「因果関係がない」ことの証明
「美味しんぼ」一時休載へ 最新号で「表現のあり方を今一度見直す」と編集部見解 19日発売+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
美味しんぼ問題に関連しての記事です。で、記事に対する反応として、この中にある、
一方で、岡山大の津田敏秀教授(疫学、環境医学)は「チェルノブイリでも福島でも鼻血の訴えは多いことが知られています」「『低線量放射線と鼻血に因果関係はない』と言って批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を出せと求めればいい」と擁護。
(強調引用者)津田氏の意見に違和感を表明するものが見られました。たとえば以下のようです。
katsuto_n 無い事の証明を当たり前のように求められるのはなぜなの 2014/05/17
http://b.hatena.ne.jp/katsuto_n/20140517#bookmark-195466726
yu-kubo epidemiology
“岡山大の津田敏秀教授は…「『低線量放射線と鼻血に因果関係はない』と言って批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を出せと求めればいい」” それは悪魔の証明ですね。 2014/05/17
http://b.hatena.ne.jp/yu-kubo/20140517#bookmark-195466726
locust0138 津田先生はこんな残念な人だったのか。美味しんぼは科学の定説に反する主張を行っているわけだから、強い根拠を求められるのは当然。「因果関係がないこと」をどのように示せると言うのか。 2014/05/17 。
http://b.hatena.ne.jp/locust0138/20140517#bookmark-195466726
津田氏の経歴を知っている人なら、氏が疫学や因果推論について一家言を持っている方である事も認識しているだろうから、その津田氏が『因果関係がない』という証明を出せと求めればいい
などと表現している所に、より強い違和感を憶えるのかも知れません。
しかし、津田氏の意見をよく見てみると、
「『低線量放射線と鼻血に因果関係はない』と言って批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を出せと求めればいい」と擁護。
とあります。『低線量放射線と鼻血に因果関係はない』と言って批判をされる方
という対象を仮定、あるいは設定している訳です。という事は、この設定の文脈で、無いと言っているのは、津田氏ではありません。もし低線量放射線と鼻血に因果関係が無いと言っている人がいるのであれば、無い事の証明が求められるのは、これは当然の話です。あるとは言えないのでは無く無いなのだから。
ですから、少なくともここでは、津田氏が、あるという意見を否定するなら無い事の証明をせよという意味での悪魔の証明を求めている訳では無い、と言えます。これが一つ。
もう一つは、『因果関係がない』という証明
なる表現そのものについて。つまり、ここを見て悪魔の証明ではないかと解釈する意見というのは、文字通りの、あるいは数学的な意味での不存在の証明、という意味合いをこの文に読み取っている訳ですね。要するに、津田氏がそういう意味で使っていて、出来もしない事を求めている、と。
もちろん、津田氏がどういう意味で使っているか、は津田氏がよく解っているはずで、そこは確認すれば明らかになる事でしょうから、措いておきます(私は、それまでの津田氏の論からしてそんなに素朴な訳は無いと思っています。あるいは、津田氏が想定している批判対象――因果関係が無いと言っている人――に対する皮肉なのかも知れない)。
それで、津田氏の表現に悪魔の証明ではと言っている人が、どうしてそう思ったのかが気になります。もしかすると、『因果関係がない』という証明
という表現自体が、即厳密な意味での不存在の証明の意味を持つもの、として捉えられる、と考えているのでしょうか。
だとしたら、いささか早計に思います。と言うのは、議論の文脈や前提がしっかりと共有されているのならば、因果関係が無い事の証明は可能である、または、実証科学的制約の上に成り立つ立証(つまり経験科学的な意味での蓋然性の評価)がなされたという意味で、その表現を用いても構わない、と私は考えるからです。
たとえば、ホメオパシーレメディに効果が無いという意見があった場合、その意見をどう捉えるでしょうか。あるいは、血液型と性格との間に因果関係は無いという意見はどうでしょう。それをすぐさま、それは厳密には言えないからそんな表現は出来ないと言いますか? それとも、言葉の使い方について共有されているならば、そういう言い方も許容されるであろう、と看做すでしょうか。前者の立場を徹底して言葉の厳密さを重んずるなら、それはそれで結構だと思います。けれども、もしも後者の立場でありつつ、今回の津田氏の表現に悪魔の証明と言ったり、無い事の証明を求めている、と批判したりするという事であれば、今一度熟考される方が良いのではないかと思います。
だから、私としては、津田氏に対してはまず、
低線量放射線と鼻血に因果関係が無い証拠はある
と返せば良い、と思います。そして実際に証拠を提示する。それへの反論がどのようなものであるかで、津田氏の『因果関係がない』という証明
なる表現の意味が明らかになる事でしょう(恐らく、現在の環境における観察調査が不充分では無い、従ってそれはまともな疫学的証拠とはならない、という返され方になるでしょうが)。
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ここまでの内容は、あくまで「『低線量放射線と鼻血に因果関係はない』と言って批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を出せと求めればいい」
という部分の表現に関しての考察で、津田氏の意見全体に関するものではありません。私は、
こんな穏当な漫画に福島県の放射線のことが描かれたからといって文句を言う人のほうが、むしろ放射線を特別視して不安をあおっているのではないでしょうか
この部分については全く賛同出来ません。あのマンガが穏当などと言う意味が解らないし、そもそも、社会的に非常に興味を持たれている 物質→現象 という因果関係を示唆する表現に対して文句を言い、抗議するのは当然の態度です。その方が特別視して不安を煽る、とまで評するのは、実に気軽に、しかも的外れにものを見ているな、という感想です。
それと、
「チェルノブイリでも福島でも鼻血の訴えは多いことが知られています」
福島でも鼻血の訴えは多い
との事ですが、それを支持する疫学的な証拠というのは存在するのでしょうか。まず訴えが多い事自体が事実なのかという事と、仮に訴えが多いのが合っているとして、実際に鼻血を出す人の割合が他の地域に比較して明らかに(実質科学的に)大きい、という事には即繋がらない、のは津田氏ならよくご存知でしょう。もっと言えば、もし福島で鼻血を出す人の割合が(実質科学的に)大きいとしても、それは、放射線と鼻血の因果関係には即繋がりません。