害をもたらすCascades of Careとその周知

ターゲットの疾病を明確にした検診や、他目的の検査時における偶発的所見による疾病発見に伴うCascades of Care、日本語にすれば、ケアの流れとでもなるでしょうが、それが生ぜしめる害は、寿命延伸やQOL改善の便益が得られなければ、丸ごとが不必要の害となります。

昨今、検査性能の向上によって、発生初期での感度が高まり、その結果、余剰発見が生ずる、つまり検診でただの害しか得られない場合がある事が知られてきました。要するに、病気は発見が早いほど良いのでは無い、検診はすれば良いというものでは無い、といった知識が確立されてきた訳です。

そうなると当然、それまでに周知されてきた、早く見つけよう、検診を受けよう、というのを、他の条件を考慮せず勧める事が出来ません。他の条件とは、見つけようとする疾病の種類や、検診の間隔の設定です。

今までに広められた知識に対し、その知識を上書きする、あるいは修正するというのは、とても難しい話です。しかもです。検診の問題は、

修正前の知識のほうが圧倒的に、直感的に正しそうに思える

所が厄介です。だってそうでしょう? 病気は、進行して間に合わなくなる前に見つけよう、というのは、それはそうだと思えます。直感的には、横軸に時間をとり、縦軸に進行状態をとって、非減少の曲線を描いて、時間が経つごとに悪くなるイメージを形成していると考えれば、

病気は見つけるのが早ければ早いほど良い

という認識になるのは当然です。そこに、実際の研究によって得られた知見、すなわち、

  • 疾病には、処置の成否を左右するクリティカルポイントの存在を仮定できる
  • 疾病には、臨床期に移行せず、非進行や自然消退するものがある
  • 臨床期に移行しない疾病を発見する事が強い害を生ぜしめる
  • 非臨床期での発見が予後改善に繋がらない場合がある

これらのものを、一般集団の成員の認識に反映させようとする訳です。これは、それまでに周知されてきた知識が誤ってきた、あるいは不充分であった事を同時に知らせるのに他なりません。だから、受け取る側は、

  • 病気は見つけるのが早いほうが良いに決まっている
  • 持っている病気は全部見つけるべき
  • がんの過剰診断なんて馬鹿な話があるか
  • 検診に害なんてあるはず無い
  • あるはずも無い検診の害を主張するからには、何か良からぬ事を考えているのだろう

こうなるでしょう。なって当たり前。だって、医療者含め、検診が効かない事があるとか、検診が強い害をもたらすとか、全然言って来なかったじゃないですか。せいぜい、検査に伴う有害事象の説明に留まっており、余剰発見の可能性や、見つけても効果が無い場合があるというのは説明されませんでした。それを今更、こういう害があるから踏まえた上で受けましょう、なんて、都合が良いにもほどがあるでしょう。

検診には、これまでにあまり考慮されなかった強い害があり得る、検診はそもそも効果をもたらさない場合がある、といった知識を普及するのは必要です。なにしろ、実際そうなっているのであるから、当該の医療介入を受ける可能性のある一般集団に正確な知識を周知させるべきです。問題は、どう伝えるかでしょう。大げさで無く、認識の大変革を促すものです。それを、パンフレットにちょこっと書くとか、積極的に読む人の少ないWEBサイトに掲載するとか、そんなので間に合うはずが無いではありませんか。自治体レベルでは、正味の便益が認められていない検診や、正味の害があるであろう検診が、現在進行で実施されているのだから、そういう対象に、やらないようアプローチするのも必要です。

話を難しくしているのは、これらの検診の知識を、必ずしも医療者自身が把握していない所。だから、知識がアップデートされていない医療者がいたりすれば、その影響が及ぶ範囲では、検診が積極的におこなわれたりします。もちろん、善意によってされる事です。そして、知らずに検診を受け、がんが見つかって処置され治ったりすれば、その人は検診や医療者に感謝します。その結果、社会意識として、実際には必要無いものに対しても、検診の必要を実感するという集団的な認識が形成され、更に検診が積極的におこなわれるようになります。いわゆる好評のパラドクス(ポピュラリティ・パラドクス)というやつです。

更に更に厄介な事。上で見たような事情を理解し、比較的に最近の知見に通じており、また現状の医療体制を憂える人で、逆方向に極端に振れるケースがある所。たとえば、現在推奨されている検診をも無駄と言うとか、検診を勧めたりする人や受ける人を馬鹿にしたり罵ったりするとか、そういう方向に行ってしまう。発言する力が強ければ、一般向けの新書やマスメディアの記事を通して意見を流布し、瞬く間に広まって行きます。先日のブログで書いた、燎原の火の如く、です。近藤誠氏なんかそうだったでしょう。がんには非進行のものや介入しても間に合わないものがある、という正しい知識と、固形がんには抗がん剤は効かないという誤った知識をミックスさせて、受けの良い事を世間に流布してしまいました。反論する側も痛罵したりで、必ずしも建設的な批判とはなりません。福島の甲状腺がん検診の話もです。福島では、正味の害が得られると考えられる検診がおこなわれて来ており、それを憂慮するのは妥当ですが、かと言って、カウンターとして、見つかったものはほぼ全て余剰発見である、と言う事は出来ません。現在の知見ではそこまでは確立していないからです。でもそれを言う。ほぼ全てが余剰発見なら、細かい所の検討が要らなくなる、つまり話が簡単になりますからね。しかも、口汚く罵る場合もある(検診に賛成・反対のどちらの立場からも見られる)。

正確な知識を、丁寧に慎重に伝えて共有するのは、簡単ではありません。検診の知識なんてただでさえ複雑で、それの把握自体にリソースがかかるし、先に言ったように、あらかじめ流布された社会意識があるので、それを修正するのは困難でしょう。まだ解っていない事は解っていないと言うのも、正確な知識の周知では考慮すべき所です。そんな言いかたでは間に合わないという正義感みたいなものが、正確な情報周知の邪魔をします。このままだと被害が出続ける、それを憂うのは当然でしょう。しかるに、それを何とかしようとするために、まだ解っていない所を解っているかのように言ってはなりません。合目的性を優先して、説明のプロセスを省き、誤り、捻じ曲げたのでは、批判しようとしている対象と同じになってしまいますから。説明のカスケードをしっかり考えよう、とった所です。