個別と集団――くじ引きと過剰診断
菊池誠の駄文は変なところばかりだけど、特にこの「過剰診断かそうでないかは臨床的に区別できないので、過剰診断を避ける方法は検査しないことだけ」には失笑。じゃあなんであんたは過剰診断だって断言できんの。→福島の甲状腺検査は即刻中止すべきだ(下) - 菊池誠|論座 https://t.co/BAdkTExwLa
— 想田和弘 (@KazuhiroSoda) June 30, 2019
、特にこの「過剰診断かそうでないかは臨床的に区別できないので、過剰診断を避ける方法は検査しないことだけ」には失笑。じゃあなんであんたは過剰診断だって断言できんの。
菊池氏の主張や書きかたにとても雑な所があるのは、当ブログでもしばしば指摘している通りですが、それはそれとして、この、想田氏の批判は、的を外しています。
まず、集団に検診をおこなう事を、集団でくじ引きをおこなうと読み替えてください。そして、当たりくじを引く事を、過剰診断がおこなわれた事に相当する、とします。多くのくじ引きでは、当たりはポジティブなものですが、ここでは、当たってしまったのように解釈してください。
さて、この過剰診断くじ、普通のくじと異なることは、
引いたら当たりはずれが確定するが、引いた時点ではどちらか判らない
所です。くじに特殊な仕掛けがあって、
- 当たり外れの情報が組み込まれている
- タイマーがあり、何年か何十年後かに、当たり外れが表示される
こういう機能が実装されている、とします。しかもこのくじ、分解した瞬間に、全ての組み込みデータが消失する仕組みです。
ここで、このくじは、引かれた数の内、0.05%が当たるように配分されたとしましょう。そうすると、
- くじを引いた人の一定の割合で当たる
- 引いた人が、その時点で当たりであるかを判別する事は出来ない
この2点が両立します。これに過剰診断を当てはめると、
- 検診を受けた人の一定の割合で、過剰診断が起こる
- 検診を受けた人は、その時点で過剰診断であるかを判別する事は出来ない
このようになります。検診において、これが両立し得る、という訳です。少なくとも、これ自体は、おかしいとか矛盾するとか、そのように批難出来るような主張ではありません。
重要なのは、考える対象が、ある人間の集団であるか、それとも、個別の人であるか、という所です。
過剰診断は、研究をすれば、どのくらいの割合で起こるかは判明します。しかし、見つけたものは、その時点では過剰診断かどうか判りませんし(引いてから表示までのタイムラグ)、処置してしまっても(くじを壊す事に相当する)、その対象が過剰診断例であったかどうかは、もう判りません。
ここまでを踏まえると、過剰診断を避ける方法は検査しないことだけ
との意見は、正しいと言えます。何故なら、誰もくじを引かなければ、くじに当たる人もいなくなるからです。
このような事情から、想田氏の批判の方向は、的を外していると言えます。ここで例示したくじ引きでは、くじを引いた人が当たりかは判らない事と、0.05%の人が当たりを引いた(もちろん、くじが全部引かれているのが前提)事とは、矛盾しないからです。
ところで、くじ引きには胴元がいますから、当たりくじの割合は、完全に判ります。これが、人間集団を実際に観察しないと判らない、過剰診断との違いです。だから、菊池氏に対して批判するなら、想田氏のような言いかたでは無く、
その当たりくじの割合は、どのようにして導いたのか
と問うべきなのです。具体的にどの知見を援用したか、どのデータを補外したのか、と。失笑
などと言っている場合では無く。
批判するにしても、分野の知見と議論を押さえた上でおこなうべきです。
改めて、くじ引きの例を用い、菊池氏の主張を検討してみます。
菊池氏が先に主張するのは、
このくじには一定割合で、損をする当たりが含まれるから止めるべき
というものです。しかしこれだけでは、くじを引くべきでは無いと主張は出来ません。何故なら、
そのくじには一定割合で、得する当たりが含まれるかも知れないから
です。損をする当たりくじが含まれるにしても、それを上回るくらいの、得する当たりくじが含まれていれば、集団としてくじ引きに参加したほうが良い、となるかも知れないからです。もちろん、ここで言う、得する当たりくじとは、検診での寿命が伸びるなどの効果に相当します。
ここまで見てくると、くじを引くべきでは無い事の根拠として、損をする当たりが含まれるからでは無く、
得する当たりが含まれないから
という事を優先して出すべきである、のが理解出来るでしょう。
検診にまつわる議論、効果の評価も過剰診断の論理も、とても難しいものです。簡単に理解出来るものではありません。ですから、勧めようとする立場も、反対の人も、いずれも、関連の知識を充分に勉強し、丁寧に議論を戦わすべきなのです。