良性腫瘍の余剰発見に至るプロセスと、ラベリング効果

私が余剰発見の例としてちょくちょく採り上げるのが、血管腫です。
血管腫とは、血管の集まった良性の腫瘍で、健診(健康診査)における腹部エコーにて、結構高い割合で発見される(保有割合が高い)事が知られているようです。

文献によると、エコーを受けた100人に1人程度は発見されるくらい保有割合が高いそうですが、それによる症状が発現する事は、かなり少ないとあります。ですから、通常はそのまま経過観察となる事が多いと言います。

もしこの病気が発見されて、処置もせず症状が出ないまま他の原因で亡くなったとすれば、それは、血管腫の余剰発見(過剰診断)であると看做せます。また、肝血管腫良性腫瘍ですので、もっと一般的な表現をとれば、良性腫瘍の余剰発見であるとも言えるでしょう。

良性腫瘍であり、症例がよく見つかる事、また、症状がほとんど出ないので、診断されても良性腫瘍が見つかったと認識出来、医師も、そこまで心配するものでは無いと言ってくれます。その意味では、余剰発見される事の害は相対的に小さいと言えるでしょう。

ただ、その診断に至るには、まず腹部エコーを受けて、それから精密検査を実施する必要があります。当然、健診の結果が返ってきた時、そこには要精密検査的な内容が書かれています。どんな検査でも、やはり要精検と言われるのは、不安を惹起します。人間、ネガティブにものを考える側であれば、より悪い結果を想像します。あるいは、将来の心構えを作るために想像しておく、と言ったほうが良いでしょうか。今はインターネットで色々検索出来ますから、ひどいケースの情報も得られます(正確な情報に至る事もあるので、良し悪し)。

腹部エコーだと、受ける側の最悪の部類の結果として、

  • 肝がん
  • 胆のうがん
  • 膵がん
  • 腎がん
  • 腹部大動脈瘤

などに繋がりますから、精密検査しましょうと言われたら、この辺りを(漠然とでも)思い浮かべて、心配します。

肝臓であれば、エコーで所見が見られ、判別がつきにくい場合には、造影CTなどによる精密検査が促されます。肝がんとの鑑別等のために実施する訳です。
これは、心理的経済的に結構な負担がかかるものです。造影剤をうつ場合には、それによるリスクも説明されます(小さいながらも死亡リスクが判明している)し、うたれた後、何とも言えない感覚を覚えます(全身いたる所が熱くなる。嫌いな人はかなり嫌いなはず)。

精密検査が済めば、しばらくの期間をおいて、結果をクリニックなどに訊きに行きます。そこでようやく、肝血管腫なる良性腫瘍である事が説明されます。それほど心配しなくても良いと言われ、ほっとします。

ここまで説明してきたように、一つの良性腫瘍の診断がなされるまでに、結構なプロセスを経ます。そのあいだ、色々調べて考えたりして、人によっては、落ち込む事もあるでしょう。年齢や生活習慣、それまでに得た医学に関する知識も関わってくるでしょう。

ここで挙げた例は肝血管腫で、健診で発見される比較的頻度の高い疾病であり、症状の出にくい事も判っているものです。無症状時に検査して発見されたのであれば、広い意味で*1検診による発見とも言えます(健診と検診の意味は異なる所に注意)。

そして、先述したように、それが無処置で症状をずっと現さず、他の病気等で亡くなった場合には、余剰発見であった事が判明します。がんと違ってすぐに処置するほうが少ないので、こういう良性腫瘍であれば、余剰発見例の判明が頻繁に起こると言えます。

私が、肝血管腫を余剰発見の例として挙げるのは、

  • 良性腫瘍である事
  • がんと鑑別すべく精密検査がおこなわれる事
  • 保有割合が大きい事
  • 健診で腹部エコーがよくおこなわれる事

上記の理由により、例として解りやすいと考えるからです。健診を受けた中で、ああ、あれか、とか、自分もそう診断された、という経験を持つかたも、結構いらっしゃるでしょう。

そしてもう一つの理由は、

自分もそう診断された

から。まさに実例として恰好のものです。説明してきた検査の流れや心理的状態も、概ね自分の経験に基づいて書いています。
私の場合、検査の順序を詳しく書けば、

  • 健診でのエコー
  • 要精密検査の案内
  • 近所のクリニックでのエコー
  • より詳細な精密検査の案内
  • 総合病院での造影CT
  • クリニックで検査結果説明。肝血管腫診断確定

このような流れです。

私は、このブログで色々書いているように、おそらく非・医療者としては異常なくらい、検査に関する知識を有していると思います。余剰発見の概念についてもそうです。それであっても、要精検となり、要CTとなった時には、結構な不安感を懐いたものです。元々が、ネガティブよりにものを考える心理傾向がありますし、常にあらゆるパターンを想定しておく思考の癖もあります。それを、そこまで深刻にならないよう知識で抑えておく、と言っても良いのかも知れません。

