クリティカルヒット

 この本で紹介するアイディアのたいていは、つきつめれば、懐疑的に考えるくせをつけてみようというところに行き着く。この社会では、「懐疑的」「懐疑派」という言葉は評判がわるい。ひねくれて、何を見てもあらばかりさがすんだろうと思っている人が多いのだ。でも実態はちがう。懐疑主義者とはただ単に、いきなり信じるのを好まない人、先に証拠を見て、どの程度あてになる証拠かを値踏みしたがる人にすぎない。本来の意味での懐疑主義者なら、いつだって心の広さを失わないはずだ。ただ、何かを信じるからには、まずは厳密な調査がいるよねと思うだけのこと。
 知的で思慮深い人間になりたかったら、何かを信じるに至る途中経過、推論の質こそがものをいう。そして、問題が重要であればあるほど、また、主張がとっぴであればあるほど、証拠は説得力を要求される。もし、何かを信じるかどうかはそうやって決めているよという人がいれば、あなただってりっぱな懐疑主義者なのだ。

ヒトは賢いからこそだまされる―ニセ科学から衝動買いまで

ヒトは賢いからこそだまされる―ニセ科学から衝動買いまで

早くも、今年読んだ本の中でトップクラスに入るであろうものを読みました。全く情報が無いままに、たまたま目にした本なのですが、掘り出し物でした。

引用文と副題を見れば察しがつくかも知れませんが、クリティカル・シンキング関連の本です。文章の平易さ読みやすさ、読み物としての面白さでいえば、類書の中でも最上級だと言えると思います。たとえば、本書でも多く参照されている『クリティカルシンキング 不思議現象篇』は、私がこの種の話をする際にほぼ必ず勧める本ですが、その本は、ある程度歯応えがあって、必ずしも気軽に読み進められるものではありません。その意味で、これは素晴らしく良い書物だけれど、読むには少々気合が要る、という風に留保つきで紹介しているのでした。

本書は、それらに比較して、とにかく平易な記述です。もちろん、確率を扱っている所などは、話題の性質からして多少はむつかしいですが、それでも、全体として読みやすい。著者自身が、「肩のこらない話しことばで書いてみた」(P459)と言っているように、読者に語りかけるようなフランクな文体で、内容も明瞭です。訳文も良いのでしょう。

採り上げられるトピックは、多岐にわたります。参照されているのが、セーガン、シャーマー、ランディ、ロフタス、ギロビッチ、ラマチャンドランなどであり、言及されているものは、ESPや手かざし療法、ホメオパシーから降霊術、ファシリテイティッド・コミュニケーション(自閉症に効果的と称するアプローチ法)、占星術にまつわるコールドリーディングやフォアラー効果、経済・金融や気象などの長期予測、ロールシャッハテスト、偽記憶、ID論、カーネマンとトヴァスキーによる様々な、思考に関する心理学的研究、等々と、バラエティに富んでいます。筆者のトマス・キーダは、プロフィールによれば意思決定の専門家のようで、意思決定に関する言及が多く見られます(確率の話とか、与えられた文章によって評価の仕方や行動の傾向が変化するなどといった、意思決定に関わるトピック)。

クリティカル・シンキングの重要さを強調する良書であるので、物事を頭ごなしに否定したり、相手を小馬鹿にするような姿勢は取りません。それは、冒頭で引用した文(P18・19)および著者の次の言葉に端的にあらわれているでしょう(P81・82)。

 前にも書いたことだが、懐疑主義者は皮肉屋だと思っている人が多い。とにかく何にでもアラを見つけたくてしょうがないんだろうというわけだ。
 でも、それは懐疑主義とはちがう。懐疑主義者とは単に、何かの話を本気にする前に、まずは証拠の質をチェックしたいなと思う人のことをいう。懐疑主義とは立場じゃなく、手順なのだ。
 本物の懐疑主義者なら、ある主張を信じるための、あるいは棄却するための、信用できる証拠が十分にそろわないうちは、確固たる立場には立とうとしない。つまり、賛成にせよ反対にせよ、信じる強さは証拠の説得力しだいなのだ。そして当然ながら、懐疑主義者の呪文は「ものすごい主張ほど、ものすごい証拠が必要」である。

またこの本では、クリティカル・シンキング懐疑主義的な思考や手法を用いるものとしての「科学」のテクニックやあり方についても、簡潔明瞭な説明がなされています。興味のある人にとっては再確認として、馴染みの無い人にとっては勉強するに最適な解説となっています。科学の社会的な仕組みや方法、つまり、査読制度や他の研究者による追試での確認、二重盲検法や無作為割り付けなどについても、常温核融合にまつわるエピソード、臨床試験の話などを交えて、具体的で解りやすく説明しています。
それから、確率統計に関する話もあります。直感的・主観的に出てくる確率と実際に算出されるものとのズレとか、分布を考える重要性とか、ある条件が与えられたら何かが起こった、という話があった場合には、同時に「何かが起こらなかった」方も見るべきだ(分割表を書いてみるのが重要、という事)、という事などが説明されます。これは、いわゆる科学リテラシーという面から見てもとりわけ重要な知識なので、採り上げられているのはとても良い事でしょう。

このように本書は、読み物としても面白く、クリティカル・シンキングや科学の方法についても勉強出来、様々なエピソードを知る事の出来る、盛り沢山の内容です※。一読をお勧めします。

※この点に関して書いておきます。
採り上げる話題が多くなるほど、読む側は、それの出所や証拠の程度などを改めて確認する事が困難になります。ですから、自分が詳しい分野以外の話題で、初めて知った話などは、実は誤っている、という可能性はあり得ます。本書で言うと、FCに関する議論(ベムさんや そらパパさんがお詳しいと思います)や、経済・金融についての長期予測の話(実際に専門家による予測が当たっているか検証されている)などは、私にとってはあまり馴染みの無いものだったので、なるほど、こういうものもあるのか、という感じでした。また、超心理学やロールシャッハテストへの評価などについて、異論がある人もあるかも知れません(非常に難しい議論なので)。
そういう所も踏まえ、この本の内容自体も「クリティカル」に見ておく必要がある、という事を強調しておきます。けれども、総合的な書き方や著者の基本的な姿勢、核となっている参考文献などを考慮して、これは強くお勧め出来る本だと考え、紹介しました。本書をお読みになった方の感想も知りたい所です。

代替医療のトリック』や『クリティカルシンキング 不思議現象篇』は、本書に較べてなかなか手強いですが、それはもちろん、質が悪いとかそういう事ではありません。さきいかもスルメも美味しいが、スルメは味わうには少々、咀嚼にまつわる筋肉の労力を必要とする、という感じで捉えてもらえれば良いでしょう。