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「疑似科学とされるものの科学性評定サイト」について

はてなブックマーク経由で、疑似科学とされるものの科学性評定サイト の存在を知りました。
そのサイトは、

本サイトでは、サプリメント、民間代替医療、生活環境改善、自己啓発、不思議現象など、疑似科学と疑われるものについて、これまで判明している知見から、その効果の主張に伴う科学性の程度をおしはかる試みを行っています。

というテーマであるらしく、世間に流布される色々の説が評価されています。私も疑似科学ニセ科学といった問題には関心があるので、サイトを眺めてみましたが、概念の整理が充分では無かったり、評定のしかたについて疑問に思われる所がありました。本エントリーでは、それらについてメモ的に書きます。
※以降、当該サイトを便宜上、「評定サイト」と略す
まず、評定サイトでは、その効果の主張に伴う科学性の程度を評定するための条件として、9つのものを挙げています。すなわち、

  • 透明性
  • 再現性
  • 客観性
  • 論理性
  • 体系性
  • 普遍性
  • 予測性
  • 公共性
  • 応用性

この9つです。ある言説について、科学的な程度を、いくつかの条件を考慮して評価するというのは、科学哲学的にも様々な論者が提出している考えで、そのアプローチには問題無いと思います。評定サイトにおいても、伊勢田哲治疑似科学と科学の哲学』などが参照されており、科学哲学の議論が踏まえられている事がうかがえます。
評定サイトでは、これら条件について、高/中/低 の三段階で評価し、それを総合して当該の言説の判定を下しているようです。そして、下される評価は、

この4つです(評定の基本的考え | 疑似科学とされるものの科学性評定サイト)。ここで気になるのはまず、発展途上の科学と未科学との違いがよく解らない事です。同じような概念を少し言い換えているように私には思えます。
次に、疑似科学です。説明を引用します。

科学的な言説をもっているにもかかわらず、諸条件の評価が全体にわたってきわめて低い。実際のところ科学とは言えないうえに、社会的な問題をもはらむので、「科学でない」と明言するほうがよい。

ここで疑似科学と評価する条件は、

  • 科学的な言説をもっている
  • 9つの条件の評価が低い

というものです。この内、9つの条件についての部分は理解出来ます。最初に紹介した条件の評価そのものですから、それを全体的に見る、という事でしょう。けれど、科学的な言説をもっているという所は、なにをもって評価するのでしょうか。そもそも評定サイトのコンセプトは、挙げられている9つの条件を総合的に判断し、最終的に4のカテゴリに分ける試みです。そのカテゴリの中に、科学的な言説をもっているという条件を持つ概念(疑似科学)があるのですから、9つの条件に、科学的な言説を持っている程度を評価するものが無ければならないはずです。しかるに、

  • 透明性
  • 再現性
  • 客観性
  • 論理性
  • 体系性
  • 普遍性
  • 予測性
  • 公共性
  • 応用性

この条件で、どのようにしてそれをはかるのでしょうか。
疑似科学あるいはニセ科学とは、よりシンプルな定義として、
科学のようで科学で無いもの
というものが用いられます。これは言い換えると、
科学で無いものの内、科学のようなもの
となります。つまり、疑似科学ニセ科学)という評価を与えるには、

  1. 科学である程度
  2. 科学のようである程度(科学のように見える程度・科学のように見られる程度)

この2つの程度を調べねばならないはずです。ですが、評定サイトで掲げられている9つの条件は、その内の、科学である程度しか射程に入っていないように思われるのです。
ここまでを踏まえると、評定サイトにおいては、最終的な評定を下す際に、明示されていない条件を評価していると言えます。
たとえば、評定サイト上で疑似科学との評定がなされているものに、占星術があります(占星術 | 疑似科学とされるものの科学性評定サイト)。ここから総評を引いてみましょう。

 まず、占星術とは現代の天文学の基礎的な考え方となっており、古代から中世における人類社会では“科学”と考えられていた、という歴史的事実をもとにして総評を述べる。この考え方は現代に至っても残っており、たとえば、週7日制や曜日の規定は太陰暦占星術を起源とするものであり、現代人が普通に“使っている”極めて文化的なものにまで昇華されている。また、ユングパラケルススといった心理学や医学の大御所とされた人物も、占星術の影響を肯定的に受けていたことは特筆されるべきである。
 しかし、コペルニクスによる地動説が一般に受け入れられるにしたがって、天文学占星術は別々の道を進み、特に科学的研究においてそれが顕著となっていった。占星術は、惑星が人間に何らかの影響を及ぼすのではないかという前提のもと、超常的な原因のほうに目を向けているが、その論理の根幹は天動説をはじめとした変則的理論にあるため、自然科学では受け入れられがたいものとなっている。そして、占星術研究においても実証科学的アプローチを行う用意もなく、主張を訂正する意向もないようであるのが現状だ。
 つまり、「たとえ疑似科学、オカルト的言説であっても社会的な需要と供給に応えている」というのが占星術コミュニティの主張だろう。こうした評価を踏まえて占星術を「疑似科学」だとするが、その社会的な役割について批判する役割を、現状の科学コミュニティが有していない。この社会的断絶のほうが根本的問題なのかもしれない。

