理系ミスコンについて思ったこと

「ミス理系コンテスト」というのがあって、はてなブックマークが多めについています。コメントでは批判的な意見が見られます。
学生団体CURIE (ミス理系コンテスト)
はてなブックマーク - ミス理系コンテスト - CURIE
まず、ミスコン自体の是非については措いておきます。それそのものが難しい議論を呼ぶものであるし、私は語れるほどの知識も材料も持ちあわせていないからです。
で、私としては、他の部分が気になりました。それは、「ミス理系コンテスト」の説明ページにある文章です。
ミス理系コンテスト - CURIE

圧倒的に男性が多く"暗い" "オタク"といったイメージが強い理系。そのような中で勉学、研究に日々取り組む一方で、女性としての魅力にもあふれ、キラキラと輝く才色兼備な女性がいます。
世間にはあまり表立って出てこない彼女らのすばらしさをアピールするべく、史上初の理系女子によるミスコン "Miss Rikei Contest" を開催します!
※リンク先の修飾は外し、引用者が強調を施した

ここで、「"暗い" "オタク"といったイメージが強い」という部分をネガティブなものとして挙げ、それに「女性としての魅力にもあふれ、キラキラと輝く才色兼備な女性」というのをポジティブな事として対置している訳ですね。要するに、“暗い”、“オタク”というのを、忌避されていて、改められてしかるべき特性と捉えている訳です。だから、「そうでは無いよ」というのをアピールする目的でもミスコンが開催されると、そういうコンセプトだと解釈出来ます。
暗いとかオタクとかの語は、言動の傾向や性格への印象、や趣味嗜好に対して否定的な、あるいは嘲笑的な意味を付与されて用いられる言葉ですよね。そしてここの理念では、「そういう人々ばかりじゃ無いよ」、というのをアピールしようとしている。要するにこれは、特定の性格や趣味の人々を好ましく無いものと看做しているのであって、コンセプトとしてとても問題があると思うのです。
たとえば、理系に対する偏見を払拭したい、というのであれば、理科系学問の教え方が難しいから改善するとか、より面白いテキストや学習法を模索するとか、学問の成果が実生活にどう役立てられているか解かりづらいから関心を持てないという部分に橋渡しをするとか、実学的な応用とは別の基礎科学的な部分の美しさや面白さを解ってもらうとか、そういう所からアプローチするのが筋ではないでしょうか。けれど、ミス理系コンテストの理念を見ると、「理系と称される“人”」にクローズアップしていますよね。何かそれ違う、と感じました。
「暗い」というのは、口数が少なかったり、比較的前に出ないタイプの人の印象を表す言葉ですし、「オタク」は、特定の領域に(恐らくサブカルチャーとされるものに)格別の関心を持っている人を指す言葉と思いますが、それらは別に、忌避されるものでも非難される特性でも無いでしょう。そこに勝手に強いネガティブな意味を付与した上で、その印象を改善するかのように志向するのは、言葉の使い方としても安易と思います。
トップページに、

学生団体CURIEとは?
CURIE(キュリー)は、すべての「理系」のイメージアップに貢献する学生団体です!

とあるのですが、何か違うと思うんですよね。いや、理系のイメージアップをしたい、というのは別にいいのです。ああ自分も理科系を目指そう、と思わせるのは構わない。けれどそれは、「理系に綺麗な人がいるから」「理系にはオタクじゃ無い人も沢山いるから」というのをアピールする事では無いんじゃないかなあ。「理科系学部に関心を持ったり入学したりする人を増やす」という目的については適っている(合目的的である)としても、それは一時的(お洒落で綺麗だから入る、というのがどれくらい効果的で長続きするか)だし非本質的(理系とはそもそも学問分野の事であるから)なものと感じます。それでいいのだ、と言われるとちょっと困りますが。