《素人声優》と《声優》と《自然な演技》
苦悩
というのはただの想像だろうから措いて。
これについて、はてなブックマークコメントに書いたものを再録
素人声優を使わないといけないスタジオジブリの苦悩b.hatena.ne.jp根本の問題として、《声優》《俳優》《芸能人》《素人》の集合関係をはっきりさせたり、《アニメ声》がどういう意味かちゃんと説明すれば良いのになと思う。全然噛み合わないまま何十年も経っているじゃないですか。
2023/07/14 22:52
↑これらの言葉について、それぞれがそれぞれの意味合いで使っているので、話がずれたり噛み合わなかったりします。厳密な定義は別に要らないでしょうけれど、せめて話をする時には意味合いを揃えたほうが良いでしょう。私の語感だと、声優は俳優だし、俳優は芸能人です。だから、ある話の中で便宜的に、
演技の仕事がメインだが、声のみの演技を中心的にしてはいない
人たちを限定的に芸能人と表現するには違和感があります。声優も芸能人だろうと思うからですね。
『素人声優を使わないといけないスタジオジブリの苦悩』へのコメントb.hatena.ne.jpアニメ方面で《自然な》演技の役者が注目される場合も。たとえば(敬称略)黒沢ともよ、石川由依、宮本侑芽、若山詩音、安済知佳、榎木淳弥、小林親弘、等々。舞台や子役出身だったり。時に下手と言われたりもする。
2023/07/14 22:57
↑ここで挙げたかたたちは、自然な演技をしていると評される事があります。直近だと、『スキップとローファー』での黒沢ともよ さんの演技なんかが印象的でした。役者が実際にそれに言及する場合もあります。
演技が過剰と評価される場合のあるいわゆる声優の人たちが、自然な演技を意識し、ディレクション*1においてもそれが重視される場合がある、という事です。それを踏まえると、少なくとも、そういうものが業界的に蔑ろにはされていないと言えます。後に挙げるブクマコメントで言及した『惡の華』は、かなり印象的でした。それについては、アニメ放送当時に、ここでも言及しています。
アニメっぽいや声優っぽいとイメージされるものは、確かにあるのだろうと思います。通る声で声を張るとか、アクセント等が綺麗で教科書的とか、息の演技が強いとか、あるいは台詞回し、たとえば、いちいち相手の名前を呼ぶとか、ほんの少しの距離を駆けるのに息が上がるとか、そういうのが相まって、演技の型が作られ、印象付けられるのでしょう。歌舞伎や能などの芸能に通ずるもの、デフォルメした空間を形成したものとして考えれば、ポジティブに捉える事も可能です。と言うか、
どっちもあって良い
訳です。そもそも顔出しの演技でも、テレビドラマと劇場公開映画と演劇、ミュージカルでは演技の様態が異なるではありませんか。演劇にも色々あるでしょう。また、声の演技と言っても、TVアニメとラジオドラマでは異なります。西田敏行さんと竹下景子さんが、NHKのラジオドラマを毎週やっているのを知っていますか? NHKには『青春アドベンチャー』もあります。その昔、時任三郎さんが、ラジオドラマでブラックジャックをやっていたんですよ。あの演技は良かった。他のメディアで言うと、ゲームでも演技のしかたが違うでしょう(まず画像や映像表現のバリエーションが多様)。
以前、上田燿司さんが、自然な演技について言及なさっていました。
例えば、アニメ映画の大作に、声優を使わなくなるのは?
