“ニセ科学を厳しく批判する人たち(例・菊池誠大阪大学教授)が特になにもしない” のか?

ニセ科学を厳しく批判する人たち(例・菊池誠大阪大学教授)が特になにもしないであろうことはなんとなく予想できる。

↑ここでのなにもなにが一体なになのか、が解らないと意味が不明ですが、ひとまず措いて。

社会ダーウィニズムニセ科学なんだけど、ニセ科学批判の人たちはこれを批判はしないな。

↑同じように、批判をどういう意味合いで用いているか次第、ではありますけれど。

まあねえ、社会ダーウィニズムの歴史を知ってれば、社会問題をダーウィニズムの比喩で語るのは危険だとわかるはずなんですけどね。進化は自然現象だからね

↑菊池氏の言及。批判的である、慎重に取っても、肯定的では無い、とは言えるでしょう。

社会ダーウィニズムについては、グールド「人間の測り間違い」かな。翻訳がいまいちだった記憶がありますが

↑グールドの本は、こういう文脈で結構言及される本です。というか、以前からニセ科学関連の議論にコミットしていれば、グールドの本の話も見聞きする事はあるでしょう。私も読みましたし。青谷三郎氏による、ニセ科学批判の人たちはこれを批判はしないてのは、どこから出てきた主張なのでしょうか。
ちなみに、確かに訳文がひどく読みづらかったです。※文庫版はいくらか良くなった、との話も見ましたが、私はそちらは未読なので

2020年6月21日追記:グールドの著書の題は、正確には『人間の測りまちがい』です⇒人間の測りまちがい :スティーヴン・J・グールド,鈴木 善次,森脇 靖子|河出書房新社

社会ダーウィニズムは「科学の誤用」の代表例だからな。

ニセ科学科学の誤用を分けていますが、いずれにしろ批判的な言及でしょう。
ニセ科学は、科学様(よう)の非科学を指しますが、菊池さんはここでは、進化論なる、自然科学におけるスタンダードの学説を、社会現象に不当に当てはめたといった意味合いで、科学の誤用と表現したのでしょう。たぶん、進化論がニセ(疑似)科学と主張する人がいるのも考慮しての表現。
もちろん、進化論によって社会現象を説明する事は科学として確立されている、みたいな言明があれば、それはニセ科学と看做されるでしょう。場合によります。

↑名取宏氏による言及。ネタ元のダーウィンの言、だとされるものが実はそうで無いだろう、との検討を、およそ20年前に既におこなっていた、という話。マンガ(内容が酷すぎる。1・2コマは事実誤認。3・4コマは論理的な飛躍と、具体的なものへの意味不明な結びつけ。全部のコマがおかしい)の導入部分のネタが間違っているのでそこで論外だし、。まあダーウィンが言っていたとして憲法改正は関係ないけどな。と評価なさっているので、批判的言及でしょう。

私も明記しておきますが、自然科学的に認められた理論等を参照し、それを社会現象の構造に当てはめ、社会的にはこうあるべきとか、人間はこのように行動・思考(一般的には志向か)すべきであるとか、そのような主張をおこなうべきではありません。いわゆる自然主義的誤謬の話とか*1、結構なされてきたと思うんですけどね。無かった事になっているのでしょうか。

朝日の記事を追加します。佐倉氏や三中氏のコメントあり。

www.asahi.com

*1:いわゆるの部分が重要で、語そのものと言うよりは、周辺(その語で表現するのは適切か、の議論含め)の色々な所を含めてやり取りされた、という事です