科學

http://d.hatena.ne.jp/houyhnhm/20111219/p1

高野長英が用いていた、というのは、ここら辺にありました。※強調・下線は引用者

西洋文明が本格的に導入される前に“科学”という言葉が存在していなかったと考えている学者が日本には少なくない(5).しかし,実は天保3(1832)年に刊行された高野長英の『醫原樞要内編』 の中に,“科学”という言葉が立派に使われているのである.その本の題言において,長英は次のように書いている.“故ニ,或ハ責メテ曰,人身窮理ハ醫家ノ一科學ニシテ,人ノ解シ難ク譯シ難クトスル所ナリ”(傍点は引用者)(6).解釈すれば,人身窮理(生理学に似た学問と理解される)は医者が身に着けなければならない“科学”,すなわち,学科中の一種であるが,非常に理解・翻訳しにくい,というのである.ここで用いられている“科学”は,学科ないし専門学問分野の意味を持っていると解釈して大過ないであろう.
福沢諭吉の科学概念——“窮理学”“物理学”“数理学”を中心にして

実際、明治一〇年以前の日本では、 「科学」はその語意をひく、もっぱら「分科之学」 「個別学問」の意味で用いられた。例えば、一八三二(天保三)年刊行の『醫原樞要内編』の中で、高野長英は「科学」という言葉を次 のように使用している。 「故ニ、或ハ責メテ曰、人身窮理ハ醫家ノ一科學ニシテ、人ノ解シ難ク譯シ難クトスル所ナリ」 。
科学史から見る近代(その一)(PDF)

もちろん、意味合いとしては個別の学科のというもので、現代の意味で一般に言われる所の科学とはニュアンスがあると思われます。野家(『科学の哲学』)によれば、その後の1911年の西田幾多郎善の研究』や、1912年の井上哲次郎ら編纂『哲学字彙』において、scienceの訳語として科学が用いられており、定着ぶりが窺えるとの事です。大体、明治の末期頃。