安全と安心と食べ物と

大変に良い本である。

「安全な食べもの」ってなんだろう? 放射線と食品のリスクを考える

「安全な食べもの」ってなんだろう? 放射線と食品のリスクを考える

食べ物の安全ということについて、私達は誰しも関心を持っていると思う。
特に最近は、3月に起きた原子力発電所での事故をきっかけとして、食品が放射性物質に汚染され、それを食べた場合の健康への影響は一体どのくらいなのか、ということに興味が持たれているだろう。
また、様々な物質の含まれている量、あるいは使われている食品添加物の割合などについての「基準値」が気になる人も多いだろう。なにしろ、私達の健康に直結する事柄である。害がある物をなるべく口にしたくない、どういう物に害があるのか知りたい、というのは当然のことと思う。

しかし、いざ「基準値」とは何か、と訊かれてすぐに答えられる人はどれくらいいるだろうか。それが何を根拠にして、どのように決められているか。
あるいはもっと広く一般的な事を考え、「安全」とは何だろうか、という問題を頭に浮かべてみよう。ある物質が入っているかどうか、といっても、それには程度があるだろう。ほんの少しでも入っているのがいけないのか、あるいは少量なら構わないのか。また、継続的に摂取しなければ問題ないのかどうなのか、という事くらいは思いつくだろう。誰でも納得いく所としては、酒を多量に飲んで身体に深刻な害が及ぼされる事を考えてみると良い。
しかし、酒はすぐに解るが、他の物質はどうか。昨今、ジャガイモの加工食品に含まれるアクリルアミドという物質が話題になる事がある。また、鹿尾菜(ひじき)にはヒ素が含まれるという。これを見て、「ヒ素!?」と驚く人も多いだろう。毒物としての印象が強いからだろう。そのように、私達が持つ言葉の印象というものは強い。しかし、夕食のおかずで鹿尾菜の煮物を食べて死んだ、という話は聞かない。酒も少し飲むくらいなら病院に担ぎ込まれる事は無いだろう。

このように、人間が物を摂り入れる場合には、その「量」に着目する必要がある。どういう物質だから摂ってはならない、と即座に言えるものでは無い。昨今世間を賑わす「放射能(を帯びた放射性物質)」についても同様だろう。

ここで紹介する畝山の本は、そこの所を実に丁寧に説明する良書だ。本書は、食べ物が与える害というものは、0か1かというものではなく、「程度」の話である事。食品の中に含まれるある物質についての「基準値」がどのように決められているか、また、それを超えていたという報道がしばしばなされるけれども、その事が実際にどういう意味を持つのか、私達の健康にどのようなインパクトを与え得るのか、という事を明快に教えてくれる。基準値と一口に言ってもその内容は色々ある、といった所は、きちんと理解している人は少ないのではないだろうか。ある食品が、「害がある/無い」と二分割に分類出来るようなものでは無い事が強調される。

他にも、いかにも世間の耳目を集めそうな言葉、「発がん性」「発がん物質」「遺伝毒性」「放射能」などについても詳しく説明されている。我々は、こういったインパクトある言葉の詳細を知らずに直感的な印象だけで評価する事がありがちだ。しかし大切なのは、これらの言葉が一体どういう意味を持っているのか、という所だろう。それがあってこそ、マスメディアなどから発信される情報を冷静に正確に検討する事が出来る。程度を把握して考えなくてはならない。

本書の中心的なテーマは、いかに食べ物が持つ「リスク」をちゃんと把握し、他の物と比較して見ていく事が大切か、という所だと思う。何も、正確に数値を押さえてそれらをちゃんと計算して考える事が出来なくてはならないという話では無い。ある程度大まかでもいいから、ある食べ物なり物質なりの与える影響を、程度問題として捉え、色々な物と比較するセンスを養うのが大切なのだと思う(もちろん、数値を扱う事に慣れるのも重要だ。成人でも割り算が解らない人もいる。それだと単位や率といった考え方を把握しにくい)。

先にも述べたように、食べ物の与える害はどのくらいか、というのは、私達の生活とは切り離して考える事の出来ない重要なトピックである。それについて考えたり議論したりするにあたって、本書に書かれてあるような内容――具体的な用語や計算を知らなくても、ものの見方の要所を押さえる事――を把握しておくのは必須の条件である、と言っても言い過ぎでは無いと私は思う。その意味で、色々な話題について扱い、明瞭な解説がなされ、丁寧に慎重に冷静に考える事の大切さが強調されている本書は、間違い無く読んで損はしないものと言える。

ただし、ここで少し注意を促しておきたい。
と言うのは、この本は必ずしも「簡単」なものでは無い。
確かに大変明快な本ではあるのだけれども、使われている言葉が固い(学術的・専門的・論文的、という意)ので、ある程度科学関連の文章を読み慣れていないと、非常に取りつきにくいのではないかと思う。食品安全について何か良い本はないか、と問われた場合、「この本は非常に良い」とは言えるけれども、すぐさま「この本が良いから読んでみるといい」と勧められるとは限らないという事だ。つまり、一般向けに書かれた本ではあるが、読む人を選ぶ。たとえば、

 評価対象となっている化合物や混合物の、基本的物理化学データがあって、遺伝毒性発がん性や催奇形性などのような特に問題となるような毒性影響がない場合、一般的な毒性を観察した試験のデータを参考にします。どのような物質であっても、実験動物に大量に毎日与え続ければなんらかの毒性影響が出るはずなので、その有害な影響がもっとも低い投与濃度で見られる実験をたくさんの実験の中から探すのです。

これは本書の18・19ページから引用した文であるが、この種の文が苦も無く読めるなら、本書を読み進める事が出来るだろう。けれど、こういう言い回しや用語についていけない人も少なからずいるはず。
もちろん、著者のスタイルもあるし、紙面の都合というものもあるだろうから、ただちに、この種の文を読み慣れていない人向けにもっと解り良い書き方をすべきであった、と要求するのは乱暴だし建設的では無い。もっとすんなり理解出来るよう「消化剤」を混入した本を期待するというのはあるが(「消化剤」の喩えは大村平氏による)、それはそれとして、本書を題材にして、読み慣れている人が一旦噛み砕いて説明してあげるとか、一緒に読むとか、取り敢えず読んでみて、と勧め、解らない所があれば教えてあげるとか、そういったコミュニケーションを取りながら本書の内容を習得していければベターだと思う。
後、縦書きだから、数値が非常に読みにくいが、これは著者云々の問題では無いし、多分に私の好みも入っている。

いずれにしても、食品の安全とはどういうものなのか、という事に関心を持つ人にとっては読んでおいて損の無い(個人的には、「読むべき」と言っても別に良いと思う)優れた本と言えるだろう。

著者の畝山氏はブログでも情報発信を行なっておられる。極めて有用なので、参照する事を強くお勧めする⇒食品安全情報blog