造語の必要性がない

http://d.hatena.ne.jp/logic_master/20111113/1321202736

あの愚痴が出た一つの原因には、「エア御用」という言葉の中には、それなりに対応すべき科学者が持つ問題の指摘が含まれているように思うのに、そこは無視されているように思えた、というものがあります。

端的に言って、その「対応すべき科学者が持つ問題」という概念を敢えて「エア御用」などという語で表現する有用さが別にないということでしょうし、その「問題」は、「エア御用」など持ち出されなくとも認識出来る類のものでしょう。

「科学的態度を期そうとしたが結果的に予測が外れた(好ましくない事態が引き起こされた)。」

という現象は起こり得ることでしょう。そして、それをわざわざエア御用などという言葉にする必要がどこにありますか、という話です。
大体、「御用」の文字列が含まれているのですから、そこには、「政府を利する」というような意味合いがあります。これは、「科学的態度を期する」こととは「別の問題」のはずです。
たとえば、政府に都合の良いように、という「意図」がなく、科学的誠実さを保とうと志向したが結果的に誤った、というものを「御用」と表すのは、端的に不適切であるとは思われませんか?

そうであるのに「エア御用」というのは、無意識や内面化などの概念を持ちだして正当化されようとしている訳です⇒http://seisin-isiki-karada.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-c992.html

行動に至るまでの心理というのはブラックボックスで、そう簡単に解明出来るものではないですからね。
もし、ある発言などについて事後的に、その判断は誤っていた、と評価されたとして、その判断に至るまでの心理というのは、そう簡単には分からないでしょう。それこそ「善意」かも知れないし、もしかすると実は、(エア御用とか言う人が設定するように)「無意識的」に政府を利するという志向があったのかも知れない。
しかし、もし前者なのであれば、それを敢えて「御用」と表現する意味合い必要 はありませんよね。というか、単純に不当な評価です。
「エア御用」というのは、発言などの行動の出力(たとえば、放射性物質拡散の被害の見通しについて発言)と、それへの結果的な評価(たとえば、その見通しが的外れであったという結果)「のみ」をもって、無理矢理に全部引っくるめて「御用」と呼ばわるための恣意的な装置です。あれだと、的外れなことを言って、それが政府の方向性と一致していた、というもの全てが「御用」か「エア御用」のどちらかにされかねません。

最後の段落で、使うに使えない表現、と仰っているので、使うに値しないと評価している、という点では一致しているのかも知れませんが、私としては、その言葉は、「科学的に考えようとする善意や誠実さがあったが結果的に誤った」人を指す言葉としてポジティブに(見るべき所はあるんじゃない?といったような)捉えようとするには、語の構成の段階で不適切であった、と認識しています。あれは、何が何でも気に食わない対象を「御用」にしたいというものですから。

最初は菊池さんは、御用と言われたりグレーに分類されてたりした訳ですからね。それが今はエア御用。もうむちゃくちゃです。

後、医療のような社会的基準が関わるものを、いわゆる「科学的態度」とどのくらい結びつけて考えるかは、かなり難しい問題でしょう。それこそ、何を目指すか、という合目的性が関係しますし。
瀉血のような無意味な療法が医療として行われていたことを、「科学」と絡めて社会的に論ずるのはまた厄介。当時の科学の水準と照らして考える必要もありますね。その頃の医学全般を「科学的」と言えたのかどうか、みたいな考え方もある(『代替医療のトリック』における、瀉血治療への評価や臨床試験研究の発展の歴史の紹介を参照)。
「医学」と「医療」は違うとは、私が影響を受けた心臓外科医の方が仰っていたことです。

追記

ruletheworld 科学の御旗争奪戦, 今日も平和なネット村
ニセ科学という造語の必要s(ry 2011/11/14

(このエントリーについた はてブより)

この種の意見はうんざりするほど見ますけど。
別に、仮にニセ科学という言葉が下らないものであったとしても、それはエア御用という言葉の評価に直接関係ないので、だからどうした、という感じで。

なんか、両方の言葉は似たようなもんだから、みたいにして道連れにさせようとしてるように見えるのがありますね。いつからセットになったんですか。
じゃあどこまでがどう似てるかちゃんと示せばいいんじゃないですかね。丁寧に。id:ruletheworld さんとかが。