個別と集団――くじ引きと過剰診断

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菊池誠氏による記事です。そして、この記事への反応

、特にこの「過剰診断かそうでないかは臨床的に区別できないので、過剰診断を避ける方法は検査しないことだけ」には失笑。じゃあなんであんたは過剰診断だって断言できんの。

菊池氏の主張や書きかたにとても雑な所があるのは、当ブログでもしばしば指摘している通りですが、それはそれとして、この、想田氏の批判は、的を外しています。

まず、集団に検診をおこなう事を、集団でくじ引きをおこなうと読み替えてください。そして、当たりくじを引く事を、過剰診断がおこなわれた事に相当する、とします。多くのくじ引きでは、当たりはポジティブなものですが、ここでは、当たってしまったのように解釈してください。

さて、この過剰診断くじ、普通のくじと異なることは、

引いたら当たりはずれが確定するが、引いた時点ではどちらか判らない

所です。くじに特殊な仕掛けがあって、

  • 当たり外れの情報が組み込まれている
  • タイマーがあり、何年か何十年後かに、当たり外れが表示される

こういう機能が実装されている、とします。しかもこのくじ、分解した瞬間に、全ての組み込みデータが消失する仕組みです。

ここで、このくじは、引かれた数の内、0.05%が当たるように配分されたとしましょう。そうすると、

  • くじを引いた人の一定の割合で当たる
  • 引いた人が、その時点で当たりであるかを判別する事は出来ない

この2点が両立します。これに過剰診断を当てはめると、

  • 検診を受けた人の一定の割合で、過剰診断が起こる
  • 検診を受けた人は、その時点で過剰診断であるかを判別する事は出来ない

このようになります。検診において、これが両立し得る、という訳です。少なくとも、これ自体は、おかしいとか矛盾するとか、そのように批難出来るような主張ではありません。

重要なのは、考える対象が、ある人間の集団であるか、それとも、個別の人であるか、という所です。
過剰診断は、研究をすれば、どのくらいの割合で起こるかは判明します。しかし、見つけたものは、その時点では過剰診断かどうか判りませんし(引いてから表示までのタイムラグ)、処置してしまっても(くじを壊す事に相当する)、その対象が過剰診断例であったかどうかは、もう判りません。

ここまでを踏まえると、過剰診断を避ける方法は検査しないことだけとの意見は、正しいと言えます。何故なら、誰もくじを引かなければ、くじに当たる人もいなくなるからです。

このような事情から、想田氏の批判の方向は、的を外していると言えます。ここで例示したくじ引きでは、くじを引いた人が当たりかは判らない事と、0.05%の人が当たりを引いた(もちろん、くじが全部引かれているのが前提)事とは、矛盾しないからです。

ところで、くじ引きには胴元がいますから、当たりくじの割合は、完全に判ります。これが、人間集団を実際に観察しないと判らない、過剰診断との違いです。だから、菊池氏に対して批判するなら、想田氏のような言いかたでは無く、

その当たりくじの割合は、どのようにして導いたのか

と問うべきなのです。具体的にどの知見を援用したか、どのデータを補外したのか、と。失笑などと言っている場合では無く。
批判するにしても、分野の知見と議論を押さえた上でおこなうべきです。

改めて、くじ引きの例を用い、菊池氏の主張を検討してみます。

菊池氏が先に主張するのは、

このくじには一定割合で、損をする当たりが含まれるから止めるべき

というものです。しかしこれだけでは、くじを引くべきでは無いと主張は出来ません。何故なら、

そのくじには一定割合で、得する当たりが含まれるかも知れないから

です。損をする当たりくじが含まれるにしても、それを上回るくらいの、得する当たりくじが含まれていれば、集団としてくじ引きに参加したほうが良い、となるかも知れないからです。もちろん、ここで言う、得する当たりくじとは、検診での寿命が伸びるなどの効果に相当します。

ここまで見てくると、くじを引くべきでは無い事の根拠として、損をする当たりが含まれるからでは無く、

得する当たりが含まれないから

という事を優先して出すべきである、のが理解出来るでしょう。

検診にまつわる議論、効果の評価も過剰診断の論理も、とても難しいものです。簡単に理解出来るものではありません。ですから、勧めようとする立場も、反対の人も、いずれも、関連の知識を充分に勉強し、丁寧に議論を戦わすべきなのです。