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ポストモダンにおける、自然科学概念を用いた比喩、の意義とは

訳が分かっていないのに、「ポモはダメ!」と言いたがる残念な人達 仲正昌樹【第22回】 – 月刊極北
改段が無くて(br タグと空白挿入で改段代わりにしているようです)、「バカ」が連発されている、大変見端の悪い文章ですが、主旨としては、ポストモダン思想に対する的外れの批判に対する反論、というものです。
ここで書き手の仲正氏は、いわゆるソーカル事件に言及し、それに端を発する議論について要約と検討をおこなっています。ソーカル事件というのは、物理学者のアラン・ソーカルが、科学社会学系の雑誌『ソーシャル・テクスト』誌にデタラメ・パロディ論文を投稿し掲載された、という経緯を別の雑誌において暴露した事から始まる論争を指します。
その言及部分で仲正氏は、ソーカル事件を、しかし、ソーカル事件は、哲学の根幹に関わる問題ではない。かなりトリビアルな話である。と評しています。つまり、ソーカルがおこない、糾弾した事は些末なものであると評価しているのです。そしてその理由として、

、彼らは記号、主体、欲望、無意識などについて論ずる文脈で、自然科学の概念を比喩として借用しているだけであり、全体の論旨にはあまり影響しない。

このような根拠を挙げています。ソーカルが指摘したような、ポストモダン論者による自然科学や数学の諸専門概念の使い方を、比喩として借用しているだけと論ずるのです。その比喩部分は、全体の論旨に影響はしないから、ソーカルの指摘はトリビアルなものであった、と。
さて、件のソーカルは、ジャン・ブリクモンとの共著『「知」の欺瞞』において、ポストモダン系と目される論者による、自然科学や数学の術語・概念の濫用を詳らかに論じているのですが、本の中で、想定される読者からの反論をいくつか設定し、それに答えています。そこで、メタファー(比喩)についても触れている箇所があります。引用してみましょう。

 4 メタファーの役割。これらの著者たちの書いたものをわれわれは額面どおりに受け取りすぎだと思う人がいるに違いない。われわれの引用した部分は、正確な論理的な議論としてではなく、メタファー(比喩)として読まなくてはならないというわけである。確かに、「科学」が疑いようもなくメタファーとして用いられている場合はある。だが、このようなメタファーの目的はいったい何なのか? 考えてみれば、メタファーは馴染みのない概念を馴染み深い概念と関連させることで説明するために使うものであって、決して逆の状況では使わない。たとえば、われわれが理論物理学のセミナーで、場の量子論についての非常に専門的な概念をデリダの文学理論でのアポリアの概念にたとえて説明したとしたらどうだろう。セミナーを聞いている物理学者たちは、そんなメタファーは――その説明のために妥当かどうかという以前に――学をひけらかす以外いったい何の役に立つのかと思うはずだ。これと同じように、ほとんど全員が科学者ではない読者のために、たとえメタファーのためだったとしても、自分自身あやふやにしか理解していない科学の概念を喚起する利点はまったく理解できない。ひょっとすると、ありきたりの哲学的、社会学的な思いつきを、見栄えのいい科学用語で飾り立てることで、深遠な考えと受け取らせようとしているということなのか?
ソーカル、ブリクモン[著]田崎、大野、堀[訳]『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』ハードカバー版 第14刷 P14

ソーカルとブリクモンが主張するのは、もしそれら(自然科学・数学概念の借用)が単なる比喩だと言うのならば、いったいその利点とは何なのか、という事です。実際彼らが言うように、一般に比喩表現というのは、よく知らないものについて説明する際に、よく知っている、馴染み深いであろう物事でたとえる、という所に意義があるはずです。しかるに、批判されているポストモダン系の著作は、それを読む人の多くが、自然科学・数学的専門概念については不案内であるはずなのに、何故敢えて、それら専門概念を用いた比喩表現をせねばならないのでしょうか。
仲正氏は、ソーカルのおこなった事をトリビアルだと評しますが、では何故、ラカンクリステヴァといった論者は、自然科学や数学などの専門分野の用語を比喩に用いたのか、また、それを、全体の論旨とは関わらない些末な事と言えるのはどうしてか、と問われた時に、果たしてどのように応えるでしょうか。
ちなみに、『「知」の欺瞞』においては、読者からの想定反論について、10項目にわたって説明しています。ソーカルやブリクモンがどのような認識でもって、どのような範囲に批判活動を行ったか、について評価を下すのは、それを読んでからでも遅くは無いと思います。また、実際にポストモダン系論者がどのように科学概念の借用を行っているかも、引用しつつ詳しく論ぜられています。それが、仲正氏の言うような、自然科学の概念を比喩として借用しているだけと言えるかどうかも、実際に確認した上で判断する事をお勧めします。

「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用

「知」の欺瞞―ポストモダン思想における科学の濫用

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)