桑満おさむ氏の不正確な説明――甲状腺がん検診の議論を巡って

はじめに

五本木クリニックの桑満おさむ院長が、次のような記事を上げておられます。

www.gohongi-beauty.jp

要約すると、東京学芸大学において、小児または若年者に対して甲状腺がん検診がおこなわれる事、に対する批判、および、甲状腺がん検診一般をおこなうべきで無い事についての説明です。

最初に私自身の立場を書いておくと、私も、東京学芸大学における甲状腺がん検診、また、当該検診を主催する甲状腺検査 茨城 千葉 | 関東子ども健康調査支援基金のおこなっている甲状腺がん検診、延いては、一般の甲状腺がん検診そのものについて、反対しています。その意味では、ほぼ桑満氏と似たような立場である、と言えるでしょう。

しかるに、リンクを張った桑満氏の記事を読むと、いくつか、説明に不正確な所が見られます。このまま流布すると、誤った知識が伝達される虞がありますので、ここに指摘します。

※引用文中、強調部は引用者による

検診は、生存率を高める事が目的では無い

がん検診の目的
そもそもがん検診は早くがんを発見して、早く治療をすることによって生存率を高めることが目的

誤っています。がん検診の目的は、生存率を高める事ではありません。

がん検診の目的は、

検診をしない場合に較べて、検診をする事で寿命を延ばす

事です。

生存割合

生存率――正確には生存割合と言うべきなので、以降はこちらを用います――とは、病気に罹った人の内、一定の期間で生存した人の割合を示す指標です。たとえば、甲状腺がんに罹った人が100人いるとして、5年で98人が生存していた場合、5年生存割合は98%である、といった具合です。

これを見ると、なんだ、検診をした甲状腺がん患者において、それ(生存割合)が高くなれば、検診が効果を発揮したと言えるではないか(何人かの寿命が延びたから生存割合も高まったのではないか)、と思うかも知れませんが、そうではありません。

ゼロタイム

検診とは、無症状の内に病気を見つける事です。いっぽう、検診に比較するのは当然、症状が出てから見つかった例です。もし、同じ人について、症状が出てからよりも、無症状の内に見つけるほうが寿命が延びるのであれば、その検診には効果があった、と評価されます。

ところで、がんのような慢性疾患の場合、いつ発生したかが正確には判りません。病気をどの段階で見つける事が出来るのかは、検査の性能に左右されます。従って、がんに罹った人について、生存割合等を算出するための期間(生存期間)の起点は、がんが見つかった時点とせざるを得ません。この起点の事を、ゼロタイムと呼びましょう。

ゼロタイム・シフト

そうすると、次のような事が起こり得ます(表示時のフォント等の環境によってズレが出る場合もあると思いますが、大体の所の把握として見てください)。

※以下は、全く同じ人について、検診を受けなかった世界線と検診を受けた世界線を比較しているとでも考えてください

症状が出てからの発見
発---------可----------------------症----見・処------------------死
----------------------------------------[--------生存期間---------]

↑これは、症状が出てから発見される場合です。発見・処置がなされた所をゼロタイムとし(ここでは、処置をしなければ死亡し、処置をしたら寿命を延長する事が判っている場合を想定)、そこから死亡までの期間を生存期間とします。

※各文字は、次のような対応です

  • 発:疾病の発生
  • 可:疾病が検査で発見可能になる
  • 症:症状の出現
  • 見・処:発見および処置
  • 死:死亡
検診による発見
発---------可--------見・処------------------------------------死
--------------------[------------------生存期間-------------------]

↑こちらは、検診によって発見された場合です。

これらを比較すると解りますが、死亡時点は同じです。つまり、症状前に見つける事によって寿命は延ばせなかった――効果が無かったのを意味します。

しかるに、生存期間は、検診をしたほうが長いように見えます。つまり、

寿命は延びないのに生存期間が延びる

という、一見奇妙な事が起こります。
何故こういう事が起きるかというと、先に説明したように、生存期間算出の起点(ゼロタイム)を、発見時としているからです。こうすると、症状前に見つけて処置をした事で寿命が延びなくとも(症状が出てからでも間に合う)、生存期間の起点が移動する事によって、寿命では無く生存期間のほうだけ延びる、という訳です。

