がん検診と宝くじ
名取さんの主張は、がん検診を宝くじのように認識して検診を気軽に利用する、あるいはそれを促すのを宝くじの誤りと称する事を提案する、というものです。その場合に重要なのは、
- がん検診と宝くじの違いを示す
- がん検診を宝くじかのように認識して受ける人がいるのを示す
これらです。
宝くじの期待値はマイナスであり、
宝くじの期待値はマイナスではあり得ません。賞金がゼロ以上だからです。宝くじの期待値は、販売金額の半分程度です。半分を超えてはなりません。マイナスになるのは、くじをランダムに1枚購入した時の当選金額を確率変数として、そこから1枚の販売金額を差し引いたもの、の期待値です。くじがランダムに購入されるというのは、後から当たりくじがランダムに抽選される事によって保証されます。当たり前ですが、不正は無いものとします。
宝くじの期待値
なる表現は、賞金から購入金額を引いたものの期待値を指している(省略表現である)、それを一々言うのは難癖である、と評されるような指摘で無い事は、名取さんは解ってくださるでしょう。これは、科学の議論において専門用語を使う事、文脈から補って解釈する所が共有されているかどうか、などに関わる、結構デリケートな話です。
宝くじの大きな特徴は、
- 当たりで得られるものが同質(要するに、金である)
- 外れの場合の害(損)が同質(要するに、金である)
- 当たりくじが含まれる事が判っている
- 当たりくじで獲得する賞金の額と割合が判っている
事です。買う前に判っている。いっぽう、がん検診は、
- 当たりで得られるもの、つまり便益が同質で無い。正陰性による楽観ラベリングとQOL低下抑止と死亡回避とでは異なる
- 同質で無いから、重み付けが異なる
- 害が同質で無い。誤陽性による害(これ自体が多様)と検査の侵襲と余剰発見とでは異なる ※余剰発見の害は、がん発見により生ずるあらゆる害を含み得る
- 当たりが含まれるか不明。それまでの実績やシミュレーションによる蓋然性でしか評価出来ない
- 当たりによる便益の大きさと割合も、蓋然性でしか評価出来ない
こういった所でしょうか。ここで、宝くじの当選も確率的なのでは、と言われそうですが、それは、少数枚を購入して当選を後から決める所の話であって、もし宝くじを全て買う事が出来たら(実質的に不可能だけれど)、必ず決まった金額を損するのが解っています。そこが違い。がん検診を全人口に実施しても、便益と害の大きさ、またその割合は、一定にはなりません。想定する母集団が仮説的無限母集団ですしね。宝くじは有限母集団です。ちなみに、必ず決まった金額を損するというのは、表現を変えると、必ず、購入額より小さい割合を得られる、となります。この、購入額に対する当選金額の割合を、還元率と言います。この還元率は、ある数値を超えてはならないよう、法律で決められています。だから先に、当選金額の期待値が購入金額の半分を超えてはならないと書いた訳ですね。当せん金付証票法 | e-Gov法令検索
宝くじの直接的な害、まあ日常的には損と言うべきでしょうけれど、それは解りやすく、金です。その意味では同質。けれども、がん検診の便益と害の評価は、とても難しいです。ちょっと考えれば解ります。
- 病気が無い人が陰性と通知されてそれで安心する
- 病気が発見されて寿命が延びる
- 寿命は延びないけれど、QOLの下がりかたを抑えられる(薬を飲む量や頻度、手術による後遺症などが抑えられる)
これらは検診で得られる便益ですが、価値、あるいは重み付けは違いますよね。最初のは正陰性(真陰性)と言いますが、これが主にもたらすのは心理的安寧です。しかし、もし定期的に検診を受けるとし、がんに罹るリスク(確率)が今後も0で無いのならば、正陰性は一過性の便益です。QOLは一般にも知られるようになった用語だと思います。何年か生きながらえるよりは、寿命は少し短くともQOLを保ったままが良い、と考える人もいるでしょう。そうすると、単に生存期間の延伸で評価するのでは実態に合わなくなる。そういうのを考慮して、検診の便益評価では、QOLで重み付けした生存期間(QALYなど)で評価したりします。複雑でしょう?
