甲状腺がん検診をおこなうべきで無い理由と、余剰発見と害のはなし

もう、何度も何度も何度も何度も書きますが。

検診をおこなうべきで無い理由

福島(に限らず一般に)において、甲状腺がん検診をおこなうべきで無い理由は、

余剰発見等の害があるから

では無いです。そうでは無く、

効果が認められていないから

です。

効果が認められいない事を、知見に即してもっと正確に言えば、

あったとしても、極めて小さい事が分かっている

となるでしょう。

この種の文脈において、厳密に無い(ゼロ)かどうかを議論するのは、科学的に(実際的にも統計学的にも)無意味です。特にがんのような、稀な頻度で起こるような事象の観察について、バイアスを完全に排除し、全てをミス無く調べ尽くす事は不可能だからです。

これまでの観察からは、多数の人びとに検診がおこなわれてきて、死亡割合低減等の証拠が無いので、あったとしても、何十万人や何百万人に検診をおこなって一人の命が救えるかどうかすら分からない、というような意味合いで、効果が極めて小さい事が分かっている、と言えます。

ただ、甲状腺がん検診に関しては、科学的に最も強い研究方法であるRCT(大前提:よくデザインされていて、協力者のコンプライアンスが良好であるRCT。これが上手くいかず中止されたRCTがある)による証拠が無いので、(肺がん検診や乳がん検診に較べて)相対的には弱い証拠であると言えます(だから、甲状腺がん検診の効果については、得られている証拠は間接的であると言われる)。
そして、それを考慮しても、効果が認められていないのは、確実に主張出来ます(直接的な証拠自体が無いのだから)。

一般に、医療介入をおこなう際には、

  • 介入そのものの効果が認められている
  • 似通った介入の効果があると判っている

時に、正当化され得ます(後者は、直接的な証拠が無い事をきちんと知らせる必要がある)。
され得ると書いているのは、必ず、介入の効果は、それがもたらすと比較しておかなければならないからです。

しかるに、甲状腺がん検診に関しては、介入そのもの効果が極めて小さいという(これを、実質的に無いと表現する場合もありますが、本記事ではそれを避けます)、間接的な証拠があります。少なくとも、効果を示す証拠は無い。ですから、その介入をおこなうべきでは無い訳です。

余剰発見

検診に限らず医療介入には、どんなものにも害が生じ得ます。これは、私たちが普段使う薬を飲んだりする経験(いわゆる副作用)からも、実感として解ると思います。
ですから、先に書いたように、単に害があるというのでは、その介入をおこなうべきで無い理由とはなりません。先に書いたように、効果(正確には、効果効能効用利益等は別概念ですが、ここでは効果としておきます)と害とを比較して考える必要があります。

検診は、最悪の帰結である所のを避け、あるいは死までの期間を延伸する、という効果が期待されます。したがって、集団で見た時に、救われるのが数千人に一人という頻度でも、それを意味ある効果と看做し、実施の正当性が探られます。

余剰発見による害は当然深刻ですが、それでも、死を避けられる効果は重大なので、そういう害がある事自体は、集団として受け容れる訳です。
ただし肝腎なのは、そのあたりの事情を受診者に知らせる所です。その観点からは、検診に関わる医療者は、これまで極めて怠慢であった、と私は思います(overdiagnosisの考えを、どれだけの人が知っていますか? 検診の説明時に、どれだけ詳しく説明されますか?)。

ここまでの事情があるので、仮に、ある検診をおこなって、その内何割か(数十パーセントなのだから、それはとても大きい)に余剰発見が発生するとしても、それだけでおこなうべきで無いとはならないのです。

福島の話で考えると、福島において、余剰発見の割合がどの程度なのかは、正確な所は不明です。この見積もりは難しいのです。

余剰発見がほとんどである、と言えるには、ほとんどが、症状が現れるものの先獲りでは無いとの条件が必要です。定義上、症状が現れるはずの疾病を見つけるのは、余剰発見ではあり得ないからです。しかし、甲状腺がんの自然経過(処置しない場合の経過)、特に若年者におけるそれは、現在追究されているもので、充分に解明されたものではありませんから、現時点で、余剰発見の程度(割合)について、確たる事は言えません。

twitterなどを見ると、全てが余剰発見である、との意見もありますが(さすがに多くは無い)、これなどは論外です。
もちろん、理論的にはあり得る(あくまで可能性としては)ものですが、現状の知見から、そのような判断をおこなえるはずがありません。

私が今まで再三強調しているのは、検診をおこなうべきで無い理由は、効果が認められていないからで、余剰発見があるから(だけ)では無い、という事ですが、これは、

余剰発見が少ないとしても、検診をおこなうべきでは無い

ケースも想定した上での主張です。

つまり、検診をおこない、その結果、余剰発見の害が無い(少ない)としても、寿命を延ばす効果が無いのであれば、そもそも検診はおこなえません。

解りやすい例を考えると、罹れば短期間で死にやすい病気があったとして(見つけても余剰発見が少ない)、そもそも、その病気の治療法が見出されていなかった、としたらどうでしょう。その病気を、なんとしても無症状の内に見つける意味があるでしょうか。

