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メモ:「科学」――何にかかるか

○○は科学か、という問い。

  1. ○○という言明についての評価
  2. ○○という言明を解明しようとするやり方についての評価

1は、
理論は科学か
2は、
方法は科学か
もう少し詳しく書くと、
1は、
理論は科学の方法によって確かめられたか
2は、
科学者コミュニティによってスタンダードだと認められた方法によって検討されているか
となる。
理論は、

  • 命題(群)
  • 仮説

などとも表現出来る。ただしニュアンスを持つ。
短く書くと、科学とは、

  • 科学の理論
  • 科学の方法

という観点があると言える。
科学の方法による検証を経る事は、科学の理論が確立されるための必要条件である。方法を飛び越えて理論と認められる事はあり得ない。理論には科学的なという言葉がくっつく。
たとえば、
△△療法は科学か
という問いかけがあった場合、

  • ○○療法に含まれる主張やメソッドの構造を論理的に記述する

事が必要。それが出来てはじめて、その療法は科学的に認められた知的体系であるか否かを評価出来る。
一方、方法に着目すれば、
科学者コミュニティによって確立された方法を用い、制度に則っているか
が検討される。医学領域で言えば、適切な手続きを経た臨床研究が行われているか、行われてきたか。科学一般では、査読付きの専門誌に掲載されたか。他の研究者による追試が行われたか。
理論の構造と検証の複雑さは関連する。
命題がシンプルで限定的であれば、検証は相対的に容易。しかし汎用性は低い。ただし、万能を謳えば、シンプルで、かつ汎用的な主張が出来る。
例:これを飲めば万病に効く

                              • -

血液型性格判断を考える。
理論:ABO式血液型と性格は強い関連を持つ
現時点における評価は、
評価:ABO式血液型と性格の関連は弱い
方法は、
方法:性格心理学や社会心理学における実証研究
従って、いま対象としている理論は、科学では無いと評価される。しかし、血液型と性格との関連を調べようとする事自体は科学である可能性を持つと考える。可能性を持つ、と書いたのは、科学と言えるためには、性格心理学等の方法に基づかなくてはならないから。

                              • -

理論をきちんと記述出来なければ、自動的に、少なくとも科学とは言えないと評価される。理論が実証可能なかたちで記述されていなければ、科学の方法によって検討が出来ないからである。理論は反証可能なかたちで記述する。態度として、反証に対してアド・ホックな逃れ方をしないようにする。ただし、何をもってアド・ホックと看做すか重要な理論調整と見るかは簡単では無い。

                              • -

超能力などは、その理論は、現象の再現や、既存の科学による合理的な説明の排除が充分で無い事から、科学では無いと看做されるが、方法や制度は、超心理学の分野などは極めて洗練されており、科学的であると評価出来る。
ただし一般的に、方法は正統だがいつまでも再現されないという場合にどのような評価を行うか、という問題がある。
論理的には、いつまでも再現されない事から、あり得ない事は導けない。しかし、人間の知的活動は本質的に帰納的推論をベースにしていると考えられるから、極端に言えば、あらゆる命題は経験的に証明し得ない、となってしまう。
統計的な議論においては、効果量の概念がある。統計的には差が無い事を立証するのはほとんど不可能であるが故に、実質的に意味のある、差の大きさを考えて、そのような差が見出されない事をもって(差が小さい事が再現されるのをもって)、実質的に差が無いと看做す。
医学の議論などにおいては、ネガティブな研究結果が出た事に対し、

  • 研究が間違っている
  • 他のものに効く可能性がある
  • それは本物では無い

などの言い逃れが見られる。これは、反例に対する態度の問題と言える。いつまでも、その場しのぎ(アド・ホック)に反論出来てしまう。そして、その反論が妥当な事もあるので、議論は難しくなる。

                              • -

未科学とは、
理論*1は確立されていないが方法は科学的である、といったものをそう表現するか?
ただしそうした場合、
方法さえ科学的ならば未科学と言えてしまう、となりかねない。概念的にそれで良いか否か。
それとも、科学の方法を用い、かつ、ある程度は理論が確立されているものをそう表現するか。しかしそうすると、どこまで確立されているものをそう呼ぶかという微妙の問題が残る。

                              • -

ニセ(疑似)科学
ここまでの議論に、大きくニセ(疑似)科学の問題は関わってこない。ニセ科学という概念は、
理論や方法の実態(実際)
に対する
評価のしかた
に関わってくるものである。その場合、評価する主体が重要となる。個人か集団か。主唱者がいるか、明確な支持組織は存在するか。血液型性格判断などが典型例。つまり、世間に流布したのは能見氏であろうが、大きく広まった現在においては、誰が広めたかなどは、とっくに忘れ去られている。その場合に、

  • 主唱者が存在する理論
  • 社会一般が何となく了解している理論

を同一と扱って良いか、あるいは、同じ名で呼んで構わないか、という問題。これは、ニセ科学問題において、最重要の論点だと私は考えている。しかしそれほど話題に上っているのを見ない。
ゲーム脳などは解りやすい。森昭雄という主唱者がおり、その語を冠した本がある。比較的、説の提唱が新しい、という条件があるから。ただそれでも、ゲーム脳という言葉は誰でも考えやすい言葉であるから、森氏の主張した概念とは異なる意味で用いられもする。こういう所は押さえておくべき。

*1:≠機構 ある現象が再現されるか、とか、ある物が存在するか、といった命題をひっくるめて理論と表現している