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「親学はニセ科学」か

そう表現する事は出来ない
でしょうね。何故か。

「親学って?」

 親になるためにこれだけは学んで欲しいこと、それを伝えるのが親学です。親学という言葉には、「親としての学び」と「親になるための学び」の二つの意味が含まれています。
親学について - 親学推進協会について:親学推進協会−親が変われば、子どもも変わる−

一般財団法人 親学推進協会のWEBサイトからの引用です。その後には、たとえば、親として、子どもの発達段階に応じてどうかかわったらよいのかといった大切なことを学びます。とあります。
つまり、親学というのは、親となるに相応しい知識や方法を学ぶという行動や志向の総体をそう呼ぶ、という事でしょう。あるいは思想と言っても構わないかも知れません。
それで、その行動や思想、方法を補強し正当化するために、色々の言説、たとえば神経科学的な装いを持った主張や、発達障害に対する、学術的な根拠薄弱のアプローチを行う、といった事を持ち出している訳です。
要するに、親学という概念は、複数の思想や方法や行動などの集合体のようなものであるから、それはニセ科学と問うには、語が指す意味内容が広すぎるのです。それで、敢えてニセ科学の語を用いて表現するとすれば、
思想や行動の根拠を補強するためにニセ科学を用いている
とこのようになるでしょう。ニセ科学とは、科学のようで科学で無い言説を指すものです。と言うか、それしか指せない語です。だから、たとえば、ある A という組織がニセ科学的な説を用いて他者を騙したり金儲けをおこなったりしているとして、その組織について、A はニセ科学であると表現する事は出来ません。そう表現するのは粗い、と言うのが良いでしょうか。
そういう意味で、ニセ科学の語は、そんなに広い概念を指せるものではありませんし、また、闇雲に適用範囲を広げて用いるべきでも無いと考えます。
もちろん、現在ニセ科学と呼ばれる言葉が、単に現象のあり方だけで無く、もっと広い概念を指す事はあります。たとえば、ニセ科学議論において、水からの伝言という言葉で、水が音や文字に応じて結晶の仕方を変える、という現象の主張を指す事がありますが、実際には、水からの伝言という本のシリーズでは、その現象の証拠であるという実験をコアにして、そこから導かれる行動の指針の宣言などが展開されている訳です。あるいは、ホメオパシーというのは、ハーネマンに由来する方法や思想が一体となった概念を指す語ですが、ホメオパシーニセ科学である、と表現される場合には、そのホメオパシーの語で指されているのは、ある方法によって製造された物体(レメディ)によって病気等が改善するという主張である訳ですね。そもそもが学術的厳密に定められた言葉では無いので、常にそういう意味のブレ・ズレは出てきます。なので、言及する時は適宜補足したり、言葉を補うなどするのが重要だと思います。たとえば私は、ホメオパシーニセ科学と絡めて論ずる場合には、単にホメオパシーと書くのでは無く、ホメオパシーレメディと意図的に書く事があります。これは、ホメオパシーの議論において、ホメオパシーにはカウンセリング的な作用もあるのではないかと主張される事があり、その議論を切り離して、ホメオパシーレメディが効くという説をニセ科学として扱っている事を強調する意図からです。
水伝についても、それに関して不案内な人向けであったり、改めて詳しく論じようとする場合には、水の凍り方が言葉によって影響される説、というように、主張されている現象自体を記述する、などの工夫があって良いだろうと思います。
このような事を踏まえた上で、親学というのは、ホメオパシーや水伝のように、その一言で指し示せるような、コアであるニセ科学的言説を持たないと考えられるので、親学はニセ科学である、といった表現はしにくいであろう、というのが私の意見です。