室月氏による、福島甲状腺がん検診休止を提案する理由、の不適当さ

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福島県「県民健康調査」検討委員会の委員、室月氏による提案です。

そのなかで過剰診断によって福島の子どもたちに重大な健康被害が発生している可能性がある甲状腺調査について,数年間の一時休止をおこなうことを提案しました.

福島における甲状腺検査は、無症状時に疾病を発見するのを企図するものですから、以下、検診と表現します。

月氏は、福島での検診を数年間休止する事を提案しています。理由は、

福島甲状腺調査で多くのがんが見つかる理由として,スクリーニングによる先行発見と,過剰診断のふたつの理由が想定されます.どちらも超音波検診によって甲状腺がんは増加しますが,検診をやめたあとのがんの頻度の変化があきらかにことなるため,先行発見と過剰診断のどちらか区別できるのです.

このようです。ここの要点は、先行発見と過剰診断のどちらか区別できるという部分でしょう。根拠として、祖父江氏によるシェーマの図が引用されています。その概念は、検診を継続する期間の発見割合が増え、検診を止めたら通常(ベースライン)より発見割合が下がり、その後で通常に戻ったとしたら、下がった分で補えない増えた分は余剰発見(過剰診断を、ここでは余剰発見と表現します)を示す、というものです。この考え自体は、一般論として妥当です。検診をおこない、将来に症状が出て発見されるはずのものを先行で見つけます。そうすると、後での発見割合が減ります。これを代償的(compensatory)な低下と言います。検診で先行発見したので、その分は後で発見割合が減ります。先行発見した分で代償低下の分を補えるはずです。ところが、余る部分が出てきます。それは将来に症状が出ないものの発見を示します。だから余剰発見であるという訳です。

これは、ある種の理想的な状況の話です。このようにして余剰発見割合が解るためには、

  • ベースラインが変わらない
  • 検診をしない事がはっきりしている
  • 症例を正確に測れる
  • 充分な追跡期間を取る

これらの条件が必要です。検診を止めた場合、ベースラインに比べて発見割合がどうなるかを知りたいとします。しかし、ベースラインとして何を設定するかの問題があります。検診がおこなわれていなかった時期の福島の過去と比べますか? 別の地域と比べますか? いまの福島における罹患率が以前から不変である保証はありますか?

検診を止めても、検診による発見は生じる可能性があります。検診を休止させるといっても、それは集団検診としての計画をおこなわないのであって、検診を受ける事自体は自由のはずです。検診を受けないのを強制する訳では無いでしょう。

検診を止めて数年間の観察をおこなえば、先行発見と過剰診断のどちらか区別できるなどというのは、現象および、観察における様々の要因の違いやバイアスに関する部分を無理に単純化した意見です。

数年とは具体的に何年くらいでしょう。ベースライン(と設定する)発見割合になるまで待つのですか? そもそも、前臨床期の長さや余剰発見の割合が解らないから、それを知るために休止しようと言っている訳ですよね。何年休止すれば良いか解らないのに、何年間か止めよう、と言っているのです。

一時休止と主張しています。これは明らかに、休止を止める、つまり再開を見越した表現です。余剰発見割合を知るために休止しようと言っていて、かつ、再開の可能性を仄めかしています。もし再開するとしたら、再開する根拠は何がありますか? 再開する判断をおこなえるとしたら、それは検診に便益があるのを認める事となります。そうした場合、休止した間に検診を受けなかった人は不利益を被らないのですか? ここで言う不利益とは、便益を得られないとの意味です。

問題は過剰診断の占める割合であり,それが多ければデメリットが高いため甲状腺調査は続けてはいけません.

明らかに整合的では無い主張です。余剰発見が多ければ検診は続けるべきでは無い、と仮定的に言っています。しかるに室月氏の提案は、余剰発見の割合を調べるために休止するというものです。多ければ問題、と言っておきながら、多いかどうかを休止して確かめる、と言っている訳です。多くなかったらどうするのですか? いや、多いだろうから休止するのだ、と言いますか? 多いか解らないから調べる、と自ら言っているではないですか。

過剰診断の割合をあきらかにするためです.

と言うのは全く不当なものです。

月氏がこのような主張をするのは、

検診における正味の便益

の観点を欠いているからです。

検診に限らず医療介入には、便益と害があります。検診で言えば、便益は寿命延伸やQOL維持であり、害は身体的侵襲や心理的ダメージ、あるいはそれらを複合的に生ぜしめる余剰発見です。医療介入をおこなうのが正当化されるのは、害と便益を比較して、便益が勝っている場合です。もちろん、比較のしかたには色々な観点がありますが、比較して便益が上回る事を確かめるべきである、というのは一般的に成り立つものです。そして、上回る便益の事を、正味の便益(Net Benefit)と言います。

uspreventiveservicestaskforce.org

上記リンク先は、USPSTF(米国予防医療専門委員会)による、正味の便益の程度を評価するプロセスを示しています。とても複雑で困難であるのが見て取れます。がん検診の推奨グレードは、このようなプロセスに基づいて決められます。

これを踏まえて、甲状腺がん検診については、正味の便益が認められていません。さきほど、正味の便益は、便益と害を比較して評価すると書きましたが、甲状腺がん検診はそもそも、便益のある事自体が認めらていません。これは、あるか無いか不明では無く、無いであろう、間接的だが一貫した証拠があるという意味です。いっぽう、害のほうは、それがある一貫した証拠が示されています。つまり、正味の害(Net Harm)がある、慎重に言っても正味の便益が無い、と考えられます。これは成人での話ですが、成人の知見を小児に補外して正味の便益が得られると推測出来る合理的な理由はありません。そもそも証拠自体が極めて少ないので、便益が示せないとは、はっきりと言えます。

www.cancer.gov

ここまでの説明を踏まえると、検診の実施や推奨を左右するのは、

正味の便益が認められているか

であるのが解って頂けたと思います。そして、甲状腺がん検診をすべきで無い、あるいはおこなわれている検診を休止する理由として挙げるべきは、

小児に対する甲状腺がん検診の便益を示す証拠が全く無いから

というものです。また、この理由で検診の休止を主張する場合、室月氏の言うような一時休止などにはなりません。そもそも便益が認められていないのだから、検診そのものをおこなうべきで無い、と言えます。そういう背景を考慮も言及もせず、福島での甲状腺がん検診の一時的休止過剰診断の割合をあきらかにするために提案するのは、全く不適切な理由と言わざるを得ません。