害のほうも複雑です。観血的な処置によってもたらされる出血や創傷等は明確な害ですが(※厳密にはそうでは無いが)、種類によっては比較的短期間で治癒が期待出来るものでもあります。また、誤陽性(偽陽性)は、病気が無いのにあると評価してしまう事ですが、それによる害は、病気があると認識する不安感などです。もちろん、一次検査で誤陽性になり、精密検査がおこなわれたら、その精密検査に伴う害を丸ごと被る訳です。内視鏡検査などは結構きついでしょう。低リスク(確率)ながら、穿孔等も生じ得ます。誤陰性(偽陰性)は、病気があるのに無いと評価されるものです。陰性なので、楽観ラベリング、つまりほっとする便益はありますが、病気はあるのですから、後からの病気の発見に伴う害が待ち受けます。
そして、余剰発見(過剰診断)。これは、正しく病気と診断される(正陽性・真陽性)ものの一部です。病気だけれどそれは実は症状をもたらさないものだ、というのがポイント。だから、病気の発見に伴うあらゆる害が、受ける必要の無い害です。手術して寿命が延びた、という場合だと、手術で受ける痛みや出血、それらを治すための投薬などの負担は、寿命が延びる事で打ち消される訳です。けれど余剰発見は、そもそも症状が出ないから、処置によって回避すべきものがありません。それに対し処置を施すのだから、丸損です。どうですか、検診の害はめちゃくちゃ複雑ではありませんか? もちろん、最悪の害は死です。検査や処置による死亡リスク(確率)があれば、検診で死ぬ事となります。言うまでも無いですが、それは、検査や手術の技術の向上や洗練、施設におけるオペレーションの質などと関連するものであって、やはり評価は簡単ではありません。
しかもです。便益も害も複雑な上で、検診の実施を考えるにあたっては、それらを比較する必要があります。これも難しいでしょう。だって、検診でもし1人の寿命が5年延びるとして、その代わり、何人かに対し余剰発見が起こる場合、何人までの余剰発見なら許容出来るか、すぐ答えられますか? 悩ましいでしょう。 死を回避するのと、受けなくても良い処置による害を被る事、とを比較するのですから。人によっては、1人の命が救えるのなら、10000人に余剰発見が生じても構わないと思うでしょうし、余剰発見の害を重大だと評価すれば、100人でも許容出来ない、となるでしょう。これは、すぐに決めようが無いもの、心理的社会的の部分が関わる、いわば皆で決めるべきものです。
と、検診の便益と害を説明してきましたが、でもあれです、ちょっと前のほうで、宝くじの害は同質(つまり、金)と書きましたけれど、それも単純すぎるきらいがあります。だって、買いかたによっては、買う人の生活や人間関係に大きな影響を及ぼし得るではないですか。のめり込んだギャンブラーが身を滅ぼす、なんてのはある事です。もちろん、ギャンブルによって、どのような影響を与えるかは異なってくる所でしょう。それを考えると、検診を宝くじにたとえる人は、
節度をもって少額購入で済まし、さほどのめりこまずに財産や人間関係に影響を及ぼさない程度の購入者
と、勝手に限定された意味で言っているとも考えられます。本気でやるとなると、宝くじを購入する人が、それによってどのような帰結を辿ったか、という本格的な調査研究が必要となるでしょう。害の研究とはそういうものです。便益のほうもそうですね。大金が舞い込んだら、それによって生活が豊かになったり、家族や友人に色々振る舞って、嬉しくなるかも知れません。でもそれも、購入した時点での経済状況や人間関係のありかたによります。というかですね。いま、わざとこう書きましたけれど、
大金が得られたから幸せになる
とは限らないではないですか。超高額くじで当選した人が破産したり、バレて(あるいはバラして)面倒くさい事になったり。
何にせよ、検診も宝くじも、便益と害には色々ある訳です。ただ、宝くじの場合は、日常生活の延長であったり、ニュースなどで知らされる所であったりで、比較的想像しやすいのはあると思います。対して検診のほうは、便益と害の種類自体が馴染みの無いものですし、その評価のしかたと評価の実際など、専門的な文献を読まないと知り得ない所なので、そこの難しさは、がん検診の有効性議論の特徴と言って良いかも知れません。
結論。
アナロジーは難しい