非科学≠ニセ科学

例えば新型感染症は新しい知見しかありません。患者の訴えを「査読が通っていないからニセ科学」と無視したら、下手すると全滅します。 @hindu_kush420 @packraty 「査読システムに耐えたものが科学
http://twitter.com/pririn_/status/558908990868828160

※強調は引用者による
そんな人がどこにいるか知りませんが、もしも、ある言説について、査読に通っていないという条件だけニセ科学と言う人がいれば、その人は間違っています。そんな人がどこにいるのか知りませんが。
それで、査読に通るという事が科学であるための必要条件だと仮定すると、査読に通っていない事から言えるのは、それは科学では無い(非科学である)というものです。
だって、たとえば、脈絡も無く、医師免許を持っていないからニセ医者、と言う人がいればおかしいでしょう? 医者と呼ばれるには医師免許を持っていなければならないとして、医師免許を持っていない事から言えるのは、その人は医者では無いというものです。そして、ニセ医者だと看做せるのは、
医師免許を持っていないのに医師だと称する者
の事です。
ここまでを踏まえて科学の話に戻ると、ニセ科学というのは、
査読に通っていないのにそれを科学だと称する
ようなもの、です。査読に通っていないのに査読を通ったと言ったり、そのものずばりこれは科学的だなどと言ったり、ですね。
最初に引用したつぶやきの少し前のものを引用します。

それ、腹抱えて笑いました。今までの知見にないものはニセ科学だって高校生でなく先端研究者が言ったら、その人の存在意義が消えるww @hindu_kush420 @packraty 「教科書に書いてある(ない)から,実験しなくても正しい(間違い)」みたいな薄っぺらいものではないはず
http://twitter.com/pririn_/status/558906934099582976

はい、今までの知見に無いという理由だけで何らかの言説をニセ科学と評価する人がいれば、その人は間違っています。そんな人がどこにいるか知りませんが。この話の流れで言えば、ニセ科学というのは、
科学の知見として確立されていないものを科学の知見と称する
場合にそう評価されるでしょう。ここで重要なのは、知見の前に科学のと入れている所です。何らかの体系的な知識や有用な知識群を一般に知見と言うのならば、当然、科学以外の知見というのは存在するはずですから。その場合には、単に知見と言ったのでは、それが科学を指すのかどうか判然としません。
それで、今までの知見にないものはニセ科学だって高校生でなく先端研究者が言ったら、その人の存在意義が消えるwwというのは、先にも書いたように、(科学の)知見に無いという理由だけでそう言ったとすると、確かにその人の(研究者としての)存在意義は無くなるでしょうが、実際、その種の事を言う人はどこにいるのでしょう。いれば教えて欲しいですし、いないのなら、何でいない人の話をするのだろう、と思います。
ちなみに私自身は、査読に通っていない事のみをもって、ある言説がニセ科学であると評価する事は、あり得ません。少なくとも確立された科学の知識では無いとは思いますけれども。

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余談
査読については、統計的検定などと同じで、常に誤り得るものですから(査読は人間の営みであるし、統計的検定にはα/β エラーなどがある)、単一の査読の結果をもってどうこう言う事は出来ません。だからこそ、他者の追試による再現などが重要となる訳です。査読に通る事を科学の必要条件であるとするのを仮定と言ったのは、話を進めるために敢えて単純にして話す、という含みです。
査読というのはあくまで制度なので、それを必要条件と言ってしまって良いかはちょっと考えたい所です。現行の科学においては最重要視される条件の一つである、という事は言えるでしょうけれど。
そもそも、科学というものの必要条件とか十分条件とかを議論する事自体がとてもむつかしいのですね。