「科学的に正しい/間違っている」は後で

それまで得られた知見から全く外れた主張に対して、科学的に間違っているとか、科学的に正しい反論などと言うのは、後にするべきで。
それは、初めから科学的という言葉・概念に重きを置いている人には効果的かも知れないけれど(あっちよりこっちの方が科学的だ、とシンプルに納得出来るので)、人はしばしば逆に、科学的では無い事を重視したりします。組織などの硬直性や、権威に頼る姿勢、といったものを、科学におけるネガティブな特徴と捉え、むしろ、そこから外れた主張にこそ価値がある、と看做す訳です。
だからそういう人に対して、いきなり科学的には……とやってしまうのは、逆効果の場合があると。
だから、先に示すべきは、理屈であり理路である、と私は思います。こういう思考の過程を辿る、こういう制度を作る、こういう仕組みを守る。そうすれば、あるいはそうしないと、知識の正当さは確かめられない、と、理屈でもって解らせる。それが先。で、確かにそうせざるを得ないな、そうしなければ保てないな、と理解させる。
そして、その後で、それを守ろうとしているのが科学であるという風に説明する。
なんかよく解らないけどそれを好ましく思わない、というのは結構あるものです。毛嫌い、というやつです。その場合、解っているのに嫌いなのでは無いから、解ってもらうチャンスがあるし、そのチャンスに目を向けるべきだと考えるのです。ニセ科学を信ずる人に対し、その人が知的にどうしようも無く劣っていると評価したりするのも見られますが、そうでは無くて、単にその対象(ここでは科学)を知らないので的外れな見方になっているだけで、説明すれば理解が得られる可能性がある、というのを前提した方が、よほど建設的であると思うのです。