【メモ】オーバーシュート再び

新型コロナウイルス感染症まわりの話で、専門家会議によってオーバーシュートなる語が用いられ流布されましたが、いったいそれが何に由来する語なのか、疑問も呈されていました。

それに関連して、私は以前、感染症疫学方面での用例を調べてみました↓

この記事では、感染症疫学の論文等いくつかで使われている事から、そこから援用して、既存の用語(たとえば感染爆発)では捉え切れない現象を指すためにオーバーシュートを充てたのだろう、と推測しました。

そういう流れがあった訳ですが、今日、

↑このサイト(日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)のnote)内にあるQ&Aを見ていた所、

↑このような個別Q&Aがありました。引用します。

4. これはサイエンスの質問ではないのですが、「オーバーシュート」は理論疫学では述語として使われているのでしょうか?"

ここで質問者は、「オーバーシュート」は理論疫学では述語として使われているのでしょうか?と質問を投げかけています(原文ママ述語術語の誤記と思われます)。

それに対して、西浦氏の回答は↓

4は造語ですので各分野の方には不自然に感じられた方も多いと思います。しっかり定義をして使用したいと思います。

このようです。ここではっきりと、造語と書いています。つまり、現在の問題について説明するために、オーバーシュートなる語を造ったと明言している訳です。

なぜそう造語したか、の詳しい所は書かれていないので、これは推測ですが、おそらく、私が前掲記事にて書いたように、感染症疫学方面の論文等でその語が用いられる場合があって(術語かは不明)、それは、感染爆発が連鎖的に発現する際の現象に関連しそうな概念であるから、そこから援用した、といった所なのでしょう。
で、それは、現在議論している現象を指す語としては造語扱いとなる、のだと思われます(同じ語が、関連する別分野において異なる意味で用いられる場合もある)。

また、西浦氏は、

しっかり定義をして使用したいと思います。

とも言っています。これは明らかに、しっかり定義せずに用いていたのを示しています。先の、造語である旨の発言と併せて、私はこの事は、不用意であるし、また批判されてしかるべきものであると思います。

西浦氏は専門家会議のメンバーで、その発言は、バックグラウンドの専門分野に基づいてなされる、と期待あるいは判断される訳で、その前提で、断り無く、きっちり定義していない造語を持ち出すのは、あまり好ましい事ではありません。

当然、その語を見聞きした人は、ではその由来はどこか、疫学のどの分野で使用されているのか、定義は定性的なのかあるいは数理的背景を持つ定量的なものなのか、と疑問を持つでしょう。それがはっきりしていないと、それこそ見聞きした人がずれた意味内容で好き勝手に用いて議論するような事になってしまいます。

少なくとも、オーバーシュートの語を紹介した時点で、専門家会議として、その語の由来や造語である旨を、明言すべきでした。定義がかっちり決まっていないなら、決まっていないなりに、定性的な定義を暫定的にでも示せば良かったのです。

《陰性証明》とは

陰性証明

PCR検査は陰性証明に向かないタイプのもの

こういう主張、結構見ます。でも、そこから先、いや、それ以前と言うほうが良いのかも知れませんが……ともかく、この議論にまつわる、次のような論点を説明するものを見かけません。どなたか、教えてくださいませんか。

陰性証明とは

そもそも、

陰性証明

って、どういう意味ですか?

ここで陰性はどういう意味ですか。証明とは何ですか。

陰性を証明するのでしょうか。それとも、陰性によって何かを証明するのでしょうか。証明とは、書類的な物そのものですか。あるいは、もっと抽象的なものですか。意味を突き詰めましたか?

陰性証明は可能か

意味を定義なりして共有出来たとして、

それは可能なものですか?

RT-PCRによって陰性証明は出来ないとか、向かないとか、そういう意見がありますが、そもそも証明は出来るものなのでしょうか。

もちろんそれは、証明の定義によるのでしょう。数学的に0や1で無いと、ものを言えないとしますか。それとも、それに近い数値が得られれば、証明出来たと評価しますか。

陰性証明出来る検査はあるか

もし、陰性証明は可能であるとして、既存の検査で、それが出来る、あるいは、それに向く、という検査はありますか?

