PseuDoctorの科学とニセ科学、それと趣味: S02-04: 「学術論文」って何だろう?
読みましょう。学界の営みについて不案内な方にとって、大変勉強になる文章です。
そこでも触れられているように、この文章のもととなるものは、はじめkikulogに書かれ、その後で、私のブログに、お願いして書いて頂いたものです。それがこのたび、PseuDoctorさんご自身のブログにおいてまとめられました。
ここで、烏滸がましいながらも、少し気になった点をいくつか指摘します。ブラッシュアップ等に役立てて頂ければ幸いです。
「新規性」
最近も別の所で書いたような気がしますが、この種の文脈で「しんき」といった場合に私が思い浮かべるのは、「新奇」の方です。その語には、単に新しいという意味以上のものが込められているように感じられます。
もちろん、PseuDoctorさんの事ですから、吟味なさった上で新規と書かれたのだろうと推察します。もしかすると、新奇の概念を1)新規性 と 4)話題性 とに分解している、という事やも知れません。
「実験」
再現性の所で、再現実験の重要さが書かれていますが、私としてはここは、
- 観察
- 調査
- 実験
これらの方法を総合した上での再現性、という所を強調しても良いのではないか、と思いました。と言うのは、「科学の方法の典型」として実験研究を思い浮かべ、他の方法を意識しない、あるいは蔑ろにする向きもあるので、自然・人文・社会のそれぞれの領域にわたって用いられる色々の方法によって再現されるのが大切である、というのを紹介するのは一つのポイントかな、と考えた次第です。たとえば、医学分野における疫学でも、観察研究は大変重要な位置を占めると思われます。
「効果を判定する人」
もう一つ例を挙げるならば、新薬の臨床試験では新薬を与えた群と偽薬(外見はそっくりだが何の薬効も無いもの)を与えた群との間に統計的な有意差が出るかどうかを調べるのですが、その際にも「効果を判定する人」と「薬を投与される人」の両方とも、どちらが本物か偽者かを知っていてはならないのです。
※原文の装飾やリンクは外し、引用者が強調を施した
ちょっと気になりました。と言うのも、「効果を判定する人」は、必ずしも「与える人」と一致しないかも知れない、と思ったからです。私の認識ですと、
- 薬を投与する人
- 薬を投与される人
- 効果を判定する人
という立場があり(概念的にはまだ細かく分類する事は可能でしょうけれど)、一般には、上の二者をマスクした場合に二重遮蔽(盲検)法と呼ばれる、と考えています。ここについては、私の解釈違いかも知れませんが。
「確からしさ」の確率
自分の語感では、「確からしさの度合い」を「確率」と表現する、というようなものかな、と。ここは細かいですね。
謝辞返し
今回の御礼は勿論、kikulogを運営なさっている菊池誠さんと、Interdisciplinary を運営されているTAKESANさんに申し上げます。なお、私が本記事の元になった文章を書かせて頂いたのは、以前のInterdisciplinary です。
いえいえ、とんでも無うございます(※好意的表現)。
むしろ、お礼を申し上げるのはこちらの方です。色々と勉強させてもらって(現在進行中)、大変ありがとうございます。