STSの学問的射程と言及可能範囲

佐倉統氏による、なぜSTSから甲状腺がん過剰診断についての批判が出てこないかという事の検討。佐倉氏ばかり責めてもしょうが無かろうとか、佐倉氏は別にSTSを標榜していても代表するような立場の人でもあるまい、といった所はひとまず措いておきます。

要するに、それに詳しい人がSTS領域にいないからとの理由です。それに詳しく無ければ言及に慎重になる、というのは一般論としてよく理解出来ます。知的態度として誠実であろうとすれば、不用意に語る事は出来なくもなるでしょう。

STSとは、科学・科学技術と社会との関連について検討や言及をおこなう分野です。

www.u-tokyo.ac.jp

科学技術社会論 (STS) とは何だろうか。科学と技術と社会のインターフェイスに発生する問題について、人文・社会科学の方法論を用いて探求する学問である。

ここからSTSは、

およそ科学・科学技術が関わるあらゆる社会問題に関して言及し得る

分野であると言えます。表現を変えると、

科学・科学技術が関連する社会問題について、STSはこの分野には関わる事は出来ないと言及分野を規定出来ない

とも言えるでしょう。要するにSTSは、対象とする射程が異常に広い分野であるとみなせます。

そうであれば、STSは、あらゆる科学・科学技術の関わる社会問題について、

なぜそれに批判的言及をおこなわないのか

と問われ得る可能性を持ちます。そうであるから、STSの論者に対して、重大な医療問題を惹き起しているであろう福島の甲状腺がん検診についてなぜ批判的に言及しないのか、といった指摘は当然になされますし、またそれに対してSTSは、STSが扱う領域では無いとの理由では言及を拒否出来ません。ですから佐倉氏も、STSが福島甲状腺がん検診について批判的に言及しない事について、それに詳しい人がいないからとしか言えないのでしょう。

それに詳しい人がいないからとの理由で、重大だとみなされる(科学や科学技術が関わる)社会問題に対する非言及が主張出来るのなら、STSという分野は、

その構成員が勉強してきた分野以外に対して言及出来ない

となるでしょう。なにしろ、

自ら議論に参戦するのに必要十分な知識のハードルが高いのだと思います。STSには医学方面の出身者はあまり多くないです。

もともとのバックグラウンドがその分野から遠い人だと、なかなかそう簡単には勉強できるものではありません。

などと言って、出身バックグラウンドを強調して、議論への不参加をしょうが無いものとしているのですから。これだと、健康被害を大きく生ぜしめているような科学上の問題について、勉強していないのだから議論に参加出来ないと主張出来てしまいます。公害問題などまさに、医学や公衆衛生学・疫学の知識が関わるものですが、それに詳しい人がSTSにいないから議論に参加出来ない、となるのでしょうか。

結局の所、STSというのは、

射程が異常に広いのに、それに対して実際に言及出来る範囲が異常に狭い

のであると評価出来ます。少なくとも、佐倉氏はそのように解釈されるような事を書いています。

佐倉氏は、甲状腺がん検診の問題に絡めて、

物理学や放射線の専門家の方たちからするとそんなに難しくないだろうと思われるかもしれませんが

このように書いています。物理学や放射線の専門分野が関わるものについては簡単に言及出来ないと言っているのでしょうが*1STS科学技術社会論ですからね。科学技術はそもそも、自然科学や工学の知識によって発展し、また現在も研究・開発がおこなわれている分野です。STS出身バックグラウンドによって言及範囲が制限されるというのであれば、いったいSTS何について語れるのかと問われてもしかたが無いではありませんか。

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そうそう。この問題、

甲状腺がん過剰診断についての批判

と表現されていますが、その問いの立てかた自体が不正確ですからね。もちろんそれは、佐倉氏を問い詰めている側も同じです。問題は、

有効性が認められていない検診を実施する事

であり、過剰診断なる現象は、あくまで問題を構成する一部分であって、その重さがどれくらいを占めるかは、現状の知見では不明なものです。本質的に、がん検診の有効性評価全体の議論であるのを忘れてはなりません。そういう所を整理する(出来る事が期待される)のもSTSの担い得る役割ではないのでしょうか。

*1:検診の議論に関わるメインの分野は疫学ですが