ここでは、占星術が、その成立当初には科学と捉えられていた事が述べられています。しかしながら、疑似科学であるか否かという評価は、評価する当時の情況に照らして行う必要があるはずです。そもそも、現在に科学と認められているものは、社会的な制度も一体となった営為の事を指しますが、その社会的な制度の部分が確立されたのは、せいぜい19世紀以降の事です。
ですから、ある言説を疑似科学と評価するには、現在の水準で科学では無いと判定出来るのみならず、現在の言説の構造として科学のようであるという条件が必要です。ですが、それを評価する明確な基準は、評定サイトにおいては明示されていません。
占星術は、非科学、つまり科学で無いものではあるが*1、必ずしも疑似科学とは言えない、という論者は、私も含めて幾人もいるでしょう。占星術というのは、太古の昔から伝承されてきたものであって、特定の主唱者が存在して主張が一様であるとは限らない、という所がむつかしい所であります。たとえば、自分のやっている事は科学とは相容れないと明確に主張する場合もあるでしょうし(科学より優れている、という含みがある場合もある)、これは統計学的な根拠があるのだ、と言う人もいるでしょう。その場合、占いの構造の部分が似ていても、科学っぽさの評価が異なる場合があります。
次に、9つの条件の一つである、データの再現性を見てみます。
この条件、データが何を指すか判然としません。いや、普通に考えれば、これは、評定の対象である言説を支持するデータはどうか、という観点だと思われます。だからこそ、高/中/低 という段階の評価になるはずです。けれども、どうもそうでは無いようです。たとえば、ホメオパシーの所(ホメオパシー | 疑似科学とされるものの科学性評定サイト)を見てみます。

データの再現性 (中)
 薬効があるとする研究の再現性はよくない。多くの研究結果はレメディの薬効が「プラセボ効果」と矛盾しないという結論になっている。「プラセボ効果」と矛盾しないという結論は再現性が高い。

ご覧下さい。ここでは、

  • 薬効あるという再現性は低い
  • プラセボと矛盾しないという事の再現性は高い

という事をもって、再現性はであると評価されています。これは私には納得のしかねる内容です。何故なら、正反対の主張についての再現性の結果を合わせたものを平均して評価しているからです。
今はホメオパシー(レメディ)の検討をしているのですから、ここで再現性と言えばそれは、レメディに効果があるという事の再現性の評価でなければならないはずです。そうで無ければ、9つの条件それぞれの高低を評価して総評を下す、というコンセプトと整合しません。ですから、ホメオパシーレメディに効果があるという主張についての再現性は、となるはずです。これは裏を返すと、正反対の主張である、レメディはプラセボであろうという主張の再現性は高い、となりますが、評定サイトの方針から言えばで無くてはおかしい、という事です。
であるのに、ホメオパシーの再現性の評価がであるというのは、尺度として曖昧なのではないでしょうか。
次に、効果の作用機序を説明する理論の観点ホーム | 疑似科学とされるものの科学性評定サイト)を見ます。
評定サイトでは、この下位概念として、9つの条件の内の3つを置いています。

  • 論理性
  • 体系性
  • 普遍性

です。どうもこれらの関係がよく解りませんし、それぞれの条件の中身もはっきりとしません。たとえば、この内の論理性は、説明が矛盾なく一貫しているか。合理的な前提に基づいているか。類推などの飛躍した論法を使ってはいないかと説明されていますが、具体的にホメオパシーの所で見ると、

 ホメオパシーでは様々な物質(母液)を水によって希釈を繰り返し、それに砂糖玉を加える。
 例えば、最も一般的な30Cレメディ(これははじめの母液が百倍に希釈されるプロセスを三十回繰り返すこと)では母液は実に1000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000倍に希釈される。この液体において元の物質の分子が含まれている確率は、とてつもなく小さい。これはもはやただの水であると結論付けるのが妥当であり、有効成分が含まれているという主張に合理的な説明を与えることはできない。極端な希釈を行い、もとになる成分が含まれていない状態でも薬効が存在すると主張することは論理的ではないと言える。

このように説明されています。ここでは、分子ただの水、それから有効成分などの概念を用いて説明されています。しかしこれらは、現代の科学によって確立された概念です。科学は経験的に見出された知識ですから、それに従って論理性を評価するのは果たして妥当でしょうか。要するに、主張に含まれる概念同士の関係が矛盾しているか、といった所では無く、現代科学に当てはまっているかという別の視点が入っているのです。そして、同カテゴリ内の体系性の説明を見ると、

