システム・連関・ホリスティック・科学

現代科学の弱点を指摘する際に「ホリスティック」や「関係」、あるいは「全体」というのを云々する人が今もしばしば見られます。それはまるで、科学はそこについて何も考慮せずに営まれているのである、と言わんばかりの「批難」です。
そういう人向けに、ここで一つ文章を置いておきます。

 話がまたもや,ころっと変わって……。近年になって発生した重要な概念のひとつに‘システム’がある.「多くの要素が互いに関連を持ちながら,全体として共通の目的を達成しようとしている集合体」というような概念であり,たとえば,自動車交通システムといえば,各種の自動車はもちろん,道路,交通管制のための信号,標識,給油設備,運転手,各種の法令など自動車交通に関連するあらゆるものと,そして,それらの間の相互関係を全体として把えたものを指している.世の中が複雑化,多様化するにつれて,要素の個々に注目するのではなく,全体をシステムとして把握することと,巨大な‘全体’を効果的に設計し運用するための技術の必要が痛感されて,‘システム’という概念が芽生えた.システムは,したがって,非常にたくさんの要素のあつまり,つまり集合である.なにしろ,カントール(1845-1918)と並んで集合論の創始者の1人に数えられるデデキント(1831-1916)は,集合の概念をシステム(system)と呼んだくらいだから…….そして,システムにとってたいせつなことは,たくさんの要素や部分集合(これをサブ・システムという)相互間の関連性であるといえよう.

これは、約40年前に書かれた、集合論の入門書にある文章です。これを見て、「今更」に、科学の「要素還元主義」などを批難する人は、一体何を思い、どのように応えるでしょうか。既に40年ほど前の数学・科学の啓蒙書(分野的には工学方面の本)に、明確にこのように書かれているのです。あたかも科学が「全体」や「関連」「関係」などに無頓着であるかのように思う人は、どのような根拠でもってそのように主張するのでしょう。立派な標語は掲げているが実態が伴っていない、とでも言いますか? 別にそう主張し批判する事は構いませんが、それを充分に支持する論拠は提出できるでしょうか。

もしかすると、そこで想起されている「科学」は、実は実際の営みと乖離した、想像上のものなのかも知れません。

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上記引用文は、大村平『やさしい集合論』(1974年)P42より。

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もひとつ引用。P44から。

 なぜ,話がころころと変わったかというと…….集合は,英語でいうと set であり,セットならば,ただ漫然と要素が集まっているのではなく,プラモデルの組立セット,応接セット,ゴルフ道具のフル・セットなどの意味合いからもわかるように,要素どうしの間に密接な関連性を保持することによって,セットとしての存在価値を主張している.要素どうしの関連性,いいかえれば要素どうしの相対関係を,その集合の構造という.漫才師の‘ぼけ’と‘つっこみ’の相互関係が,漫才集合の構造であり,時計の部品の相互の結びつきが時計部品集合の,つまり時計の構造であり,システムを構成するたくさんの要素間のつながり――物理的にも機能的にも――がそのシステムの構造であり,そしてまた,個々の自然数の相互の関連性が自然数集合の構造である.つまり,構造こそ,その集合の生命なのである.