がん検診効果の誤謬と《がんもどき言説》の評価

b.hatena.ne.jp

↑これは、

gijika.com

↑このページについた、はてなブックマークコメント群です。

Gijika.comについては、以前に言及した事があり、その時と印象はそれほど変わりませんが、措いておきます。今回着目するのは、はてなブックマークコメントの内、

疑似科学評定|疑似科学|Gijika.com

山崎元氏ががん検診を怠り食道がんの発見が遅れた(喉に異常を感じ受診した時にはステージIIIだった)のは、近藤誠のがんもどき理論を信じてしまっていたから。近藤氏ももう死んでいるが、彼の謬説はなお人を殺す。

2024/01/17 08:58
b.hatena.ne.jp

山崎元氏ががん検診を怠り食道がんの発見が遅れた(喉に異常を感じ受診した時にはステージIIIだった)のは、近藤誠のがんもどき理論を信じてしまっていたから。近藤氏ももう死んでいるが、彼の謬説はなお人を殺す。

↑これです。近藤誠氏のがんもどき説が疑似科学と判定されている事を受けてのコメントです。

コメントではまず、今月に死去した経済評論家の山崎元氏が、近藤誠氏の説を信じていた事によって、がん検診を怠り食道がんの発見が遅れたと主張しています。しかし、このような主張は誤っています。

そもそも、がん検診とは症状が出る前に発見するプロセスを指しますが、現状では、便益が害より大きい、つまり正味の便益があるのが確認され推奨されている検診は、数種類しかありません。日本では、

  • 大腸
  • 子宮頸

の5種類です。食道がん検診は入っていません。従って、食道がんについては山崎氏が、がん検診を怠った、などと評価する事は出来ません。

推奨されていなくても、受けるに越した事は無いのでは、と言われるかも知れませんが、それは誤っています。先ほど正味の便益に触れましたが、検診には便益と害の両方があり、しかも、便益が得られない可能性すらあります。たとえば、成人に対する甲状腺がん検診などは、便益がほぼ無いであろう事が確認されています。害が便益を上回る、つまり正味の害が確認された場合には、がん検診は受けないのを推奨するという意味合いの推奨グレードが付与されます(推奨グレードD)。

www.cancer.gov

↑このページでは、食道がん検診に関する便益の証拠についての記載があります。そこでは、死亡率減少が見られた研究の紹介がありますが、研究デザインによるバイアスに着目するなど、証拠として不十分な所が指摘されています。

ganjoho.jp

国立がん研究センターのページです。ここには、

しかし、食道がんについては、現在は指針として定められているがん検診はありません。気になる症状がある場合には、医療機関を早めに受診することをお勧めします。

このように書かれています。気になる症状がある場合にはと書いてあります。

ここまでを踏まえると、山崎氏の食道がん発見が、がん検診を怠り遅れた、などとは言えないのが解ります。つまり、もし食道がん検診を受けたらより早く見つかり、更にそのタイミングでの発見が予後を改善した蓋然性が高いであろうと推測する事は出来ません。

山崎氏が近藤氏の説にいくらか親和的であった、というのは、山崎氏の記述からもうかがえます↓

note.com

検査の身体的負担が嫌だからという理由もあったのだが、詳しい検査を受けなくてもいいと考えていた理由の一つは、故近藤誠医師の癌に関する一連の著作の幾つかを過去に読んで、自分に都合のいい部分に共感していたことだ。

しかるに、だからと言って、山崎氏が実際に罹った食道がんの発見が、検診を受けなかったから遅れたなどとはみなせないのです。ちなみに、山崎氏の主張や疑問に関しては、以前に説明を試みました。がん検診の効果についても詳しく書いています↓

interdisciplinary.hateblo.jp

近藤氏の主張は大きく、

  • 固形がんに対する抗がん剤は効かない
  • がんは、がんもどきと本物のがんに分けられる
  • 検診で見つかるようなものは、がんもどきなので、見つけても意味が無い

このように整理出来ます。これは、効果のある検診からも遠ざけ、抗がん剤が効果をもたらすがん腫への処置を拒否せしめるという意味で、予後を悪くする事に繋げる言説です。悪影響は計り知れないものです。これは、害がとてつも無く大きい可能性があるのと、定量的評価が困難、の両方の意味で知るのが難しいという事です。定量的評価が難しい所は相当に厄介です。その観点から、近藤氏は強く批判されてしかるべきです。ですがこれは、山崎氏個人の予後の悪化に影響を及ぼしたであろうと評価するのとは、別の話なのです。確かに近藤氏の言説は、多くの人に悪影響を与え得る強烈な主張ですが、それと、着目した人に実際どのように影響を及ぼしたのかは、別の議論として切り離して論ずるべきです。