体系性:
他の科学的知見と接続した説明になっているか。その理論によって、他の科学的知見と矛盾する結果が導かれないか。

こうあります。あれ、今見てきたのは、こちらではないですか。他の科学的知見と接続した説明になっているか。となっています。
占星術論理性の説明も、ただし、現代の科学的研究手法に照らし合わせると、やはり不十分な説明も多く、と解説されています。これも、体系性の話なのではないでしょうか。
ここら辺の記述の曖昧さは、評価する概念の整理が上手くなされていないのを示しているのではないでしょうか。これも尺度としてどうなのか、と思います。
評定サイトでは、ホメオパシー論理性を、有効成分云々という所から評価していますが、ホメオパシー支持側が、情報や記憶などの語を用いてアド・ホックに批判を逃れようとしているのは知られた所です。つまり、科学の理論に合わなくても論理的であるように見える主張を組み立てる事を企図しているのです。
ちなみに、他の科学の知見との関連を、体系性と表現するのは、私には違和感があります。論理性と体系性とは似たような意味合いに取れます。つまり、矛盾無く主張が構成されている程度といったようなもの。私としては、科学哲学などでも用いられる場合がある、他理論との整合性という語を採用しても良いように思います。
ホメオパシー論者による、情報や記憶の概念をアド・ホックに用いる事は、その後の理論の普遍性の所で触れられていますが、ますます、ここの3つの概念の区別がよく解りません。評定サイトでは、

普遍性:
広く一般的に成立する理論となっているか。ごく特殊な状況にのみ適用可能な説明になってはいないか。

となっていますが、ここで言う一般的ごく特殊な状況がどういうものかもピンときません。
次に、カイロプラクティックの所(カイロプラクティック | 疑似科学とされるものの科学性評定サイト)で、かなり気になった所を挙げます。強調を施します。

 そもそも前提として考慮すべきことは、すべての医学は厳密な意味ではまだ未科学であるということだ。現在国際的に最も正統とされる西洋医学でさえ、解明されている部分はそうでない部分に比べて取るに足りない範囲である。そのような意味では、人間を科学する分野とはすべてまだ未科学といえよう。

これは一体何でしょうか。あまりに乱暴な見解でしょう。評定サイトによれば未科学とは、

 諸条件の評価が全体にわたって低いが、部分的に高評価の条件がある。今のところ科学とは言えないが、将来にわたって研究を積み重ねた結果、科学と言える段階に進む可能性がある。

という概念を指します。これを踏まえれば、医学のみならず、人間を対象とした科学は*2ことごとく、今のところ科学とは言えないとなってしまいます。これでは、ホメオパシー鍼灸などを評定する意味がほとんど無くなるではありませんか。ここでの主張を前提すれば、これらは諸条件を考慮する事無く、自動的に未科学以下だと看做せてしまいます。
これは暗に、機構(メカニズム)が明らかなものをこそ科学である、と主張しているように見えます。しかしこのような観点を持ってくると、科学哲学的な難問にぶち当たります。メカニズムが解るという事の到達地点はどこか、個別の人間についてのメカニズムを完全に記述出来るか、などの問題です。
現代の医学は、メカニズムがブラックボックスであっても、入力と出力との関連を見、それに再現性が認められれば科学的である、と評価します。これは疫学や因果推論とも接続した、極めて重要な部分です。それらを顧慮せず、すべての医学は厳密な意味ではまだ未科学であるなどとは、極めて不用意な表現ではないでしょうか。

                                          • -

ざっと見た所、これらの気になる部分があります。いくつかの条件を評価してそれらを総合するという試みまでは良いと思いますが、どうも、その具体的な運用に曖昧さが残っているようです。ホームページに、

 閲覧者の協力のもと、集められた情報によって評定が更新されます。したがって、現時点の評定は暫定的なものですので、ご注意ください。
 なお、試験運用中のため、投稿に対して迅速な対応が難しい場合がありますので、あらかじめご了承ください。また、項目についても今後増やしていく予定ですので、ご意見をお寄せください。

とあり、未完成で、今後ブラッシュアップしていく性質のコンテンツである事は理解出来ますが、科学の度合いの評価というものは、当該サイトの根本・基礎・骨格とでも言うべき部分ですから、まずここはきちんと建設した上で公開する必要があったと思います。だって、評定は暫定的という事は、
科学が疑似科学になる
疑似科学が科学になる
という可能性を持つという事ではありませんか。主張の内容が変わったから評定が変更される、というのならともかく、概念の整備や情報の不足による評定の変更があるとするならば、対象とされる言説の関係者にとっても、サイトを参考にしようとする閲覧者にとっても、とても迷惑な話なのですから。
以上のような事をもって、私は当該サイトを、疑似科学ニセ科学 について参照するに有用なものである、と現時点で他人に勧めたりするのは出来ません。もう少し洗練される事を望みます。
また、評定サイトに対する意見として、もっとグラフィカルにした方が解りやすいのではないかとか、このままでは、対象とする言説に近しい人には読まれないのではないか、といったものが見られましたが、これはサイトの目的によります。もし、不案内な人にも見てもらいたい、という目的で作られたとすれば、極めて不親切です。効果サイズをまるで日常語みたいに、説明無しに用いていたりとか、ビジュアル表現が無かったりとか、いくらでも工夫の余地があります。ただ、詳しい人に参考資料として活用して欲しい、という事であれば、基本概念の説明は冗長になる場合もありますから、こういうのはケース・バイ・ケースですね。

*1:これは単純に、科学で無いという分類の話であって、一切の価値判断を込めていない事に注意

*2:というのも曖昧。心理学も生物学も社会学も医学も人間を科学する分野であるはずだから