食べ物と自己責任。文化。鶏刺し

夕方だったか、レバ刺し規制の話がニュース番組で採り上げられていて、その中で、レバ刺しを供していた飲食店の方へのインタビューがあったのですが(番組失念)、そこで言われていたのが、「自己責任で良いから食べさせてくれ」と言って頼み込む客がいる、という事。
どうなんでしょう。そういう人は、肉の生食によって起こり得る事を、「腹を壊す」程度のものだと認識しているのでしょうか。もしそのような考えに基づいて自己責任で……と言っているのだとしたら、肉の生食のもたらす危険の度合いについて、充分には周知されていない可能性があります。
いや、いくら懇切丁寧に知らしめようとしても、聞かない人は聞かない、というのはあるから、本当なら、アンケートでもとって、どのくらいの危険があると認識しているかを確かめる、というのも重要なアプローチだろうと思います。そこは念頭に置いた上で、飲食店の人に、自己責任でいいから食わせてくれ、と軽々しく言ってしまう、というような認識はなるだけ改善していくべきだ、とテレビを観ていて思ったのです。

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ところで。
肉の生食とその規制に関して、貴重な食文化を徒に規制するのは好ましく無い、という意見に対し、肉を生で食べる事に一体どのくらいの歴史があるのだ、と返すものが、しばしば見られます。
そう言う人は、主に牛のレバ刺しやユッケを想定していますか?

私は、「鶏刺し」を食べる地域で育ってきました。その名の通り、鶏を生で、薬味として生姜やにんにくをつけて食すものです。最近はWEB上で注文して取り寄せる事も出来ますし、ある程度地域外の人々にも知られた料理であると思います。
それで、鶏刺しを食べる事を、肉の生食に含めるとすれば、それは多分、肉の生食の文化と言えるものなのでしょう。なぜこういう曖昧な書き方かと言うと、「そんなのを改めて考えた事も無い」からです。だって、「当たり前」だから。それほどに浸透しているものです。いつ食べ始めたかなど記憶にも無い。元々あったのだから。だからまあ、そういう意味で言えば、食文化なんでしょう。
いつ頃から食べられてきたものかは解りません。60代くらいの人に訊いてみたりしましたが、その人が子どもの頃にあったかどうかも憶えていないようでした。ちょっと調べて資料が無いか探してみましたが、参考になるようなものは見つからず。でも、自分にとっては「既にあったもの」なのですね。

そういう育ち方をしてきた者からすると、肉の生食が一体どれほどの歴史か、と言う意見に対しては、私らは数十年生肉を食ってきたが、それについてはどう思うか、と訊いてみたい気持ちが少しはあります。文化文化と声高に主張するな、という意見には、「ものすごく特定のものしか見ていないのでは?」と感ずる事がある訳です。
たまに、肉を生食するなど「野蛮」だ、という意見も見かけるのです。まあ、「野蛮」を褒め言葉と受け止める人がいるとは、辞書的な意味合いから見ても、ちょっと考えにくいと思います。別に、食文化だから尊重しろ、と言いたいのでは無いのです、ですが、野蛮と批難してみたり、肉の生食はごく最近流行した習慣ではないか、と言っている意見などを見ると、「そうなの?」となります。たとえば、馬刺しを食べる習慣を持つ人達なども、色々と思う所があるのではないかと考えるのですが、どうでしょう。

私は鶏刺しに親しんできた者ですが、公衆衛生上・食品安全上、無視出来ないリスクがあると判断出来るのならば*1、飲食店で供する事に規制が及んでも致し方無い、と考えています。食文化だから規制しないでくれ、と短絡的に言うつもりは無いし*2、かと言って、文化と言うが新興のものではないか、と主張するつもりも毛頭ありません(そもそも、「文化」と言うのは、興ってからの年月の長さで評価されるものなのですか? だとしたらコンピュータゲームなどはどうする?)。
長年親しんできたものだけれど、それまで知られていなかったり、既知だけど社会一般への周知が足りていなかったりする、公衆衛生的に無視出来ない影響があるのだとすれば、それは制限されてしかるべきであると考えます。自分が好きかどうか、地域に浸透したものか、というのは、一旦切り離して考察・評価する必要があるでしょう。

牛レバ刺し以外をあまり考えていない人は、鶏刺しがどのように親しまれているか、あまり知らないでしょう? 「そこら辺にある」のです。スーパーの肉のコーナーには大概ある、くらいにポピュラーなんですね。それが当たり前過ぎるくらいに当たり前なのです。そういう地域もある。それを知った上で(精神にこびりついていると言って良い)私は、合理的な理由があるなら規制も已む無し、と思っています*3
文化が云々、と言う人は(声高に叫ぶ人も、それを懐疑的に見る人も)、もう少しだけ引いて、総合的に考えてみる事が肝腎ではないだろうか、と思うのです。

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余談。
たとえば、鶏刺しは平気で食べられるけれど、レバ刺しを食べるのは抵抗が……みたいな人もいるでしょう。
で、これ見て、「どっちも食えないよ」と思った人もいるでしょう。
そういうものなのですね。習慣というのは。

文化云々を論ずるなら、そういう所も考えておく必要があるでしょう。

*1:それをどう判断するか、は別の文脈だから措きます

*2:食文化だから規制すべきで無い、と表現する事が短絡だと言っているのでは無い

*3:リスクを合理的に回避する手立てを模索するのが重要なのは言うまでも無い。生食用の食鳥肉について独自の基準を設けている地域がある事を知っていますか?