がん検診や過剰診断議論の見通しを良くするための本を紹介

元首相の5人が欧州委員会に送った書簡をきっかけに、福島における甲状腺がん検診まわりの議論が起こりました。

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この議論、被ばくによって甲状腺がんが多く発生しているのかとか、検診は良い効果をもたらすのかとか、検診によって起こる害はどのくらいなのか、など様々の論点が含まれており、一筋縄ではいかないものです。そして、その理解には疫学という学問の知識を得る事が必須であり、それを疎かにしては、建設的な議論は望めません。

本記事では、これまで私が読んできた本の中で、これを読んでいれば幾らか議論の見通しが良くなるのではないか、と思われた数冊を紹介します。なんか歯切れの悪い言いかたですが、そもそも疫学は簡単では無い学問で、本を何冊か読んだ所で全体像が明らかにもなりませんので、そう書きました。

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がんが多く発生するかの確認や、がん検診の評価には、疫学という学問が重要であると書きました。疫学とは、人間集団を観察する事によって、色々の要因同士の関連を見たり、因果関係を明らかにする分野です。たとえば、タバコと肺がんとの関連が大きい(タバコをよく吸う人は、より大きな割合で肺がんになっている)事を示し、より進んで、タバコと肺がんの因果関係(タバコを吸う事で肺がんになりやすくなる)を見出します。中村氏の本は、各所で疫学の入門書として勧められるのをよく見るものです。疫学の本は、結構かためのものが多いですが、本書は比較的噛み砕いて書かれていて、比較的読みやすいです。

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大木氏のこの本は、疫学の基本的な概念や用語について、とても要領良く明瞭にまとめられています。もちろん、基本とは重要であり、まずそれをきっちりと理解しておくべき土台と言えるものです。本書は、専門的な概念の定義を明確に示し、用語同士の関係や整合性を綺麗に整理するよう努められているように思います。たとえば、割合の区別はご存知でしょうか? そういう所をちゃんと知っておかないと、疫学が関係する議論はスムーズに進みません。

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疫学や公衆衛生学と密接に関係する分野である医療統計学の本です。疫学・医療統計で重要となる用語や考えかた(研究デザインなど)を、物語風の内容で説明しています。上でも出てきた、率や割合(や)の区別も最初に出てきます。

ちなみに、つい最近、本書を元にしたアニメーションが、中外製薬から公開されました。本そのままをなぞっているので、内容の雰囲気を掴むのにも良いでしょう。

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いきなり死亡率の誤解を指摘されて驚く人も多いかも。

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これは疫学の本では無く、臨床研究の内容を詳しく解説したものです。臨床研究は、ヒトを対象とした、薬剤や処置の効果や害を評価するためにおこなわれる研究の事ですが、がん検診の有効性や害の評価とも密接に関わっており、研究デザインの設定やデータの解釈はそう簡単に出来るものではありません。本書は、実際におこなわれた研究という実例も交えながら、とても具体的で明瞭に解説されており、検診の研究の理解にも繋がると思いましたので、挙げました。

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ここから、がん検診を扱った本。

がん検診研究のエキスパートである故・久道茂氏による本。縦書きの読み物風です。がん検診の有効性はどのようにして測り、害にはどのようなものがあるか、などについても一通り紹介されています。これを読んでおけば、押さえておいたほうが良い論点はカバー出来ると思います。たとえば、健診検診の違いは判りますか? そういう所も書かれていますし、福島の議論で重視される過剰診断の話も出てきます。これは1998年の本ですが、既にその頃から、読み物で過剰診断の語が紹介されていた訳です。

注意ですが、この本は古めなので、そこで書かれている知見は当時のもので、現在のそれには必ずしも当てはまりません。本では研究途中と書かれているものでも、既に評価が進んでいるものもあります。科学の本を読む際には常に注意しておくべき所ですね。

ちなみに、本書において、近藤誠氏(とがんもどき論)が痛烈に批判されています。まえがきの最初から、です。がん検診をきちんと疫学的に研究している人たちにとっては、近藤氏の主張は放ってはおけないものだったのでしょう。

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小学館による国立がん研究センターのがんの本シリーズの一冊です。監修は、国立がん研究センター がん対策研究所 検診研究部の中山富雄氏。

本書は、がん検診の目的、メリット・デメリットといった基本の所から、各種がん検診の有効性評価について一通り紹介しています。昨今話題になるような、血液1滴で検査するといった、いわゆるリキッドバイオプシー(体液生検)を用いた検診についても、きちんと臨床研究をおこなって効果を検討していく必要がある、との観点から、安易な使用に注意を促しています。明瞭でページ数も少なく、読みやすいと思います。

以前に書いた書評です↓

interdisciplinary.hateblo.jp

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福島の検診において(時に感情を交えた)激しい議論を巻き起こす、過剰診断をタイトルに冠した本です。過剰診断とは、それによって症状が出たり死んだりしない病気を発見する事ですが、それが色々のエピソード、実例を挿みながら紹介され、研究データを示しつつ説明されていきます。読み物としても、とても面白い本です。過剰診断とはどういう概念で、それをどのように評価していくのか、という所を知りたい場合に、まず読んでおいたほうが良い本です。いきなり論文を読んで把握するのはハードルが高いですからね。

あまりに書きかたが上手く、ある種の感情の揺さぶりをも惹起するような本とも思うので、落ち着いてじっくりと読み進めたほうが良いかも知れません。

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題には健診とありますが、健診も検診も扱った本です。健診・検診を主題とした本は少ないので、読んでおいたほうが良いでしょう。それらがいつ頃からおこなわれるようになったのかとか、どのようにして有効性を評価しそこでどのようなバイアスが生ずるのか、といった事が詳しく説明され、健診・検診の品質管理の重要さ、社会的な位置づけなどについても検討されます。

私が読んだ感想としては、必ずしも用語や概念の整理が明瞭では無く、訳文も今ひとつ熟れていないかな、というものでした。ゆっくり噛み砕きながら読み進めたほうが良さそうです。

ちなみにこの本、序文が次のように始まります。

すべてのスクリーニングには害がある。

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先に挙げた久道氏による別の本。バリバリの専門書です。基本の疫学的知識が無いと、読む事自体が無理だと思います。それなのに紹介するのは、ほとんど類書の無い、がん検診に特化した本であり、有効性評価や意思決定にまつわる評価方法、検診の品質管理の検討、日本における研究の実態などについて、とても詳細に書かれているものだからです。たとえば、がん検診で用いられる検査における偽陰性(がんに罹っているのに陰性と判定される)をどのように数えるか、知っていますか? そういった事についても書かれています。出来れば一読を進めます。

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ここまで数冊の本を紹介しました。いずれも簡単に読めるという訳ではありませんが、疫学や検診に関するこういう本があるのだな、という風に、幾らかでも参考になれば幸いです。