「4人に1人,平均の意味がわからず」という主張
大事な所なので、改めてエントリーにします。
先日の数学調査についての報道。たとえば読売はタイトルに、「4人に1人,平均の意味がわからず」と書いていました。他紙も似たような書き方です。参照(2012年2月26日に、「数学 平均」でgoogleニュースを検索したもの)↓
私は最初、こういった書き方は、大学生の学力低下を煽る(潜在的にしても)ような文句をマスメディア側が作文したもの、という風に思っていました。平均値に関する結構トリッキーな問題について答えられない事をもって「平均の意味が解らない」というような表現をするのはいかにも早計だな、と感じていたのです。
ところが、日本数学会の資料を見てみると、次のような部分がありました。
(概要版)日本数学会「大学生数学基本調査」に関する報告書(PDF)より引用。強調は引用者による。
1−1 4人に1人,平均の意味がわからず
「平均の定義と基本的な性質の認識」の正答率は76%.調査対象となった大学生の4人に1人が,平均の意味を正しく理解していない.私B・C群では,約半数の学生が不正解.
要するに、そもそも調査者たる日本数学会が、「4人に1人,平均の意味がわからず」「4人に1人が,平均の意味を正しく理解していない」との意見を表明している訳です(この2つの文にはニュアンスはある――「正しく」という語のある無し)。という事は、マスメディアの報じ方をもって、「メディアはいかにも煽るように、”大学生の大きな割合の人は平均の意味が解っていない”と言っている」というのを、「調査者の見解を無視している事を念頭に置いて」批判するのは誤りである、と言えます。つまり、もしその表現が不用意であると言うのならば、「マスメディアも日本数学会も不用意」である、と評価するのが整合的である、と。その意味では、この表現について、メディア「が」というのは違う訳ですね。メディアも学会「も」となる*1。
ところで、上のキャプチャ画像を見ると、媒体ごとの表現の微妙な差が垣間見られて面白いですね。産経などはいかにも煽っている風。まだ、朝日の”「平均」の意味《誤解》”(二重括弧で強調)が慎重に見える。
こういったほんのちょっとした違い、たとえば、
- 平均の意味を理解していない
- 平均の正しい意味を理解していない
- 平均を理解していない
このような表現の異なりが印象の与え方に作用するのですね。
*1:もちろんここでは、そもそも問題に正答出来ていないのだから、別にその表現でも構わないではないか、というのは別の話です。それは調査の適切さに関する議論