なぜ余剰発見を強調するか

このように、検診をおこなうべきで無い理由は、効果が認められていないからであり、害が大きいとしても、それと利益の程度とを比較しないと実施の正当性は判断出来ないし、重大な害である余剰発見の割合についても、現時点で正確な事は言えないので、余剰発見を前面に押し出して、検診の是非を論ずるべきではありません。

では何故、この辺りの細かい検討をせずに、余剰発見の害ばかり言って検診の中止を訴える意見、が見られるのでしょうか。
その理由は、想像するしかありませんが、理論的には、次のような可能性があるように思われます。

害の重大さ・悲惨さを強調したい

余剰発見は、検診の害の内でも、最悪の部類のものです。なぜなら、そもそも何もしなくても良いものに対して介入し、場合によっては処置をおこなう(過剰処置:overtreatment)性質の害だからです。個人レベルで言うと、その害を負うべき理由は何もありません。利益が無く、かつ丸ごと全部が害です。

効果との比較をしなくて済む

このように、余剰発見の害は、個人レベルでは必ず、メリットが無く、害のみを被ります。ですから、発見されたがんの内、ほとんどがそうであると評価すれば、集団レベルでも無意味であると看做せます。

そのように考えると、効果の検討が必要無くなります。余剰発見がほぼ全てであれば、効果がほぼ無い事が、自動的に導かれるからです。

しかし、先にも見たように、余剰発見の割合について、現時点で正確な評価は出来ません。ですから、

余剰発見が極大だから効果が極小

との論法を使えませんし、使うべきでもありません。

余剰発見以外の害を軽く見ているか、考慮しない

何らかの行為をおこなうべきで無いと主張したい場合に、害の重さを強調する事があります。甲状腺がん検診では、余剰発見の害をアピールし、実施のナンセンスさや非倫理的である事を訴える、のがそれです。これは当然、余剰発見による心理的負担、肉体的侵襲、等を重く見ているからでしょう。

また、甲状腺がん検診の一次検診は、超音波検査ですから、その害の小ささも関係しているのでしょう。検査を受ける事への心理的負担は重要ですが、超音波検査による肉体への影響は、非常に軽いものです。
また、精密検査に用いる穿刺吸引細胞診は、超音波検査よりは侵襲が高いものですが、それでも、余剰発見等による手術や、その後の後遺症等よりは重大で無い、との判断もあるのでしょう。
そのような理由もあって、余剰発見の害の割合の高さを(知見を考慮せずに)主張するのかも知れません。

しかし、それ以外の害にも着目する必要があります。すなわち、

病悩期間の延伸

です。

検診で見つけた がんが、余剰発見で無い場合、見つけた時点から、症状が出るはずの時点、までの期間が、病気を認識する期間(病悩期間)として、(症状が出てから見つける場合に比べ)延伸します。

余剰発見は、そもそもゼロで良い病悩期間を生成させてしまう、という意味で最悪の害ですが、しかし、余剰発見で無い場合の病悩期間延伸の害が軽いか、と言うと、全くそんな事はありません。

甲状腺がんなどは、そもそも、病気に罹っている期間が極めて長いと考えられています。ですから、場合によっては、十数年から数十年、病悩期間が延びます。
がんを発見したが(細胞診をゴールドスタンダードとする)、処置せず経過観察する場合(積極的監視療法)には、肉体的侵襲は相対的に低いでしょうが、心理的経済的等の負担は大きいです。もちろん、処置(手術や薬物療法放射線治療等)する場合の総合的負担は、言わずもがなでしょう。

それを考えると、敢えて、知見を飛び越えて余剰発見ばかりを強調せずとも、検診の害の重大さは主張出来ます。ここは、きちんと押さえておくべきです。

まとめ

ここまでの事をまとめると、

  • 甲状腺がん検診をおこなうべきで無い理由は、効果が認められていないから
  • 疫学的に間接的な証拠を参照すれば、効果は、あっても極めて小さいと評価される(評価指標:NNT・NNS・NNI――介入による絶対リスク減少の、逆数)
  • 害の存在は、検診をおこなわない事の十分の理由にはならない
  • 余剰発見の正確な割合は不明
  • したがって、余剰発見の割合を、効果が無い事の代替として使う事は出来ない
  • 余剰発見以外の害も深刻

このようになるでしょうか。

甲状腺がん検診については、余剰発見ばかりだから中止すべきのような意見も、認められてもいない効果を想定して実施を正当とする意見も、いずれも乱暴です。

やるべきは、今得られている証拠に基づき、出来る限り丁寧に検討と説明を重ねる事、ではないでしょうか。