このように、生存期間の起点が移動する事を、ゼロタイム・シフトと呼びます。重要なのは、今考えている生存期間が、あくまで、医学的介入の効果を評価するための指標である、という事です。つまり、がん検診の効果――寿命を延ばす効果を測る指標として、単純に生存期間を用いるのは不適切、であるのです。

リードタイムとバイアス

通常、治療の効果などを測る場合には、生存期間が用いられます。その際は、同じような情況で病気が見つかった人を、異なった処置をおこなう集団に分けて比較するので、ゼロタイム・シフトによる延命効果の評価の誤りが、起きにくいと言えます。ですが、こと検診においては、検診をするケースとしないケースで、ゼロタイムの意味合い自体が変わってくるのです。
このようにして、検診による延命効果を生存期間で測ろうとすると、検診したケースの生存期間を不当に長く評価するという事が起こります。つまり、ほんらい測りたい延命効果が、生存期間を指標にする事で、不当に長めに評価される(偏る)という訳です。

検診の場合には、検診をしたケースは、発見時点から、症状が出るはずの時点の分だけ、生存期間が長くなります。この期間を、リードタイムと呼びます。そして、リードタイムが加算された生存期間という指標によって、延命効果が不当に長めに評価されるような働き(偏り)を、リードタイム・バイアスと言います。

再び、生存割合

以上のように説明してきた事情がありますので、がん検診の効果を、単なる生存期間で測るべきではありません。そして、生存割合というのは、集団を一定期間観察した場合の、各症例の生存期間をまとめて評価する指標ですから、当然こちらにもリードタイム・バイアスがかかり、検診の効果を不当に高く評価する危険性があります。

死亡割合

では、検診における、寿命を延ばす効果については、どのように測れば良いのでしょうか。

理想的(仮想的)には、全く同じ集団について、検診をしない場合とした場合とを比較するとして、全員が死ぬまで観察をして、対象のがんによる死亡者の割合を比較すれば、検診の効果を評価出来ます。がんは発生時点が判りませんから、等質の集団を考えて、観察する時点をゼロタイムとします。そして、検診を受けない場合と受ける場合とで、全員が死ぬまでを観察して、対象のがんによって死ぬ割合が減っていれば、その分が、検診によって救われたものと看做せる訳です。

しかし実際には、全く同じ集団で、何らかの処置をおこなった場合とそうで無い場合を比較するのは不可能です(SFでは無いので)。ですので、現実的なやりかたとして、ある集団を、検診を受けない集団と受ける集団とにくじ引きで分けて、似たような集団にして、なるべく長い期間を観察して評価します。

リードタイム・バイアスを回避して、寿命を延ばす効果を調べる指標は、先に説明したように、集団全員の内、対象の病気に罹って死亡した人の割合です。これを、死亡割合(死亡率とも)と呼びます。

桑満氏は、後のほうでは死亡率とも表現していますので、書き間違いの可能性もありますが、検診の議論においては、出来る限り気をつけて表記・説明をおこなうべきです。そうで無いと、生存割合が向上したのなら、検診をおこなうべきで無いという主張は崩れるのではないか、という反論を受けるからです。

尤も、甲状腺がんは、既にかなり生存割合が高いので、それが著しく向上する、という事は起こりにくいと考えられますが。

生存割合で検診の効果を評価すべきで無い事、死亡割合(の減少)で測るのが望ましい事については、以前にも説明しましたので、より詳しく知りたいかたは、そちらも参照ください。

interdisciplinary.hateblo.jp

過剰検査・過剰治療の温床という表現

過剰検査?

