経過観察と、余剰発見の「抑制」

文末に追記:2019年6月7日

未だ、混乱する意見が見受けられますので、整理しておきます。

経過観察

福島の甲状腺がん検診周りで、

経過観察をおこなうので、余剰発見が抑制出来る

との意見を見る事があります。これについて考える時に重要なのは、

どのフェーズでの経過観察か

です。

発見後の経過観察

一つは、

見つけた甲状腺がんを経過観察する

ものです。

日本ではいち早く、微小がん(腫瘍径10mm以下)に手術などをおこなわず、そのまま経過を見ていく、という方法が研究されてきました。これを、アクティブ・サーベイランス(積極的監視療法、待機療法)と言います。そして、それをおこなっても、予後が悪くはならない事が、判ってきたのです。

このような知見に基づいて、現在では、超低危険度がん(微小がんで、明らかな転移の無いもの)では、アクティブ・サーベイランスをおこなう事が推奨されています。

福島の話に戻すと、このような事を踏まえてか、がんを経過観察しているので余剰発見が抑制出来る、と主張する人がいる訳ですが、これは、完全に間違っています。何故なら、

既にがんを見つけた後

だからです。余剰発見とは、症状の出ない病気を見つける事そのものである事を、思い出しましょう。
したがって、見つけた後に処置をおこなわない選択をしても、それは、余剰発見の抑制になり得ません。

しかし、処置をしないのだから、無駄な手術を早まっておこなう事を、抑制するのは可能ではないか、との意見があるかも知れません。実際に、可能です。ですがそれは、余剰発見したものに処置をおこなう、過剰処置(過剰治療)の話であって、余剰発見(過剰診断)ではありません。ここをきっちりと、区別しましょう。

ただ、発見後の経過観察により、過剰処置を抑制するのは理論的には可能ですが、しかし、実際的な所を、よく考えてみてください。
若年期に余剰発見した甲状腺がんについて、

過剰処置しない事を達成する

とは、どういう時でしょう。
それは、罹患者が、

がんを処置されないまま、他の原因で死亡する

時です。一体それまでに、何年かかるでしょうか。数年? あるいは数十年? 何年かかるか判らないものを、処置せずにずっと経過観察してもらう事は、それ自体が、大きな負担ではないでしょうか。

そう考えると、発見後の過剰処置抑制とは、主に処置を遅らせる意味での抑制であり、処置の件数を減らすことは、それほど簡単では無いと考えられます。また、処置を遅らせる場合でも、その間の病悩期間延伸があります。

発見前の経過観察

もう一つの経過観察とは、

精密検査に回さない

事です。つまり、検診の最初である一次検診(エコー検査)で陽性にしない事によって、なるべく精密検査に回さないようにすれば、それは当然、がんだと診断されません。

先に見たアクティブ・サーベイランスの知見によって、微小がん(の内、特に低危険度がん)は、予後が良い事が判っていますから、それに基づいて、とても小さいものは見つけないようにする訳です。

それは、がんの発見自体を減らすのですから、当然、余剰発見の抑制に繋がります。それはその通りです。

余剰発見抑制と検診性能

しかしこの場合、別の問題が出てきます。それは、がんを見つけないようにするのが、

検診の性能を落とす

事だからです。

検診は一般に、病気で無い人を陽性にしてでも効果を発揮しようとします。病気がある人をなるべく陽性にするように、病気が無い人が陽性になるリスクが上がる事を受け容れる訳です。で無いと、見逃しが発生します。

福島の甲状腺がん検診では、小さい結節・のう胞については、精密検査に回さないようにしています。確かにこれは、余剰発見抑制に繋がります。しかし同時に、検診の性能を落とす事にもなります。

被ばくによる甲状腺がん流行を心配する人は当然、がんが沢山発生し、しかも速く進行する危ないものも多くある、と考えるはずです。そうであれば、

見つけた時点で小さいものを見逃す

事を許容するのは、整合しない態度なのです。もしほんとうに、危ないものが沢山発生していると考えるのなら、

余剰発見を増やしてでも検診の性能を上げ、見逃さないようにする

と考えるべきです。であるのに平気で、微小がんを見つけないようにしているから、福島では余剰発見を抑制出来ている、などと言います。これは結局、

検診に期待していない

か、もしくは、

福島で、より危ない甲状腺がんが流行している事を本気で心配していない

かの、どちらかの立場である事を示唆します。

考えてもみてください。ほんとうに心配していて、それを検診で救いたいと思うのなら、一次検診で見つかった結節が小さいからといって、

見つかったのが小さかったので、ひとまずは安心だ

とはならないでしょう? とにかく何とかしたいなら、

今は小さくとも、これからどうなるか判らないから、精密検査に回そう

となるはずです。何故なら、検診というのは、

悪くなるはずのものを、出来るだけ小さな内に見つけ、命を救う

事が目的であるからです。

峻別する事

このように、余剰発見抑制のための経過観察と言う時に、論者はどちらの意味を想定しているか、を考え(発見後の話であれば、余剰発見抑制は出来ない)、それを主張する事によってどのように論を展開しようとしているのか、を見極める事が、肝腎です。

2019年6月7日追記


。福島の場合は『発見前の経過観察』で診断を抑制してるんで、確かに精度が落ちます。これを避けるために同一対象での反復検査が行われてるんで、やめるにしてもフォローが必要です。

これを避けるためとは何ですか? 何を避けるのですか。

精度――私は感度の事を言っていますが、診断の文脈では、感度と精度は異なります――云々は一般に、一回の検査に関する、ある種の静的な(実際に断面的調査は不可能なので、理想的には、ですが)指標です。

いま、ある集団に検査をおこなった場合、

病気の人が陽性になる割合または確率

が、感度です。

この記事で私は、

見つけた時点で小さいものが危険かどうか判らないから、心配であると言うのなら見つけようとするはずだ

という意味合いの事を書きました。
もし、小さいのに危険なものがあれば、それを危険では無いと看做した(陰性とした)時点で、見逃し(誤陰性)です。それを見逃しておいて、同一対象への次回以降の検診で見つけようとするのは、進行するまで待つ訳でしょう。経過の悪いものは、なるだけ早く見つけるのが良いのではなかったのですか? 早く見つけるほど機能を温存しやすい、というのが、検診をおこなうべきだと言う人たちの主張では無かったのですか。

また、実際に、たちの悪いがんが、多く発生している(流行)のなら、閾値を上げる(感度を下げ見つけにくくする)事によって、

検診と検診のあいだに症状を呈するがん

が、多く見つかるはずです(中間期がん:インターバルがん)。そのような報告があるのですか。

それとも、小さい内は見逃しておいて、大きくなったら危険になるようなものを、都合良く、検診の時に(つまり無症状時に)見つけられ、かつ、その事によって、機能温存が出来たり、などの検診の効果を主張するのでしょうか。とすれば、検診の論理を全く無視した、暴論的想定です。

牽強付会は止しましょう。