発見力と延命効果
過剰診断と検診効果、との混同
過剰診断の話と、検診による延命や救命の作用、とを区別出来なかったり混同したりする理由として、病気を発見する作用と早く見つける事そのものによるメリットとが明確に分けられていないから、というのが挙げられるように思われる。
用語の提案
そこで私は、検診が病気を早く見つける事が出来る度合いを発見力と呼び、症状発現前に見つける事による延命・救命作用を、延命効果と表現する事を提案する。ここで、救命ならば延命であるので、一般に延命効果としている。
このように分ければ、疾病に罹っているが症状が出ていない状態の人を見つける(これを早期発見と言おう)事と、早期発見によって延命する事を用語として峻別出来、概念の異なりも意識出来ると考えられる。
発見力
発見力とは、ある疾病を対象とする検診について、当該疾病に罹っているが症状が出ていない人を、その病気と診断出来る程度の事、である。
この概念には、診断が可能となる時点から、症状が発現する時点、までの間の長さが大きく関わってくる。この期間の事を、診断可能前臨床期(DPCP)と言う(前臨床期とは、症状が出る前という意味)。いまからは、略称の DPCP を用いる。
たとえば、対象の疾病の内、それに罹ってから数ヶ月程度で急激に進行し死亡する、というようなものの割合が大きいのであれば、年に一回おこなわれる程度の検診によって発見する事は難しい。多くの人は、DPCP が短いために、検診と検診とのあいだに、発症―死亡 という経過を辿ってしまうからである。
逆に、DPCP が数年-数十年もあるものが多ければ、検診によって早期発見出来る割合も大きい。
これは、魚と網の関係にたとえる事が出来る。すなわち、体長が短い魚であれば、網で掬い取りにくいが、長いものであれば引っかかりやすい。また、網の目が大きければ、ある程度長い体長の魚を取り逃がすであろうし、目の細かい網であったら、小さめの魚を捕える事が出来るだろう。しかるに、実際的には、検診には費用が掛かるし、検査は心理的にも身体にも負担を強いる場合があるため、容易に検診の機会を増やす(網の目を小さくする)事は出来ない。
検診の延命効果
検診による延命効果とは、早期発見によって延命する効果の事である。
ある疾病に対する医療介入行為が功を奏するためには、
- そもそも、有用な治療法が存在する
- 適切なタイミングに介入する
これらの条件が必要である。
まず、有用な治療法自体が無いのであれば、いつ見つけても意味が無いと言える。いつ見つけても手遅れである、と言っても良いだろう。また、その治療法が有用となるタイミングが重要である。治療法があっても、この状態を過ぎれば意味が無い、というのであれば、それは手遅れであると言える。
いま、治療が適切なタイミングでおこなわれるか、という話をした。これには当然、疾病の経過のあり方が関わってくる。たとえば、ある種の がん であれば、それが周りに拡がっていく(浸潤)とか、血液やリンパ液を通じて離れた臓器にも がん細胞が移動し増殖する(転移)、といった経過の仕方がそれである。
ここで、治療法が有用となるかそうで無いかを左右するような時点を、臨界時点(クリティカルポイント)と呼ぶ。もし、ある がん が離れた臓器に転移すれば難しいが、それまでに治療をすれば有用である、というような時点が存在すれば、それがクリティカルポイントであると看做される。これは概念的なものであり、実態として、ここがそうである、と確定出来るようなものでは無い。また、疾病によって、クリティカルポイントの数や、出現する時期も異なってくるだろう。
先ほど、疾病の診断可能時点から症状発現時点までのあいだ、という概念を採り上げ、それを、診断可能前臨床期(DPCP)と呼ぶ、事を紹介した。いまは、検診の延命効果の話をしているから、検診による早期発見、つまり、症状発現前に発見する事によって延命出来る、と言えるためには、
治療成績を左右するクリティカルポイントが DPCP 内に存在する
という条件が必要である。もしこれが、診断可能になる前にしか存在しないのであれば、いつ見つけても手遅れ(つまり、有用な治療法が存在しない)となるし、症状出現後にしか存在しないのであれば、
早く見つけても意味が無い
のだと言える。敢えて検診によって早期発見しなくとも、いずれ症状が出て医療機関を受診し、有用な医療介入が施されるからである。
発見力と過剰診断
発見力が高くなるためには、DPCP が長いものが多くある、という条件が必要であった。そうで無ければ、年単位でおこなわれるような検診では拾えないからである。
ここで、DPCP が、残り寿命より長いという場合を考えよう。つまり、死ぬまで症状が発現しない場合、である。
