、研究者諸氏という意味合いに取れます。二段落目で一般化したような事を書いてしまっていますからね。これも、余計なお世話だ、と感ずるでしょう。
いや、一般化したい訳では無く、経験的に語っているだけではないのか、と言われるかも知れません。そうだとすれば、やはり書き方が不用意だと考えます。と言うか、それだとほとんど体験談ですから、何か特定の分野に対してものを言う根拠としては、極めて脆弱です。
ところで、この記事にまつわる意見で、
科学記者は科学者の言葉を翻訳して解りやすく伝えるのが仕事ではないか
というようなのが見られましたね。私はこれは、ものによると思います。科学の知識って、そもそも概念や構造が複雑で、それが共有されていない人には理解自体が出来ない場合があります。共有している概念を指す語が違う、というものなら、それを置き換えれば翻訳も出来ましょうが、そもそも概念自体が頭に無い人に伝えるのは、無理がある訳ですね。数学や物理の最先端のものになれば、世界中で解っている人間が数えるほどしかいない、という場合もあるでしょう。そういう時にどうするか、は興味深い事だと思います。
サイモン・シンは、フェルマーの最終定理に関する、極め付きに面白い本を書きました。フェルマーの最終定理を数理的に本格的に理解出来る人間というのは、世界の全人口の何割くらいいるのでしょう。
では彼の書いた本は、宇宙語を翻訳した本なのか、と言われると、果たしてそうなのでしょうか。なかなかむつかしい話ですね。

*1:中谷宇吉郎博士を挙げておきましょうか