桑満氏は、今回のヘンテコな企画は過剰検査・過剰治療の温床となりかねないのですと主張しています。ここで、温床とは、どのような意味合いでしょうか。

この内、過剰検査が、病気が無い人に対して、検査によって不安等を与えるというのであれば、確かにそう言えるかも知れません。甲状腺の結節や のう胞は、かなりの割合に見つかり、定期検診や経過観察を促されるからです。検診を主催する基金によれば( 取り組み | 関東子ども健康調査支援基金 )、7,180人の検診対象の内、所見ありは5,325人にも上ったそうです。当然、検診を受けるのは、がんになったのではないか、との不安からでしょうから、所見があった、定期検診を受けるように、と言われるのは、心理的にも負担になるでしょう。

過剰診断・過剰治療

ただ桑満氏は、その後で、福島で行われている子供に対するエコー検査も過剰診断・過剰治療の可能性が高いですとも書いています。ここでは過剰診断となっています。こちらの定義は、

症状が出ないような がんを、検診によって見つける事

です。つまり、がんを見つけるという前提があります。がんではあるが症状が出ないのを見つけるのが問題なのであって、結節などを見つけて不安を与える、といった事とは違います。過剰治療のほうは、過剰診断された がんについて治療(手術などの処置)をおこなう事で、そもそも症状が出ない病気に対して処置をするという意味で、医学・医療上の重大な問題です。

分母

これを踏まえて、桑満氏の言う温床が、過剰診断の事を言っているとすると、それは適切と言えるでしょうか。

福島の検診では、30万人くらいの人を数年間観察して、100例以上200例以下の甲状腺がんが発見されました。これは、検診を受けた人を分母とすれば、季節性の感染症や他の慢性疾患などと較べて、温床と言えるような割合とはなりません。そもそも がん自体が、他の病気と比較すれば、稀なものだからです。
これが、見つかった がんを分母とした場合の過剰診断の割合、という事であれば、それはそれで重要な問題ではあるのですが、やはり、検診に反対する流れで温床と表現するのは、ちょっと合わないように思います。

甲状腺がん検診をおこなうべきで無い理由

改めて説明しておきます。

甲状腺がん検診をおこなうべきで無い事の理由は、過剰診断などの害があるから、では無いです。

検診のみならず、医学的介入一般について、その便益とを比較して、実施すべきかどうかが評価されます。その観点から言えば、害がある事自体は、その医療介入をおこなうべきで無い理由そのものにはなりません。それだけでは、便益に対する評価が無いからです。

実際は、甲状腺がん検診は、効果が無い蓋然性が高く、効果をもたらすという証拠は無いという知見があります。つまり、効果が認められていないという事です。これは、医療介入をおこなうべきで無い理由そのものになります。そもそも効果が認められていないのだから、実地の臨床には用いてはならない、という倫理的な理由です。そのような介入をおこなうのが正当化されるとすれば、

  • 効果が認められていない
  • 効果が無い蓋然性が高い
  • 過剰診断の害がある
  • 誤陽性(病気が無いのに、あるかもと判定)や誤陰性(病気があるのに、無いだろうと判定)の害がある
  • 併発症(検査に伴う出血等。精密検査で問題)の害がある
  • 病悩期間延長(ゼロタイム・シフトによるリードタイム発生の分、病気が発覚してからの期間が延長され、様々の心理的身体的経済的負担が生ずる)の害がある

等々の理屈を理解してもらった上で、臨床研究として参加してもらう、というのが、最低限達成されるべき条件です。しかもこれは、それなら正当化し得る、というもので、甲状腺がん検診のように、効果が無いであろうという事の知見がある介入については、それでも実行して良いか、という問題があります。

甲状腺がん検診の是非について議論する際には、少なくとも、これまでに書いてきたような事情や専門用語・概念を把握して臨む必要があります。そうで無ければ、的を外してしまい、建設的なものとはならないでしょう。