ある種の がん などは、死亡してから発見される例が多く観察される。これは、生きている時に発見されていなかった疾病を死んでから見つけるのを意味しているので、多くはその病気の症状が発現する前に死亡したのだと言える。DPCP が寿命を越える例である。
いまのような例の割合が多ければ、当然、発見力は高まる。疾病を診断出来る期間が長くなるからである。しかるに、それはすなわち、
死ぬまで症状が発現しない例をも多く発見する
事も示唆する。このような場合を過剰診断と言う。
ここで重要なのは、
発見力が高くなるためには、DPCP が長い事が必要だが、DPCP が長ければ、過剰診断例の割合も高まる
という事である。
発見力と延命効果
検診によって延命効果が発揮されるには、DPCP 内にクリティカルポイントが存在する事が必要であった。しかしこれは、あくまで必要な条件というだけであって、それだけでは足りない。何故ならば、早期発見による延命効果が多くなるには、そもそも早期発見がなされなければならないからである。言い換えると、発見力が高いという条件をも備えていなければならないのである。
いくら DPCP 内にクリティカルポイントがあっても、DPCP 自体が短ければ、発見する事が出来ないのであるから、クリティカルポイントを捉えられない。従って、検診が延命作用を発揮する事も無い*1。
反対に、DPCP が ある程度長く、その中にクリティカルポイントがあれば、検診によって発見出来る割合が高まり、結果、クリティカルポイントを捉える割合も高まるので、全体として、検診が延命効果を発揮する、と評価する事が出来る。
過剰診断と延命効果
いま、検診が効果を発揮するには、DPCP が ある程度長く、そこにクリティカルポイントがある事が必要である、と書いた。
これがもし、
DPCP は ある程度長いが、クリティカルポイントは臨床期(症状発現後)にしか無い
という場合であればどうだろう。この場合、検診の発見力は高くなる。だが、検診の延命効果は発揮されない。クリティカルポイントが臨床期にしか無いので、早期発見する意味が無い(症状発現後でも間に合う)からである。つまり、
発見力が高く、延命効果が無い
という場合を意味する。
更に、発見力が高いのであるから、全体的に DPCP が長い例が多く(これは先に設定した前提)、中には、DPCP が寿命を越える例も出てくる。つまり、過剰診断が起こる。そして、DPCP がとても長いものの割合が大きくなれば、それに連れて、過剰診断の割合も大きくなる。要するに、
検診の延命効果が無い上に、検診を積極的におこなえばおこなう程、過剰診断の例も増えていく
という事である。
有効な検診
ここまでを踏まえると、有効な検診というのは、
DPCP が ある程度長く、その中にクリティカルポイントが存在し、有用な治療法が存在する
これらの条件を備えたものがそう評価される、と言える。そして、DPCP が長めであるのだから、どうしても、DPCP が寿命を越える例をも拾ってしまう。つまり、有効な検診にも過剰診断はつきもの、なのである。
そうであるから、実際に検診をおこなうかどうかを決める際には、その検診がどのくらいの延命効果をもたらすか、のみならず、検診はどのくらいの過剰診断を発生させるか、も併せて検討される。
過剰診断は、診断(発見)されなければ、一生症状が出ず、従って、その疾病に罹っているのを知る事も無かったものなのであるし、一旦診断されれば、多くは治療されるので(診断された例が、クリティカルポイントを捉えられたかどうかを正確に知る事は出来ないので、多くは安全側に倒し、治療介入せざるを得ない)、それに伴う心身の負担や社会的経済的コストは無視出来ない。かと言って、それをゼロにする事は出来ないので(DPCP は長めで無くてはならないから)、ある程度の過剰診断のデメリットを許容しつつ、検診による延命効果というメリットを得ようとするのである。もちろん、検診に際しては本来、対象の検診にはどのくらいの延命効果が期待出来、また、どのくらいのデメリットがあり得るのか、が説明される必要がある。
概念の峻別
このように、検診について考える場合には、検診によって疾病を早期発見出来る度合いと、検診によって延命効果が発揮されるか、という度合いとを、分けて認識する必要がある。
これらは、独立の概念では無く、お互いに関係し合って現象を構成しているが(たとえば、発見力が極端に低ければ、早期発見自体が少ないのだから、延命効果も期待出来ないであろう。もちろん、過剰診断も少ない)、議論を整理するためにも、まずはきちんと峻別して理解しておくべきである。
*1:短い DPCP の中にクリティカルポイントがある疾病が存在するか、という実際的な問題とは別の、概念的な可能性の話である