『通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査』発表の検討
【PDF】通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について (令和4年12月13日) (PDF:836KB)]
PDFの内容を検討します。簡潔に行きます。
調査目的は、10年前に同様の調査がおこなわれたが、当時とは様々の情況が異なっていると考えられるため、改めて調査を実施し現状を把握するもの。
調査法の記述は割としっかりしている。目標母集団(標的集団)は全国の公立の小学校・中学校・高等学校の通常の学級に在籍する児童生徒
で、層化3段抽出、回収割合は8割以上と高い。学級担任に記入してもらうという仕組みが、回収割合を高めていると思われる。
回答者は、上述の通り学級担任。特別支援コーディネーターまたは教頭副教頭が確認し、校長が諒解すれば回答。担任が児童生徒について答えるのだから当然、バイアスがかかり得る。と言って、バイアスがかかるからこういう調査には意味が無い、とはならない。標準化されたテストを児童におこなわせるなどすると、コストが甚大になり、割合を推定する目的には大掛かりすぎる、という場合もあるから。要するに目的次第。
質問内容は、ADHDや高機能自閉症に関するテストを参考にして作成。この種のテストは本来、トータルとして妥当性や信頼性が評価され標準化されて、実施にあたってテストを受ける情況を厳密に設定しておこなうべきものであるから、それをアレンジした時点で測られるものが違ってくる事に注意。だから調査主体は、
本調査における「Ⅰ.児童生徒の困難の状況」については、学級担任等による回答に基づくもので、特別支援教育コーディネーター、又は教頭(副校長)による調査票の記入内容の確認を経て、校長の了解の下、提出された回答に基づくもので、発達障害の専門家チームによる判断や、医師による診断によるものではない。
↑留意事項としてこのように補足している。内容が違うので縦断的比較も出来ないとも書いてあり、けっこう注意深いと言える。
調査結果が標本割合であり、それに基づいて母集団割合を推定している事も明記している。ただし信頼区間の説明(95%の確率で悉皆調査の場合の集計結果を含む範囲。
)は間違っている。読む側が信頼区間を知っているのは稀だろうから、もう少し詳しく説明したほうが望ましいが、かといって簡単に書けるような概念では無い。
結果の記載は、各質問項目ごとに、割合の信頼区間が書かれている。わざわざ検定などせずに信頼区間を載せているので良い。
有識者会議による考察として、
「今回の調査結果から考えられること」 有識者会議座長 宮﨑 英憲
↑座長の宮ザキ(ザキはたつさき)氏による考察が記載されている。
前回の調査から割合が高くなっている所に触れているが、前述のように、調査情況が異なる事に注意するようにも書かれている。
。対象地域や一部質問項目等が異なるため単純比較はできないものの、
↑調査研究の文脈では、単純比較はできないもののとして続けるのは不用意と言える。単純比較出来ないから比較方法を工夫して、なるべくバイアス等を排除するのが研究の眼目であるのだから。
繰り返しにはなるが、本調査は、発達障害のある児童生徒数の割合や知的発達に遅れがある児童生徒数の割合を推定する調査ではなく、学習面や行動面で著しい困難を示すとされた児童生徒数の割合を推定している調査である。
↑本調査におけるアウトカムは、担任報告アウトカムとでも言えるものであるから、それの割合をもって、厳密に定義された概念にあてはまる例の割合を示すものでは無いと書いている所は、丁寧であると言える。あくまで担任が質問に対して回答した割合だが、それはそれで重要な資料。
割合が高くなっている事の理由として、
、通常の学級の担任を含む教師や保護者の特別支援教育に関する理解が進み、今まで見過ごされてきた困難のある子供たちにより目を向けるようになったことが一つの理由として考えられる。
↑このようなものが挙げられているが、これは比較的冷静な見かたと言える。つまり、実際の割合が変わらなくとも、評価する側の尺度が変化した事で見かけの割合が上がったのではないか、という指摘で、心理学的や社会学的の概念を測る際には注意しておくべき観点。
この次に、議論になっている記述がある。
そのほか、子供たちの生活習慣や取り巻く環境の変化により、普段から1日1時間以上テレビゲームをする児童生徒数の割合が増加傾向にあることや新聞を読んでいる児童生徒数の割合が減少傾向にあることなど言葉や文字に触れる機会が減少していること、インターネットやスマートフォンが身近になったことなど対面での会話が減少傾向にあることや体験活動の減少などの影響も可能性として考えられる。
↑ここは、明らかに不用意。アウトカムの割合が増えた事の原因として、特定の習慣等に割く時間の増減を示唆しているが、これは、
- 既にそれが知見として共有されているか、
- それを支持する実証科学的証拠をその場で提示出来る
事が出来なければ、説得力を持たない。これは、有識者会議としての立場からの意見なので、根拠が提示されておらずそう思っているものでしか無い。研究の一環として統計的因果推論をおこなってもいない。そもそも、同時にそれらの時間を測っているのでも無い。更に言えば、ほんとうに割合が増えているかも断言出来ない。原因と目されるものとして特定のメディア、デバイス、習慣等を挙げているのだから、なぜそれを敢えて採り上げるのかを指摘されるのは当然と言える。調査主体としては、そのような問いに答えられなければならない。
次に、基準の境界付近についての検討が書かれている。もしそういう付近にあると評価された児童生徒が支援を必要とする状態であるのなら、実際に支援するのを考えるのは重要。もちろん、だからこそ、ほんとうにそうなのか、をきちんと検討する必要があるのだが。その後にも、前回調査との単純比較はできないものの
と書きつつ検討しているが、先にも言ったように、単純比較出来ないのであれば、
- 比較を工夫する
- 比較などしない
のが重要であって、単純に言えないと前置きすれば良いというものでは無い。調査自体では特に検討されていない事について、有識者会議として踏み込み過ぎていると言える。
全体的な感想としては、
- 調査の目的や実施方法、結果の記載のしかたは比較的丁寧で、資料を注意深く活用すれば社会に資するかも知れない
- 調査でおこなわれているのは割合の推定くらいであるにもかかわらず、有識者会議という立場から実証的証拠に基づかない検討をおこなっている所が不用意
というもの。調査自体は、目的やコスト等を考慮しておこなわれるものであって、10年前におこなった調査を踏襲した同内容の調査をおこなうのは意義あるものと考えられる。ただし、標準化を受けたテストをおこなっておらず、他者による報告がアウトカムになっているという点は、研究の限界点として念頭に置く必要がある。調査では割合の区間推定がおこなわれており、そこから何らかの要因による因果効果を見出すべく統計的因果推論はおこなわれていない。従って、後半にあるような有識者会議(座長)による考察は、不用意なものとして批判的検討は免れないと言える。
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余談
甲状腺がん検診方面で過剰診断(overdiagnosis)が話題になって久しいが、発達障害等の方面でも過剰診断(overdiagnosis)が議論になる事がある。前者はどちらかと言うと余剰発見(overdetection)が問題となり、後者ではどちらかと言うと過剰定義(overdefinition)が問題になる。ADHD評価スケールやASSQを参考にして質問項目が作成され、それに担任が回答した担任報告アウトカムが収集され結果が発表される事について、より厳しく批判的検討が加えられるのは当然と言える。どのように定義しどのように分類するか、というのは、心理的にも社会的にも医学的にも、様々な観点から重要な事柄であるのだから。