陰性証明するには、何かが完全にこの値にならなくてはならない、といったかなり強い主張をするので無ければ、何らかの指標がこのくらいであればそう認める、のように定量的評価に基づいて陰性証明が成ったと看做す訳ですよね。その程度をどのくらいに設定するのかを、具体的に説明出来ますか?

たとえば、○○なる指標が△△くらいの量であれば陰性証明出来たと言える、と設定出来たとして、それは、普遍的なものですか? 疾病により、流行度合いにより、あるいは提出の目的によって、その閾値は変化してくるものでしょうか。それを、きちんと共有出来るかたちで議論したでしょうか。

議論と共有

一般論として、感度が低ければ除外しにくいので(感度が高ければ除外しやすい。スナウト:SnNOut)、そういう検査は陰性証明(私はこの語は表現として不適当だと思いますが、それは措きます*1)に向かない、と表現する事は出来ますし、診断学的な文脈で良く言われるものです。私も、一般論としてそれは正しいと捉えています。ただ、議論する際に、もう少し用語の意味合いを共有し、具体的な指標を想定して詰めていかないと、建設的なものにならないのではないか、とも考えるのです。

たとえば、保有割合が小さければ、多少感度が低くとも、陰性適中度はとても高くなります(RT-PCR法は特異度がめちゃくちゃ高いから)。その意味では、陰性判定は当たりやすい。それは言えます。陰性証明って、基本的に無症状者対象でしょうから、保有割合が低かろう事(これまでの血清疫学的知見を踏まえれば――抗体検査は累積の結果であるから、時点保有割合あるいはごく短期間の累積罹患割合は――大きくても10%はいかないでしょう)は言えるでしょう。

それでは証明にはならない。1では無いからと返しますか? でもそれだと、陽性証明(陰性証明の表現に合わせているだけです)も同じ理由で出来なくなりますよね(真の状態を参照基準とした確定診断の正確な性能は、不可知であるから)。

いや、そうでは無い。検査前の非保有割合と、検査陰性後の非保有割合との比に大きな違いが出ないから、敢えて検査で陰性を出す必要が無い、と言いますか(検査しなくても、非保有だと看做せばだいたいは当たります)? では、その比がどのくらいなら陰性証明に用いて良いと判断しましょうか。

そもそも、これは純粋に指標の数値的な問題ですか。それとも、他の様々の要因を加味(たとえば、検査に行く行動そのものの感染リスク上昇の懸念、など)したものでしょうか。しかし、他の要因を込みで考えるとすれば、陰性証明概念そのものに、そういった要因に関わる論理構造が含まれてくる訳ですよね。ちゃんとそういった想定はおこなわれているでしょうか。

あるいは、何か他の指標を用いて評価しますか? 私の考えを見て、いやお前が言っている事は的外れである、と判断しますか? 別に、それはそれで良いのです(勉強が全く足りないのは良く自覚しているから)。私が思うのは、では、どういう見かたが的を射ており、どういう意見が的を外しているのか、それをきちんと、具体的詳細に、丁寧に考えて、それを共有しているのだろうか、という所への疑問です。

先にも書きましたが、私自身、感度が低いのは非保有判定(←私は、陰性証明では無くこういう表現を使いたいです*2)には向かない、と実際考えており、それは、季節性インフルエンザに対する判定からの類推からも、そう捉えていました。しかし、改めて、現在の情況を踏まえて熟考してみると、ちょっと解らなくなってきたのですね。今は全く平時では無く、緊急的で、事態は極めて複雑です。漠然としている所をクリアにするためにも、色々の観点から、きっちり丁寧に議論しておいたほうが良いのではないかと思います。

もちろん、そもそもそんなに複雑では無い、こういう風にシンプルに考えれば明らかだ、といったご意見があれば、それをご教示頂ければありがたいです。

*1:疑似相関が不適当であるのと同じ意味で不適当と考えています

*2:私は、出来得る限り、証明を数学的文脈以外で用いないようにしています