空想

なぜ高学歴の作るゲームがつまらないのか
この増田氏は冒頭で、いくつかの現象を提示しています。それは次のようです。

  • 最近の日本産ゲームは凋落している
  • ゲーム業界はある程度ステータスを持つようなった
  • ゲーム業界には高学歴エリートばかりが入るようになった
  • エリートが作るゲームは面白く無い

で、これらの条件を用い、
ゲーム業界がステータスを持つようになった→高学歴エリートばかりが入るようになった―「エリートが作るゲームは面白く無い」→日本産ゲームの凋落
という因果的な構造の存在を主張しています。
そしてこの内、「エリートが作るゲームは面白く無い」という条件を採り上げ、その理由を考察し(ようとし)ています。
増田氏は、ここで示したような因果の鎖の輪っかの一つである「エリートが作るゲームは面白く無い」という部分の考察が今までに無い事を指摘し、それの分析を試みる訳ですが……それ以前に。
その因果構造及び、その構造を構成していると主張する現象がそもそも成り立っているのか
という所の説明が一切ありません。何故か、日常会話で言う所の「自明」な事のように扱っていますが、本来これは、この現象が確かに起こっている、それはこういう理由から……と証拠を積み重ねて論証すべき事でしょう。
これら主張の中には、量的あるいは質的に評価出来、比較出来ると思われる概念が含まれています。次のようです。

  • 凋落
  • ステータス
  • 高学歴
  • エリート
  • 面白く無い

これらのものが重要な条件として捉えられ、時間経過によるこれらの増減・変質、などを前提として主張が組み立てられている訳ですね。そして、この条件群は、ある程度の共通認識があると考えられるものから、改めてきちんとデータなりを検討してから主張しなければならないものがあると思われます。たぶん、「高学歴」というものについては、進学や就職のような、社会の成員の多くが関わるであろう事に関する指標で、「どの学校に入る」という明確な基準があるので、比較的共通認識が得られやすいものでしょう(少なくとも指標化はしやすいという事。「高/低」という分類の基準に議論のある所でしょう)。また、「エリート」は、学歴とある程度連関する指標として捉えられているのかも知れません。
しかし、「凋落」「ステータス」「面白く無い」などはどうでしょうか。「凋落」は、業界総体の売上の推移で比較しましょうか。それとも、他国も含めた上でのシェアの話をしますか。あるいは、その業界が生み出すものの「質」がどうか、という観点から見ますか。
「ステータス」はどうでしょう。それは、他の色々の業界との関係、あるいは、コンピュータゲームという文化が社会的にどのような印象を持たれているか、などが絡んだ概念と思われます。それをいかにして明確な指標として表し、比較しましょうか。
「面白く無い」 これは、この増田文の主旨ですね。タイトルでは「つまらない」、本文では「面白くない」の表現も用いられていますが、それらは、「面白さ」なる概念を前提し、それを量的に評価して大まかに分類した結果のものである、と言えるでしょう。では、「面白さ」をどう測るか。それは数量化可能なものか、色々の人の共通了解(日常的には「納得」)が得られるものか。論を支持する根拠は既存のデータによって示せるか。あるいは自身が丹念に調べた結果に基づくのか。
増田氏は、ある因果の鎖を想定し、その鎖の構成要素が存在する「理由」を考えようとしている訳です。であるからには、まず、「そのような鎖がほんとうにあるのか」から示されねばならないでしょう。いや、その鎖は確かにあるのだ。それが見えないのは話にならない、というのでは説得力は皆無でしょうね。そもそも実体として、あるいは物体として在る訳ではありません。抽象的な、色々な社会現象や心理現象、経済現象を含んだ巨大な構造に関する主張なのですから。そのままでは、論は空っぽだし、いかに砂上に立派な建物を造ろうとしても、すぐに崩れ落ちる事でしょう。
ちなみに、この増田氏、「高学歴の作るゲームがつまらない」理由を説明するために、

  • 遊び心
  • "発見"する能力
  • 想像力

などの概念を用いていますね。実に気軽です。構成概念を測る事に苦心している心理学者が唸りそうです。
証拠に基づいた説明がされねば、似たような想像を持っている人に、ああそうかもね、という共感を得られる事はあっても、事実に即した妥当な考察だ、という事にはならないでしょう。