害と正味の便益、正味の害
福島の甲状腺がん検診にまつわる議論*1の流れで、余剰発見等の好ましく無い結果をもたらすのを害・ハーム(harm)と呼んだり、検診が推奨されるかの指標として正味の便益(net benefit)を使い出したのは、おそらく私が最初のほうだろうと思います。
余剰発見(世間的には過剰診断)が取り沙汰されるようになった頃、そのような現象あるいは結果自体を指す言葉として、リスクが用いられていました。たとえば、がん検診のリスクのひとつは、「過剰診断」です。
といった具合です(過剰診断とは何か?――福島の甲状腺検査の問題点 - SYNODOS)。これは3年前の記事ですが、比較的新しいものでもこのように用いられているという事例です。
しかし、疫学など検診の議論に関わる専門分野においてリスク(risk)とは、着目する結果の起こる割合や確率を指す用語です。我々が興味を持つのは、着目する結果がどの程度の確からしさで起こり得るのかの所であり、それを指す用語としてリスクが定義されているので、そこをきちんと分けて語を使ったほうが都合が良かろう、と考えた訳です。
では、生ずる結果の内で好ましく無いものを指す語として何があるかと言えば、それが害・ハームでした。
検診等の医療介入がもたらす効果を指す指標として、NNTがあります。これはnumber needed to treatの略で、好ましい結果をもたらすためにはどのくらいの数の介入が必要となるか、を表したものです*2。いっぽう、好ましく無い結果でそれに対応するのは、NNHです。それは何の略かと言うと、
number needed to harm
です。ここにharmが出てきます。検診に興味を持つ場合に着目するのは、
- どのくらいの人に検診をすればどのくらいの人が助かるのか
- どのくらいの人に検診をすればどのくらいの人に余剰発見や誤陽性が生ずるのか
といった所であり、それらを評価する指標の用語にharmがあるので、表現として都合が良かったのです。また、専門の文献を見ると、benefitとharmを比較して検診の是非を論ずるものが多くあります。そういう事情があったので私は、harmの訳である害を積極的に用いるようになった次第です。
意外に思われるかも知れませんが、疫学やリスクマネジメント方面では、リスクは必ずしも好ましく無い結果の生ずる確率を表すものではありません。そこで日常的用法とも乖離しているので、害に限定するかのようにリスクを用いるのも避けたいのです。この議論をほんとうに真剣に考えたいのなら、専門分野の知識(術語など)に直結するので、疎かに出来ません。
検診の是非について、害の話しかしない、または害の話ばかり先行させる論者がいます。甲状腺がんは過剰診断が起こるのでやるべきでは無い、的な言いかたをする人びとです。しかしそれは、極めて乱暴です。そもそも検診とは、集団に対し実施され、その結果としての便益と害の程度とを比較し推奨が検討されるものです。それを蔑ろにして、害があるからやるべきでは無い、かのように言うのは、検診の議論の性質を無視した主張と言えます。
以前から、内科医の名取宏氏などが、検診実施に慎重になる理由として*3、効果が認められていないからというのを挙げていました。この点で、害ばかり言う論者と一線を画していました。ここで効果とは、死亡率低減やQOL維持(低下の抑制)などの結果をもたらす事を意味します。便益とも言い換えられます(便益はもう少し広い概念でしょうが)。
検診の是非は、効果や便益と、害との比較で検討されると言いましたが、効果が認められていないのであれば、その時点で実施を推奨出来ません。これは、害があるからを理由とするのとは違います。
- 良い影響が無いから
- 悪い影響があるから
この両者は異なるでしょう。後者は良い影響をもたらす事と排反では無いからです。これについては以前書きました↓
話を簡単にし、便益をプラス、害をマイナスと表現して、そのトータルを考えます。便益が無いのであれば、トータルは必ずマイナスです。その時点で検診の実施は正当化されません。いっぽう、マイナスがある事が知られているとしても、プラスのトータルが検討されなければ、マイナスがある事をもって検診の非実施を正当化出来ません。
便益をもたらす証拠が無い事は、検診の実施が正当化出来ない充分の理由になります。その意味ではけっこうシンプルな話です。しかるに、これだけだと、
便益と害の程度を比較する
との一般的論点が着目されにくくなります。一般論としては、それらを比較し、
トータルで便益が上回れば実施が正当化される
というのが重要であるからです。そして、その便益が上回る部分を、正味の便益(net benefit)と言います。これは、USPSTF(United States Preventive Services Taskforce:米国予防医学専門委員会)などの専門的機関による評価で最も重視される概念です。それを踏まえれば、検診が推奨されるかどうかは、
正味の便益があるかで決まる
のであり、甲状腺がん検診にはそれが認められていないので推奨されない、と言えます。更に言えば、甲状腺がん検診では効果をもたらさないであろう証拠*4があります。もし便益が無いのであれば、検診はただ害のみをもたらします。したがって、検診が生ぜしめるのは正味の害:net harmである、とも表現出来ます。それを踏まえるならば、甲状腺がん検診が推奨されないのは、
- 正味の便益をもたらす証拠が無い←比較的慎重
- 正味の害をもたらす証拠がある←比較的大胆
上記のような理由から主張する事が可能です。
ここまでの話を考え合わせると、害があるから検診すべきで無いかのように表現するのが、いかに乱暴なものかが解るでしょう。対して、効果をもたらす証拠が無いから検診すべきで無いというのは妥当です。ただ、先ほどから言っているように、後者の表現では便益と害との比較の観点が意識されにくいので、さいきん私は正味の便益なる概念をよく使うようにしている訳です。
検診とは、
- 集団におこなう
- 便益と害が個人レベルで両立する場合もあるし、しない場合もある
という介入です。ワクチンなどの介入も同様ですが、そういうものをトータルに評価するには、複雑な知識と議論を要するのです。ですから、用語の使いかたにもその事が踏まえられてしかるべきです。それをしなければ、話が噛み合わなくなりますし、実際に噛み合ってないのをたびたび見かけます。もしほんとうに、真剣に議論をして知識を高める志向があるのであれば、これは好ましく無い事です。