丸刈り
坊主頭にしたのは自発的らしい(どこまでが真実か不明。他者によってという事なら益々問題だから、それを前提する必要は無いと考えた)。
それで、その事によって、
というように「何となく逃れられそうに思わされる」ような構造あるいは雰囲気があるのが恐ろしいと言うか。
実際、坊主頭にする事が「反省」「謝意」を象徴する記号として機能している訳だ。ファッション(見栄え)やパフォーマンス向上(スポーツ等での合理性等)を求める以外で髪を刈るというのは、身体をやむ無く傷つける事で反省としての機能を担いやすいし、何より視覚的なインパクトが大きい。そして、髪の毛はいずれ伸びるから、取り返しがつかないものでは無い。だから昔から、坊主にする事が反省の印として行われてきたのだろうと思う。
何が(悪い意味で)すごいかと言うと、あの動画に、公式のアナウンスからリンクが張られていた所。体罰やハラスメントが問題にされているこのご時世に何と不用意な、と思う(どのような時世であっても駄目であるが)。坊主にしたのは自分の意志であったかも知れないけれど(そう行動させる構造がそもそも異様であるが)、動画を撮影してWEB上にアップし、更にそれを公式の報告とリンクさせるのは、周囲の関係者の諒解があった上での事だろうから、その事に思いを馳せると、実に薄ら寒い。特に批判も無く同情を買えると踏んだか、あるいは批判があったとしても処理出来る範囲内に留まると考えたか。そこには色々な打算があるのだろうけれど、現在の社会状況を鑑みた上でのあの発表をする事は、誤算になるようにも思える(さすがにそれは無いだろう、という反応が大勢となる可能性がある)。