検査の結果に伴う心理的な影響をラベリング効果と言う事は、ここでも何回か説明しました。本記事は、その実例、つまり、結果が陽性だった時の悲観ラベリング効果の例と言えるでしょう。これも、最終結果(診断確定)が良性腫瘍であったから(最終的な楽観ラベリング効果)、こうやって冷静に振り返って分析出来る訳です。

同じような内容のものとして、医療統計のエキスパートである新谷歩氏による記事があります。

www.igaku-shoin.co.jp

↑この記事は、各検査指標を説明するものですが、その導入として、新谷氏自身がマンモグラフィにて陽性判定を知った時に心理的衝撃を受けた、とのエピソードが書かれています。相当な知識を持っていても(新谷氏は、専門家にレクチャーするような立場のかた)、冷静に考える前にこういう衝撃を受けた、というのは示唆的です。

ラベリング効果は、検診によって生ずる害の一側面です。経済的な負担もかかります。こういう害を定量的に評価して、得られる効果と比較し、実施して良いかを検討する訳ですね。検診の事を考える際には、そこも押さえておくのが、とても肝腎です。

参考資料:

腹部エコーで肝腫瘍の診断 – 兵庫県医師会

肝臓の血管腫 - 04. 肝臓と胆嚢の病気 - MSDマニュアル家庭版

www.jsum.or.jp

*1:検診は、計画的におこなうものや、ターゲットの疾病を定めて見つける、という狭い意味合いの場合もありますが、ここでは広くとります

“「反反ワクチン派」の「医療クラスタ」” は “「心因性」という言葉を気のせい、詐病、大げさなどの意味で使って「全体の公衆衛生のために犠牲になってくれている少数の人」を侮辱” したのか?

はてなブックマーク経由で見かけました。

「反反ワクチン派」の「医療クラスタ」が「心因性」という言葉を気のせい、詐病、大げさなどの意味で使って「全体の公衆衛生のために犠牲になってくれている少数の人」を侮辱したのは忘れないラジよ。

↑このかたの意見は、分解して検討すると、

  • 反反ワクチン派
  • 医療クラスタ
  • 心因性の語を
  • 気のせい、詐病、大げさなどの意味で使い
  • 「全体の公衆衛生のために犠牲になってくれている少数の人」を侮辱した

このようです。上の2つは、何らかの性質によって括られた集団を指し、3番目と4番目は、用語を不適切な意味で用いたと批判し、5番目で、特定の人びとを不当に扱った、と批難しています。

こういう意見がある場合、

  • その括りかたは適切か
  • 具体的にどのような発言があったのか
  • 括った集団を指して批判するのは妥当か(その集団の傾向を適切に表わしているのか)

これらを検討するのが肝腎です。反反ワクチン派医療クラスタとあるので、ワクチンの害を指摘する人びとを批判し、かつ医療職である、というのが条件でしょう。どちらも曖昧(と言うか、括れる範囲が広すぎる)ではあります。

いずれにしても、具体例が無いと話にならないので、twitterのリアルタイム検索で、ワクチン心因性気のせいなどで調べてみました。もちろんこれは、網羅的な調査や、傾向や代表性が適切に反映されたものではありません。取り敢えず、そういう集団の成員と言えそうな人はどんな発言をしていたか、というのを拾いました。

心因性を」を「気のせい」とか「心の持ちよう」とかって翻訳するバカ共が、子宮頸がんワクチン副反応「被害者」を担ぎ上げて利用するもんだから、精神医学的評価をされずにほったらかされてるように見えてしょうがねぇ。

SCD+ADHDの小児科医・児童精神科医。専門領域は虐待医療と発達障害twitterプロフィールより。以下、プロフィール関連の引用は同様)のかた。明らかに、心因性のものを気のせいとする意見に強く批判的です。

子宮頸がんワクチンだけどさ、別に専門家側は気のせいなんて言ってないんだよね。心因性=気のせいみたいな誤解が広まってるんだけど。 この誤解はワクチン副反応だけにとどまらず、多くの人を苦しめるよ。 心因性の病気は社会的要因の影響を強く受けるから。 周囲の無理解偏見が悪化させるよ

検査技師のかた。検査技師を医療クラスタなる集団に含めて良いのか何とも言えませんが(その表現を使う側が定めるべき)。こちらのかたも、別に専門家側は気のせいなんて言ってないんだよね。と書いており、心因性を気のせいとしていない意見です。

心身症は体の異変であり、医学で使用する心因性=気のせい的な意味じゃーないよ。誤解!