— 上田燿司 (@yo_z_ueda) 2019年5月30日
という事です。
もちろん宣伝の側面もありますが、声優の演技は不自然だとか、パターンで演じがちと思われている部分も。
そんな声優ばかりではないし自然な演技も引き出せる筈ですが、上記の認識を変えていけるかが肝だと思います。
上田さんは、アニメや外画、ゲームなど、様々のジャンルで優れた演技を披露している役者さんです。スピードワゴンやベイリッシュ公や吉松シンジやケナンジ(←ついこのあいだ)を演じたかたの意見ですので、参考になるでしょう。
はてなブックマークなどでも言われていますが、木村拓哉さんを素人と言うのはおかしい、という意見もあるでしょうね。ゲームでも相当量の台詞がある声の演技をこなしておられます。なかなか良い演技するなあ、との印象を持ちました。
自然な演技を作品として志向している、と私が感じたものについても、はてなブックマークで言及しました。
『『素人声優を使わないといけないスタジオジブリの苦悩』へのコメント』へのコメントb.hatena.ne.jp作品として思いつくので象徴的なものとしては、『放浪息子』とか『惡の華』とか、パトレイバー劇場版(特に2とWXIII)とかがありますね。当たり前ですけれど、《アニメ》や《声優の演技》もバリエーションがある訳で。
2023/07/14 23:13
パトレイバー劇場版は、私が平田広明さんに注目するきっかけになったアニメだったと思います。FF12のバルフレアも良かったですね。同じ映画に出ていた綿引勝彦さんは、有名なベテラン俳優ですが、いわゆる声優では無いかたですね。実に渋い演技でした。2 the Movieでは、怪演の印象が強い竹中直人さんも、抑えた演技を披露しています。パトレイバーは、作画と演技の方向が総合して、じっとりとした雰囲気を味わえる映画です。
上で挙げた他にも、『月がきれい』では、小原好美さんの自然な演技が印象的です。
「あまりアニメっぽくないというか、自然な会話の演技をのびのびとすることができました。中学生の恋愛って、目が合っただけでアッとなってしまうような、そんな距離感やトーンがあると思うんです。だから私も第1話を観て、息遣いがちょっとリアルすぎるなとドキドキしましたね」(小原)
こうして見ると、声優が、俳優が、芸能人が、とか、大げさな演技が、自然な演技が、といった話については、
- 誇張やデフォルメや慣習で形成された演出の型や演技の型のようなものがある
- それが、当該文化に親しんでいない者に対し、大げさやわざとらしいといった印象を与える場合がある
- それら印象を総合して、声優っぽい演技と称されるようになる。あるいは、声の印象についてアニメ声などの表現が用いられる
- 型に親しんでいない人は、それらの語をネガティブな印象をもって使用する
このような背景があるのかも知れません。また、いくつか実例を挙げたように、声優や演出において自然な演技が志向されるのを鑑みれば、
- 声優っぽい演技を忌避する志向の制作者がいたとして
- 声優で無い人をキャストにあてる必要は無い
と言えます。声優は声優的な演技をする(との印象を持っている)、だから声優以外に演技をさせよう、というのが必ずしも合理的な判断とはならないからです。専門的なスキルを鍛えて、かつ自然な演技をも兼ね備えた役者を選抜すれば良いのですから。もちろん、
- 声優のトレーニングを受けた事と自然な演技の実現が、排他的で無い
との条件は必要です。たとえば、声優学校に行って勉強をした人は自然な演技は出来ない、とあらかじめ決めてしまってはどうにもならないからです。そういう先入観を持った人は、いるかも知れませんけれども。
もちろんこれは、純粋に能力やスキルや演出といった所のみに着目した場合の話です。他の、たとえば商業的の要因については考慮していません。あの人を出せば注目されて売上が上がるなんて判断は、演技がどうこうという部分以外の、優れて社会的な文脈であって、論証のアプローチが全く異なるからです。
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ここからは雑多に。
声優はそもそも舞台俳優が担ってきたものだ、という話もありますね。声優と呼ばれたくなかったという人もいれば、声優という職業の確立を志向して、敢えて声優の表現を重視するとかも。
演劇出身の人は声が張れるから演技も上手い(いわゆる声優っぽい演技からの評価)とか、子役からやっていて自然な演技が出来るとか、色々の見かたがあります。後者だと入野自由さんや内山昂輝さんとかね。劇団ひまわり系ですね。劇団出身といえば、鹿賀丈史さんや上川隆也さん(一番好きな俳優です)は良かったですね。それを言ったら伊武雅刀さん等がいるじゃないか、とか(参照: 伊武雅刀 緩急で進む名優の道、「デスラー総統」声の仕事封印し夢の俳優に―硬軟自在の70歳― スポニチ Sponichi Annex 芸能 )。まあ、範囲を(時間的にも空間的にも)広げて思いを馳せてみると、あまり不用意な事は言えません。