過剰診断の《程度》

、仮に過剰診断でないとしても、甲状腺癌に早期治療が有効というエビデンスはないので、有害無益な検査なのは間違いないんですよね。

以前、上記の菊池誠氏の主張に対して私が、

あ〜る菊池誠(反緊縮) on Twitter: "福島の甲状腺検査が相当数の過剰診断を生んでいるのは間違いないだろうし、仮に過剰診断でないとしても、甲状腺癌に早期治療が有効というエビデンスはないので、有害無益な検査なのは間違いないんですよね。 受診者に利益があるかのように言って検査を進めた人たちはきちんと反省するべきですよ"

“、仮に過剰診断でないとしても、” あの本を出した以上、もはやこのような仮定での展開は通用しないでしょう。発見したほぼ全てが余剰発見と強く主張した本を出版したのだから、それに基づかないと整合しません。

2021/08/10 16:50
b.hatena.ne.jp

“、仮に過剰診断でないとしても、” あの本を出した以上、もはやこのような仮定での展開は通用しないでしょう。発見したほぼ全てが余剰発見と強く主張した本を出版したのだから、それに基づかないと整合しません。

↑このように書きました。それに対し菊池氏は、

第6章には過剰診断でなく超早期発見だとしても有害であるとはっきり書いてあるのだが、ちゃんと読んだのかね

↑こう反応しました。

私は本を全部読みましたから、その記述があるのは当然知っています。しかし私は、そういう話をしていません。

発見したほぼ全てが余剰発見と強く主張した本を出版したのだから、それに基づかないと整合しません。

↑このように、本で強く主張されている内容と整合しない、と言っています。もう一度、本のあとがきから引用します。

私の担当した第1~3章ですが、従来の本にあるような、「こんな可能性もあるよ、あんな可能性もあるよ」という書き方はやめました。例えば、「若年者の甲状腺がんの早期診断は有害」とか「甲状腺がんは悪性化しない」とかいう話は、外国ではともかく国内の学会で出したら相当な反発を受けるでしょう。しかしこと福島の甲状腺検査に関する限り、専門家たちが科学的な確からしさよりも自分たちの立ち位置を優先したポジショントークを繰り返したことが混乱を招いてしまったのです。これらの章では、現時点で最も確からしい解釈しか書いてありません。

そして、年月がたって明らかになってくる事実は必ず本書に書いてある通りの様相を呈してくるであろうと断言しておきます。逆に言うと、そのような自信がないことは書いておりません。そして、福島の子どもたちに起こっているのは間違いなく過剰診断であり、それ以外である可能性はありません。

特に重要な部分を抜粋します。

  • これらの章では、現時点で最も確からしい解釈しか書いてありません。
  • そして、福島の子どもたちに起こっているのは間違いなく過剰診断であり、それ以外である可能性はありません。

つまり、著者を代表して(そうで無いとすれば、著者間で最も重要の論点についての主張が合わない事になります)高野氏は、福島で発見された甲状腺がんは全て過剰診断であって、それは最も確からしい解釈に基づいていると言っている訳です。

上でも触れたように、福島の甲状腺がん検診の議論において、過剰診断の程度(割合)は最重要です。なぜなら、もし見つかった全てが過剰診断だと言えるのであれば、検診の効果の議論を一切しなくて良くなるからです(過剰診断と寿命延伸は一般に、両立しないから)。しかるに、そこまで言えないのであれば、議論として、検診に効果があるのではとの問いを考慮しなくてはなりません。そうすると、

検診の有効性とは何か。どう測るのか

の論点を議論から欠かす事は出来ません。検診を実施すべきか否かを考えているのですから、そもそも検診が有効であるとはどういう事か、の部分から丁寧に論じていかないと、説得力を持たないからです。

それであるのに高野氏は、福島の子どもたちに起こっているのは間違いなく過剰診断であり、それ以外である可能性はありません。と断じています(断言しておきます。)。これは、本文で何が書かれているかの話ではありません。と言うか、あとがきでこう書かれているのだから本文もそれを踏まえるか、本文において全てが過剰診断かは断定できないのを思わせる主張をするのであれば、あとがきにこのような内容の文を書くべきではありません。だから私は、整合しません。と言っています。

じゃあ、実際に菊池氏は、高野氏による福島の子どもたちに起こっているのは間違いなく過剰診断であり、それ以外である可能性はありません。との記述をどのように捉えるのですか。あの本は、ほぼ過剰診断であるとの見解に基づいて書かれているでしょう。だから、がん検診の有効性に関する具体的な説明は無いです。もしも、過剰診断だけで無く、有症状のものを先取りで発見している可能性を考慮するのであれば、有効性確認の説明は必須です。つまりこれは、本全体の方向性に関わる重要な論点なのです。全部過剰診断だと本に書いているのに、今更超早期発見だとしてもなんて主張が通用するのか? と言っています。もしその可能性を本当に論ずるのならば、高野氏の主張、ひいては本そのものの方向性を問わざるを得ないのではありませんか?