循環器内科医師のかた。ワクチン行政関係者、マスコミ、政治家さんへと書いている事から、それら対象へ、心因性は気のせいとは違う、のをきちんと理解するよう促している意見と読めます。

その際に何度でも言っておきたいのは「心因性=気のせい」ではないという点だ。心因性でも、症状そのものは間違いなく存在する。

医師・博士(医学)・病理専門医のかた(PseuDoctorさんです)。PseuDoctorさんは、こういう部分への指摘をきっちりなさるかたなので、当然この種の問題にもそうです。

心因性反応を「気のせい」と明言した公的機関は、東京新聞こちら特報部だけ(だと思う)。

小児科専門医・国際渡航医学専門医・臨床遺伝専門医。のかた。これは、togetterへのコメントです↓

togetter.com

このtogetter自体が、心因性なる語の用いかたの難しさを議論しているものでもあります。

リアルタイム検索で見つかったのはこれくらい。ワードを絞り過ぎたので、あまりヒットしませんでした(広げるとヒットし過ぎて見つけにくいので)。もし、「反反ワクチン派」の「医療クラスタ心因性」という言葉を気のせい、詐病、大げさなどの意味で使っているような具体例が見つかれば、教えてください。

調べていて、このような意見を見つけました↓

反反ワクチン派の皆さんはこんなことはなかったと歴史修正しようとしてるけど、村上璃子氏とその取り巻きはそうだったよね。

ここで、HPVワクチンに関して積極的に情報発信をおこなってきた村中璃子氏(引用文は原文ママ。後ほど訂正されています)が、実際にそのような発言をした、と指摘しています。加えて取り巻きも、と言っていますが、これは全く具体的メンバーが解らない表現なので、ここでは放っておきます。

私は、村中氏がかなり強い表現を使う事もある論者だというのは知っているのですが(このブログで批判した事もあります)、氏が、心因性」という言葉を気のせい、詐病、大げさなどの意味で使っているような憶えは無かったので、改めて調べてみました。

wedge.ismedia.jp

↑これは、村中氏と開沼博氏(社会学者)との対談記事です。ここから引用します。

"身体化"は心の病気ではなく、心をきっかけとした身体の病気です。しかし、当初、多くの医師が口にした"心因性"という言葉が、心の病気、気のせいというイメージを抱かせました。そうやって傷ついた少女や母親たちには、ワクチンによる脳障害だと断じる医師たちが「いい先生」に見えてしまう。そして、新しい病気を発見したと主張したいハンス派の医師たちにとっても、彼女たちは欠かせない存在であり、共依存するわけですね。

↑これは村中氏の発言部分。この文を見ると、明らかに、心因性を気のせいと言っていない意見である、と読めます。身体化の概念を用いている事、心因性心の病気、気のせいというイメージを抱かせました。と言っている事、などからそう判断出来ます(イメージを抱かせたと言っているのだから、それは実際と乖離しているとの指摘と読める)。村中氏の意見総体をどう評価するかは措いて(引用文にも気になる表現はあります)、心因性なる語にどのような意味付けをしているか、の部分に絞って見れば、気のせいなどとは言っていないでしょう。もしかしたら、意見の変遷があったり、別所で違う主張をしている可能性もありますが(これは単なる可能性であって、蓋然性の高さの話ではありません)、それであれば、ここでそう言っている、と具体的に示すべきでしょう。

このように、私が調べた限りでは、明確に心因性」という言葉を気のせい、詐病、大げさなどの意味で使っている、「反反ワクチン派」の「医療クラスタと看做せるような人の発言は見られませんでした。存在するが見逃しているのかも知れません(かなり広範囲にわたるような括りかたなので、分母は大きくなる)。

もちろん、実際にそういう例が挙げられたとしても、それを敢えて、「反反ワクチン派」の「医療クラスタ」がと表現して良いのか、はまた別の問題です。これは集団の傾向を表すような言いかたですし、数例の実例が挙げられたとしても、そこから傾向など言えません。もし、別に全体的にどうこう言っているのでは無い、との話であれば、じゃあ何故、わざわざ大まかにしか括れないような表現をして、具体例を挙げて個別に批判していく、という事をしないのか、と指摘出来るでしょう。なにしろ、「全体の公衆衛生のために犠牲になってくれている少数の人」を侮辱とまで言っているのであるから。これは、相当に強い批判的表現です。きちんと、具体的にこの人がこのように発言している、と言わないと、「反反ワクチン派」の「医療クラスタに属するのではないか、と考える人からの納得は、到底得られないでしょう。

2021年2月8日追記

改めて書いておきます。私は、そんな発言をした人はいないと主張していません。探していけば、恐らく見つかるでしょう。括りかたが曖昧で大雑把だから、取りようによっては分母がものすごく大きくなる。そこには色々な意見を持つが含まれて行きます。だから、存在はするはず。乱暴な事を言う人もいるでしょう。そういった意見は、個別に批判すれば良い。

私が言っているのは、括って評価出来るようなものかという事です。クラスタも、それ自体が集団を指す言葉なのですから。